知多半島デジカメ紀行

知多半島名所デジカメ紹介。フイリピン国語.タガログ語講座。ボウリング講座。

細井平州

2007-08-13 11:19:27 | Weblog
(知多半島デジカメ紀行)

我が町の誇り!
著名な儒学者「細井平洲(ほそいへいしゅう)」の出身地である東海市が、「平洲の町・東海市」を掲げて文化活動やイベント、芸術活動を積極的に推し進めています。

 江戸時代、平洲の活躍はめざましく、全国の何人もの藩主の師を務めるとともに庶民教育にも力を尽くしました。中でも倹約を断行して藩政建て直しを図ったことで知られる米沢藩(山形県)藩主の上杉鷹山(うえすぎようざん)の終生の師だったことで一躍有名になりました。
 東海市の人たちは平洲を郷土の誇りとしてたたえ、サミットの開催、平洲を紹介する劇の公演など多彩な取り組みを繰り広げています。

著名な儒学者「細井平洲(ほそいへいしゅう)」の出身地である東海市が、「平洲の町・東海市」を掲
げて文化活動やイベント、芸術活動を積極的に推し進めています。

 photo04.jpg


 東海市の人たちは平洲を郷土の誇りとしてたたえ、サミットの開催、平洲を紹介する劇の公演など多彩な取り組みを繰り広げています。
 細井平洲は,1728年(享保13)に知多郡平島町の農家に生まれた。幼少の名を甚三郎と言い,7歳の時から寺子屋へ通って勉強をしていた。その後,9歳で名古屋に出て学問を積み,私塾を開く。彼の教えは分かりやすく多くの人々を引き付け,やがて米沢主上杉鷹山の大切な相談役として重用され,藩財政の建て直しに活躍する。
 平洲はまた,武士ばかりでなく農民や町民にも学問を教え,多くの人々から慕われた。その後,平洲は尾張藩に帰郷し,藩校「明倫堂」を開設し,武士ばかりでなく町人も講義を聴ける日を設けた。「人はみな学ぶことによって正しい人の道を知ることができる」平洲は最後までこの信念を貫き通した。 
--------------------------------------------------------------------------------
<年譜>
1728年(享保13)東海市荒尾町の農家に生まれる
1751年(宝暦 1)江戸に出て「嚶鳴館」を開く
1771年(明和 8)米沢藩主上杉鷹山に仕え,藩士らを教育する
1780年(安永 9)尾張藩主徳川宗睦の師となる
1783年(天明 3)尾張藩校「明倫堂」総裁となる
1801年(享和 1)73歳で没


私が毎日ジョギングのメルヘン公園の道に 若き日の細井平洲(ほそいへいしゅう)銅像が有ります。



uma2028ホームページはここをクリック

                  
フイリピン。タガログ語はここをクリック                                              

                                     
ボウリング講座ここをクリック
                                                             

南知多ビーチランド

2007-08-13 10:19:05 | Weblog
(知多半島デジカメ紀行)

南知多ビーチランド

beachlnd.jpg


水族館、遊園地、海辺の3ゾーンで構成されている。メインは水族館で、動物たちとのふれあいを大切に様々な工夫がされている。海洋館では、1000トン大水槽を中心に120種2000匹の魚が展示。また、イルカスタジアムでのイルカやアシカのショーやラッコ、ゴマフアザラシなどが人気です。

uma2028ホームページはここをクリック


                  
フイリピン。タガログ語はここをクリック                                             
                                     
ボウリング講座ここをクリック
                                     
 
                                      

土管坂

2007-08-13 06:27:56 | Weblog
23223P060_12_N.jpg

(知多半島デジカメ紀行)常滑 .土管坂.


uma2028ホームページはここをクリック


                  
フイリピン。タガログ語はここをクリック                  
                  
                                     
ボウリング講座ここをクリック