11月9日和倉温泉 美湾荘 泊
美湾荘ロビーで朝の珈琲タイム
なんといっても、源泉がかけ流しで、ゆけむりの和倉温泉の香りに、身も心もリラックスしました。
数ある和倉温泉の旅館で一番、源泉をそのままに、滾々とその証(あかし)に、出口付近から、白い塩分を含んだようなガリ(固まり)
があるのを温泉に浸りながら・・・ゆけむりの宿 美湾荘の湯は見事なほどに、湯の華の結晶であることを肌で実感しました。
なんとも身体の芯から、ポカポカと浸透し、血流が良くなり、日頃痛んでいる、肩や腰が、じんわりと、
ほぐれて行きました。
ここが本当の温泉だと思いました。
温泉の出口に、シュワッチと手を当てると、高温です。
その上をヒョイと見ると、杓子(しゃくし)と竹で出来たぐい飲みがありました。
どっちにしようか。わたしは、竹のぐい飲みを選びました。
おちょこにいっぱい温泉をいただき、ちょびちょびと飲みました。
にがりとしょっぱさが特徴の和倉温泉を、ぐいといっぱい。
全ての疲れが、この一瞬で、リラックスな気持ちになりました。
温泉といい、本物の能登の美味しいお料理に、お腹も満腹になりました。
また、美湾荘を利用したいです。
左、若女将さん。中央、わたし。右、女将さん。
決め細やかなサービスと、えっ・・・こんなとこまで気配りされてあるぅ・・・といった隠されたおもてなしに、
全てが感激した一日でした。お部屋はお部屋食をチョイスしました。
海が一望でき、夜はほろ酔い気持ちで、お刺身や蟹・・・能登牛・・松茸のどびん蒸し・・・あれもこれも、美味しかったなぁ~。
美湾荘さんをチェックアウトして、実家の輪島市へ。
高州山へ行く前に、実家へ行って父も誘おうと思って実家の駐車場を通ると、父がウロウロしていたので、
「とうちゃん。高州山いっけぇ(行く?)~のらしぃ(車に乗ればいいよ)」
おぅ!と一言。
とうちゃん。とても楽しそうでした。
「おりゃ~50年ぶりに登ったわいっ おおきになぁ(ありがとう)」
喜んでいました。
父を誘ってよかったです。
写真、わたしの父です。77歳です。
高州山山頂近くにある、テレビ中継局。
高州山の山の神に参拝。
高州山 木の看板に書いてあった書 「ようこそ あがりまし 休んで下しまぁ」
参拝
いつも、当店から見ている、高州山の天辺の丸いレーダー基地。一目みたさに、ここまで来ました。
高州山
高州山 レーダー基地
「幸せな祈り」この手書きの看板に心がほっとしました。
父が調子ついてしまい。「おりゃ~どこでもいくぞ、かもうら(鴨ヶ浦海岸)でも袖ヶ浜(袖ヶ浜海岸)でも光(光浦海岸)でもいくぞ」
天気に誘われてか、普段は、どこもかも痛い。おりゃ~ほんでダメかもしれんと弱気な父ですが、この日は、元気が100倍になりました。
なぜでしょう・・・高州山へ行ったことが、若かりし頃の記憶が蘇ったようでした。
あんなこともあった こんなことも ここから 佐渡も見た 能登島も見た 七ツ島も
父を偶然にも誘って良かったと思いました。
輪島市鴨ヶ浦海岸へ
鴨ヶ浦海岸より七ツ島が見えました。
今度は、能登半島最北端 禄剛先の灯台へ、
急な坂道を登ります。息切れがしました。
登りきりました。遥か向こうに水平線見える、島が見えました。
佐渡や舳倉島や七ツ島。佐渡島を目にした時は、大きな声で叫びました。「うわぁ~佐渡やぁ~佐渡が見える」
本当に佐渡が見えました。
禄剛先の灯台
禄剛先の灯台
北緯
珠洲市 禄剛先の灯台 日本列島ここが中心です。
ここは、能登半島最北端でちょうど、外浦との接点にあたるところです。
「海から昇る朝日」と「海から沈む夕日」が同じ場所から眺めることが出来ることで有名です。
また、晴れた日には、立山連峰や佐渡が島が見渡せます。この高台に立つ灯台は昭和16年にイギリス人技師が
設計したものです。現在も禄剛崎のランドマークとして、この地の壮大なロマンを感じさせてくれます。
東京302km TOKYO
釜山 782km PUSAN
ウラジオストック 772km VLADIVOSTOK
上海 1598km SHANGHI
今度は、いつも当店から見ている、珠洲の風力発電所。
どこまでも帰りは海岸線を走りきりました。もちろん車は13万キロ突破した軽四ポンコツで。。
このあと・・・見附島、恋路海岸・・・
続く海岸線、どこまでも海岸線・・・能登町の海岸線経由で穴水町を通過し、能登島へ。
それからわが家へ。
ウロウロとお出かけした一日を終えます。
また明日から張り切って頑張ります。
楽しい休日を頂きました。