ひだまりーん

むだばなし。

葬儀。

2024年10月24日 | 
火葬場にはご近所の方、母が参加していた押し花サークルの方など
15人くらいの方が来てくださった。
みなさん高齢なのにわざわざ遠くまで来てくださった。
大変ありがたい。

みんなでお別れをして棺に花を入れた。
みなさんに花束を渡すとわあと言ってくださった。
母は花でいっぱいになった。
花の大好きな母だったから本当によかった。

葬儀はあっという間に終わってしまった。
葬儀屋さんといろいろと揉めたので無事に終わってほっとした。

子ども達も弟も寂しくなっちゃったと次々に私の携帯電話に連絡してきた。
もっとたくさん会っておけばとかもっと親孝行をしておけばとか
みんな後悔していた。
きっとどんなことになっても後悔はするのだろう。
長患いせずに家で亡くなったのだから幸せだったと思う。
なかなか家で死ねないのだから。
介護もしなくてよかったし、施設のお金も負担しなくてよかった。
感謝。
合掌。









棺の花。

2024年10月23日 | 
葬儀の前日に代金を支払って欲しいと葬儀屋さんに言われたので
支払いに行った。
上の子どもと2人で行った。
玄関のロビーに通され、待たされた。
エレベーターの前にソファが置かれた簡易な場所だった。
ここで支払いをするのか?と思った。
私は「いくつか質問したいことがある」と言ったが
対応した人は「私は会計の担当なので、先に支払いを済ませてください」と言った。
会計を済ませるとその人は去っていった。
先日の打ち合わせの時に担当してくれた人が
最後まで担当すると言っていたはずなのに
その人は結局来なかった。
代わりに対応してくれた人に質問をしていった。
葬儀の日の集合時間の確認をすると
先日の打ち合わせの時に言われた集合時間は火葬の時間だった。
その時間に来ても母とゆっくりお別れはできないことが分かった。
ありえないくらい不親切だ。
ここで質問してよかった。
集合時間を早めることにした。

私が「棺にお花を入れて〜」などと手順を確認している時に
対応してくれた人が「棺の花はパックに入っていたっけな」と言い出した。
棺の花が無いなんて考えたこともなかった。
確認してもらうと「棺の花は無いです」という回答だった。
私は驚いて「え!え!花が無い!?」「花が無いんですか!!?」
「花が無いなんてことがあるんだー!はー!」と大きな声が出た。
「造園」という項目がパックの中に含まれているのに
花が無いというのは何故なのか聞いてみると
会場を借りて葬儀をやる方向けのものだという回答だった。
結局、棺の花は自分たちで用意をしてくださいとのことだった。

なんだかガッカリして疲れ果てた。
とにかく不親切な葬儀業者だった。

家に帰ってから花を買いに行き、
上の子どもと2人で小さな花束を作っていった。
こんなことになんか負けないぞと思った。

度重なる不親切と棺に入れる花が無いことなどで怒り心頭に発する。
弟に報告すると怒りが止まらず、次の日の朝一番で葬儀屋さんに話を聞きに行った。
偉い人が出て来て謝ったそうだが、嫌な気持ちだけが残った。
最悪だった。
騙された母が悪いのだろう。
この葬儀屋などに頼まなければよかった。











打ち合わせ。

2024年10月22日 | 
なんだかよくわからないまま、葬儀屋さんとの打ち合わせに行った。
最初に安置室にいる母に会って、ああ本当に亡くなったんだな、と実感した。
90歳だったし、家で亡くなったということで大往生だと思った。
これ以上はないと思った。

よくよく話を聞いてみると母の認知症が進んでいたようだ。
話が通じないことや物忘れが多かったようで、弟もよく頑張ったと思う。
それでも弟はまだまだ親孝行をしたかったと落ち込んでいた。
昨年は2人で京都に旅行に行ったそうで、写真を見せてくれた。
もう十分親孝行をしたと思う。

母は生前に互助会に入っており、葬儀のパックに入っていたそうだが
打ち合わせを進めていくと「パックには入っておりません」が多く、
料金は高いが、内容は薄いという状況になった。
通夜と葬儀をやる方向けのパックのようで
1日葬をやりたい人には身動きの取れない不便なパックだった。
途中で止めたいくらいだったが、母を搬送してもらったのと
母が自分でやりたかった葬儀なのだろうと思って我慢した。

