
元々滑稽から出発した俳諧ですが、その中興の祖ともいうべき松尾芭蕉はわび
さびの境地を五・七・五に読み込み、文学的に高いものにしました。また芭蕉
と並び称される与謝蕪村も絵画的な世界の広がるような詩を多数残しました。
これに対して室井基角や小林一茶などは詩としての品質を落とさないまま俳諧
の原点の滑稽さというものを再び取り入れました。
「俳句」という言葉が生まれた明治以降は新傾向の句を作る人たちとして種田
山頭火など、伝統的形式を重んじる人たちとして高浜虚子・山口誓子らが出て
います。そして現代にいたると海外でもこの俳句が注目されてHaikuが生まれ
伊藤園の世界コンステトなどで優秀な作品が生み出されています。
Haikuに関しては五音節・七音節・五音節で書く人もいますがたいていはそれ
にこだわらずに自由な形式で書いているようです。