ひだまりーん

むだばなし。

靴を買った。

2021年05月25日 | 
今日は母の病院の日だった。
弟は仕事が休めないということなので、私が午後から休みをもらい、母と一緒に15:00に病院へ。
CTの検査だった。
待合室で母を待っている間、私は眠くなり、ソファで寝ていた。
今日の検査は1つだけだったので、思っていたよりも早く終わった。
 
母の履いている靴がくたびれており、歩きにくそうなのがとても気になっていたので帰りに靴屋に寄った。
スニーカを試着して良さそうなものを買い、それを履いて帰って来た。
母は「軽くて歩きやすい」と喜んでいた。
 
母を家まで送るともう夕方だった。
結局仕事帰りの時間と変わりない時間になっていた。
疲れた。
 
 




 
 
 
 

脳が若返るかも。

2021年05月11日 | 
入院したら暇だろうなと思い、母のために塗り絵を買った。
文字の練習もしたいというので文字の練習帳も買った。
 
私が入院したのは出産の時。
私の入院のイメージは毎日のんびり過ごして平和な日々。
ちょっとズレてるのかも。
 
先日母が入院した時は、検査、検査、点滴等で忙しかったようだ。
塗り絵や文字の練習どころではないね。
 
 


 
 
 
 

カンファレンスルームへ。

2021年04月29日 | 
一昨日の夜、今後の治療方針について相談しましょうということで医師に呼ばれ、母が入院している病院に行った。
弟は仕事の都合がつかないというので私は仕事を早退させてもらい、職場から自転車で行ってみた。
方向音痴の私は案の定何度も道に迷い、約束の時間ギリギリに到着したが、医師が会議中とのことで待ち時間が結構あったので全然大丈夫だった。
 
カンファレンスルームというところに通され、私がひとりで説明を受けるのかと思っていたら母も来て、思いがけない再会となった。
もう1人の医師と研修医という方も同席した。
医師はパソコンを使ってCT、レントゲン等の映像を見ながらわかりやすく説明してくれた。
私たちが質問すると丁寧に答えてくれた。
母の身体は悪いところがいっぱいで今後様子を見て手術することになった。
心臓の血栓は入院していても家で生活していても日常生活程度ならそれほど変わりがないということで1度退院することになった。
 
母は点滴等はしているが元気そうだった。
先生方もとても親切にしてくださっていて、私は安心した。
 
帰り道は真っ暗。
帰り道も散々道に迷い、ヘトヘトになりながら家に到着。
それでも自転車で行ったほうが自由が利くことが分かった。
 
 


 
 
 
 

母入院。

2021年04月21日 | 
昨日母親が入院した。
 
父が亡くなってから1週間後くらいに母が身体が痛むと言い出した。
強い痛みではなく、少し痛い程度だと言う。
大したことはないと思っていたが弟は病院に行って診てもらった方がいいと強く言っていた。
母親がひとりで近所の病院を受診したが、「あまり良い状態ではない。大きな病院できちんと検査をした方が良い」と言われ、大きな病院を紹介してもらった。
そして昨日が検査、1週間後に検査の説明と日程が決まっていた。
昨日は朝8:00に病院に行き、検査開始。
弟と私が付き添った。
夕方15:30くらいに急に看護師さんから「血栓が見つかったので安静が必要です」「医師から説明があります」と言われた。
その時点から母は車椅子に乗せられ、指には脈がわかる装置のようなものを付けられた。
今日は帰れないかもしれない、入院するかもしれないと感じた。
 
医師からは「心臓に血栓が見つかった。結構大きく、いつ何が起きてもおかしくない。」と言われた。
今までも危険な状態だったらしい。
全然知らずに普通に生活していたので驚いてしまった。
やはりすぐに入院になった。
 
それから弟は入院手続きをし、私は実家に入院セットを取りに行った。
もしかしたら入院することになるかもしれないと思い、少し前に母とパジャマや下着等を買い、バックに詰めていた。
こんなに急に必要になると思わなかったが予め準備をしておいてよかったと心の底から思った。
 
結局その後母には会えなかった。
父が亡くなってまだ1ヶ月なのにね、と言って弟と2人で泣いた。
 
 
 


 
 
 
 

歳をとるということ。

2021年04月17日 | 
私の母は86歳。
もうすぐ87歳になる。
最近は歩く速さもびっくりするほど遅くなったし、物を探す時間も長くなって来た。
カバンや手提げやポーチをいくつも持っていて、その中にバラバラに物を入れていて、その中から探しているので大変だ。
私は「ひとつにまとめた方がいいよ」と言ってショルダーバックを買って渡した。
診察券や大事な物もひとつにまとめるように100円ショップでケースを買った。
最近は母の物で大変な出費だ。
 
自分もいつかは母のようになるのかと思うと子ども達に迷惑をかけないようにしたいと心の底からそう思う。
 
 


 
母に好きな方を選んでもらい、もう1つの方を私が使うつもり。
 
 
 
 
 

久しぶりに母と買い物をした。

2021年04月03日 | 
今日は休みだったので実家に行き、母の代わりに父関係の書類を書いた。
写しが要るというのでコンビニに行き、コピーを取ったりした。
もうこれで終わっただろうと思うと次から次へと書類が送られて来て、なかなか終わらない。
 
久しぶりに母と近所の衣料品店に買い物に行き、下着や靴下等の衣料品を買ってあげた。
私もお金がないが、今回は頑張っちゃった。
あと何年一緒にいられるか分からないので最後の方くらいは良い思い出で終わりたい。
 
しあわせな晩年なんてあるのか???
自分はどう生きていく???
最近よくそんなことばかり考えている。
 
 


 
 
 
 

思い出話に花が咲く。

2021年03月24日 | 
今日は朝一番で葬儀屋さんに行き、葬儀代金を支払った。
その後、父が入所していた施設に行き、父の荷物を受け取って来た。
その他にも用事を済ませ、昼には実家に行った。
母と弟は役所や銀行に手続きに行った。
昼には3人が集合。
本当に何年ぶりかで3人で昼食を食べた。
父の話をしたり、父が撮った写真を見ながら思い出を語った。
いいねえ、こういうのも。
 
手続きは半分以上終了した模様。
 
 


 
 
 
 

父を見送る。

2021年03月22日 | 

父が亡くなった。

日曜日の朝、母から電話があった。

もしかしたらと思い、電話を取ると父が亡くなったという連絡だった。

昨年の夏に体調を崩して入院し、しばらくした後、施設に転院していた。

コロナ禍で面会はできなかったが元気にしていると聞いて安心していた。

それでも気になるので何度か職場の帰りに施設の周りをうろちょろしてみた。

 

もう90歳なので何があってもおかしくなかった。

最期はあっという間だったなあ。

母と待ち合わせて施設に向かい、待っていると弟も到着。

父と面会するとまるで眠っているようだった。

3人で医師の説明も受けた。

昨日の夜までは変わりなく、朝方になって調子が悪くなったようだ。

老衰で眠るように息を引き取ったので苦しんではいないとのことだった。

それを聞いて安心した。

 

その後は葬儀屋さんに連絡をして父を迎えに来てもらい、みんなで葬儀場に行った。

そこでみんなで父の旅支度をした。

足袋を履かせたり、膝当てをしたり、草履や笠を持たせ、布団を掛けた。

初めてやったが、家族みんなに送られていいなあと思った。

それからいろいろなことを決め、手続きをし、帰宅した。

さすがに疲れた。