名古屋の方なら皆知ってますが。国道41号線の東片端交差点北約100mの道路上に車線を
ふさぐかたちにくすのき が、名古屋市農政緑地局発行「生きている文化財 なごやの名木」です
東区撞木町国道41号線(東郊通線)の道路の中に一際目立つクスノキ(西側)とイチョウ(東側)の大木がある
名古屋の古図によると元禄の頃(1688~1704)は松平家享保の頃(1716~1736)からは内堀家の邸内に当たるところ
であったという。名古屋開府後、武家街となったがその頃に植えられたものではないかと思われる。
昭和40年頃より国道41号線の拡張のため、この樹が障害となり除去される運命あった。
地元学区の代表などが、たびたび保存の陳情をしたが、
その要望も空しく伐採の運命が迫った。
いざ切ろうとすると 突然病気になる 又別な業者が切ろうとすると 大怪我をした まるで この木が 拒んでるかのような事件 このことが昭和42年1,2月頃新聞紙上を賑わした。
当時の市長杉戸清氏は現地を視察して鶴の一声で保存することが決定したそうです。
私は小牧の飛行場へここを良く通りました いつも不思議に思ったものです。
今朝6時半に起きた 天気良い まず洗濯
洗濯の合間 買い物。
昨日の万歩計 7,679歩
今朝の血圧 上131 下76 脈96
ふさぐかたちにくすのき が、名古屋市農政緑地局発行「生きている文化財 なごやの名木」です
東区撞木町国道41号線(東郊通線)の道路の中に一際目立つクスノキ(西側)とイチョウ(東側)の大木がある
名古屋の古図によると元禄の頃(1688~1704)は松平家享保の頃(1716~1736)からは内堀家の邸内に当たるところ
であったという。名古屋開府後、武家街となったがその頃に植えられたものではないかと思われる。
昭和40年頃より国道41号線の拡張のため、この樹が障害となり除去される運命あった。
地元学区の代表などが、たびたび保存の陳情をしたが、
その要望も空しく伐採の運命が迫った。
いざ切ろうとすると 突然病気になる 又別な業者が切ろうとすると 大怪我をした まるで この木が 拒んでるかのような事件 このことが昭和42年1,2月頃新聞紙上を賑わした。
当時の市長杉戸清氏は現地を視察して鶴の一声で保存することが決定したそうです。
私は小牧の飛行場へここを良く通りました いつも不思議に思ったものです。
今朝6時半に起きた 天気良い まず洗濯
洗濯の合間 買い物。
昨日の万歩計 7,679歩
今朝の血圧 上131 下76 脈96