18:54わたしの携帯に電話が鳴る。急いでダウンジャケットのポケットの中から携帯を手で掴み、
もしもし・・・と出る。
電話の向こうは、お母さん(岩手県大船渡の魚市場の建設工事に出張していた息子の無事を心配する母)からだった。
声を震わせて・・・おかあさん(わたし)いろいろありがとう・・ありがとう・・直接、本人と電話でしゃべれたわぁ~。あぁ~よかったぁ~。
どうしてる・・・いま・・
電話は、大船渡の消防署から電話を借りて掛けている。みんな無事にいる。
配給もある。車の中で過ごしている。宿泊していた、岩手県大船渡市大船渡町富沢44-1
比田邸は、津波の被害はないが、そこへはいけない。危険な状態だ。
配給もあり、元気で怪我ひとつせずに無事にいる。
そうたも電話で話すことが出来た。
その声を聞き、親子の絆を深く実感した。
祈る。わたしたちは祈ることしか出来なかった・・その本人が母へ電話をしたことが、
奇跡であるとわたしは思う・・・
まだまだ余震もこれから続くし、これからが、もっともっと・・・言葉がでません。
文字に書けません。TVに入ってくる被害の偉大さに・・
わたしは能登半島地震の時に全国の方々から勇気をいただきました。
今度は、ここから元気を少しでも発信していけたらと思っています。
あらためてネットの向こうにいる方々に感謝を申し上げます。
3月11日、日本が揺れた。東日本大震災の被害状況をニュースで見る。
想像を絶した光景だ。その夜、孫のそうたくんと一緒に地震状況のテレビの映像を見ていたときだった。
孫のそうたくんが小さな声で言う。
お正月に、野球したり、将棋をしたり、勉強を教えてもらったりして、パパのお兄ちゃん
との楽しかった出来事を話してくれた。
僕ね、覚えてるよ手紙書いたから。
はっきりと、岩手県大船渡市大船渡町富沢44-1 比田邸
大船渡の海が民家や建物を奪い、たちまちのうちに、破壊されていく・・
その時だった。大船渡だ・・・パパのお兄ちゃんがいるとこねんよ。ここねんよ。ここに
お兄ちゃんいるんやよ。大船渡の魚市場を建設に出張しているって・・・
TVの映像が孫のそうたの目に飛び込んできて、小さな声で、
パパのお兄ちゃん死んだ?・・・目に涙いっぱいためて、ぼく、もう寝るね・・
背中を向けて、寝室へ向かう、孫に、「なにゆーとる。あきらめたらダメや。
さぁーこっちへ来い」二人で神さまに手を合わせ祈りをささげた。
何とかして、情報を発信したい一心で、わたしのツイッター・ブログ・フェィスブック
に発信をしました。
たくさんのDMや電話をいただき、情報を交換することができました。
それで、昨日(3/12)の時点で最終連絡がとれたと、松浦正博の母からの伝言です。
地震直後、津波警報が発令され、建築作業を中断し、大事なものをみな持ち、高台へ全員逃げた時点で、建築作業をしていた旦那さんの東京にいる妻の方から、東京の北生建設の社員の方から電話がありましたとのことです。
少しですが情報がつかめました。
本日(3/13)、朝、東京の北生建設の社長さんから電話をいただきました。
3月13日、岩手県大船渡にいる、松浦正博より電話があり、短い時間だったけど、話をすることが出来た。
内容は、以下のとおりです。
岩手の方は、携帯電話のアンテナ塔が水没しているので、携帯電話が繋がらない。
いま掛けている電話は、NTTの応急仮設電話からです。
東京から出張に来てる北生建設8名は全員無事です。
他の親会社の社員も全員無事です。
ガソリンの燃料も無くなった。けど、なんとかして、みんなで元気に帰るから・・・
との電話内容でした。
わたしは、能登半島地震を経験しています。
元気でいる便りがどんなささいな情報でも欲しい・・
出来る限り、情報を今しばらく発信していきます。
たくさんの命を奪った、今回の巨大地震。
海からの恩恵を受けている、そこで働く人々の命をのみこんでいったすさまじき
地震のエネルギー。
わたしのお店は目の前が海であり、いつそのような大津波が来てもおかしくない
場所で働いています。大地の下は、たくさんの活断層があり、いろいろなプレートが
ぶつかり合い、このような悲惨な地震が起こることを学びました。
亡くなられた方の命を決して無駄にしてはなりません。
どんな小さな力でも、いま、救助の手が必要ではないのだろうか・・
そう実感しています。
早急に、救援をお願いします。みんな助けてあげて。わたしも、今すぐに駆けつけて
行きたい気持ちで胸がいっぱいです。
今朝の北陸中日新聞に松浦正博さんの記事が掲載されました。
わたしのツイッターです。