Aちゃんの舌代日記-その3

口で言う替わりに 写真を見て頂く

西伊豆 60年前の めぐり逢いの旅 その2

2020年02月18日 | UWV関連

前回の続き

そのアルバムの 最初の ページには

宿泊した 私たち 全員と

ご家族の 記念写真が 張ってありました。

大きい茅葺屋根が 母屋です。

上の 右下の写真は 

この母屋の前で

翌朝出発の前に 体操をしました。

その右側が 石垣になっています。

その石垣は 残っていて

当時を 偲ばせるものでした。

 

日本間が 沢山続いていた 

平屋の 大きい 母屋は 無くなっていて

新しい家屋になっていました。

 

アルバムの表紙の 内側は

此の 反対側の

表紙の 裏に

今回 再訪した 私たちの 名前を

署名させて 頂きました。

 

Tさん宅は 現在は

西伊豆町 宮ケ原と なっています。

ワサビ田は 継続 されているそうです。

その時は 犬を 伴い ワサビ田から

帰宅途中の

お父さんと おじいさんに 出会った。

当日の テントサイトは 決めてはいなかった。

尋ねたところ

我が家の 庭が良いと 提案されたが

到着してから

家に 泊まるように すすめられた。

イルカの入った

汁物も 御馳走になった。

此の記憶から

今回は 地元の スーパーへ行ってみた。

イルカの 干物加工品は 販売していました。

生産地は 岩手県の沿岸部だった。

 

話を 戻して 

その前日は 予定の 八丁の池の 傍で

テントを 張っていたのでした。

朝になってから 驚いたのは

薄く 雪も積もって

池は 全面が 氷結していた。

 

1963年の 春合宿に 出かける前の

メモが 残っていた。

男女別 数班の 分散パーテイで まず 4泊し

その後に 達磨山 キャンプ場に

終結するというものだった。

集合の後に 終日 降雨という 日もあった。

開業間もなかった

ゴルフ場に 交渉して

予備の施設の 簡易ベットに

泊めてもらった 事もあった。

 

若き日の ほろ苦くも

一生懸命だった 思い出。