葬儀の日も決まり、火葬場の予約も取れた。










母。

2024年10月21日 | 
母が亡くなった。
90歳だった。

弟が仕事に行く際に話しかけたら返事をしていたらしいが
帰宅すると動かなくなっていたらしい。
慌てて弟は救急車を呼んだり、心臓マッサージをしたりしたが
間に合わなかったということだった。

家で亡くなったということで監察医が入り、警察署にも行ったらしい。

弟とご近所の方とで奮闘し、いろいろ行き違いがあり、
全部終わってから私に連絡が来た。
急な事だったので驚いてしまった。
弟は一緒に住んでいたので大変ショックを受けていた。

翌日に葬儀屋さんと打ち合わせだというので
仕事を休ませてもらい、打ち合わせに行った。









いろいろと行き違い。

2022年04月13日 | 
先週、母が退院した。
 
退院の当日に「退院できるので迎えに来てください」と弟のところに電話があったそうで弟はカンカンに怒りながら迎えに行った。
そんなに急に仕事は休めない。
仕事中の時間でも何度でも病院から電話がくる。
仕事中はさすがに電話には出られないよ。
電話の内容は「着替えが足りないので持って来てください」だったりする。
いつも「電話をください」と留守番電話にメッセージが入っているが、用件だけでもいいから留守番電話に入れておいてほしいと思う。
お世話になっているのは重々分かっているのだがもう少し改善してくれると助かるなあ。
 
 


 
 
 
 

誕生日を迎えられるか。

2022年03月27日 | 
昨日は母親の入院している病院にパジャマなどの荷物を持って行った。
看護師さんに荷物を預けて帰ろうとしていたら電話が鳴った。
母親の手術を担当してくださった医師からだった。
手術は成功しましたという連絡だった。
私は今、病院内にいるのだと伝えると必要であれば時間を取って説明しますよとも言ってくださった。
成功したのであればもうそれでいい。
また退院が決まったら連絡をくださるとのことだった。
 
母親は数日間はICUに入るそうだが、その後はまた病室が変わるらしい。
母親の誕生日は5月だ。
誕生日を迎えられるかな。
 
 


 
 
 
 

母退院。

2021年06月29日 | 
3週間入院していた母親が今日退院した。
 
昨日の夕方医師から「明日退院します」という電話があり、驚いた。
詳細についての連絡がなかったので明後日の退院なのかと思っていた。
今日は会議が入っており、休むのは無理だった。
今朝、弟に「明日の午前中休もうかな」とメールを送ったところ、「もう退院したよ」という返事!
えええ!
2つの診療科にまたがってお世話になっていることと詳細の連絡は弟の方に行ったらしい。
 
夕方になり、母親から「夕飯を買ってきて欲しい」という連絡があった。
消化の良いものを買って来てとのことだった。
消化の良いものってなんだろう?とインターネットで検索し、ストアで迷いながら買い物をして実家に帰った。
 
久しぶりに会った母は少し痩せていたが、以前と変わりなく元気だった。
ご飯も変わりなく食べ、普通に会話もできた。
弟と2人で泣くほど落ち込んだり、心配したのはなんだったのだろう?と思ったくらいだ。
 
大量に薬を処方されたのでまた薬の分別をして1回分を袋に入れ、帰って来た。
これで一段落なのかな。
 
 


 
 
 
 

再び入院。

2021年06月08日 | 
母が転院した。
以前通っていた病院では手術ができないという判断となり、もっと大きな病院を紹介された。
昨日は初回の診察だった。
特に指定はなかったが母は朝食を抜いて行ったので、医師は「これまでの分を取り返しましょう」と言ってくれ、次々に検査を入れてくれた。
検査結果を見て診察、また検査をしてから検査結果を見て診察を繰り返し、夕方の時点で急に「明日から入院しましょう」ということになった。
入院しなければ今週は毎日病院に行き、検査をする予定だった。
母と一緒にあちこち移動し、書類を書いたり、検査の説明があったりしたので私も昼食を食べている時間がなかった。
朝8:30に病院に行き、病院を出たのは17:30だった。
 
母はまた急に入院になったので落ち込んでいた。
 
今日も朝から母と弟と私の3人で病院に行った。
弟は荷物の運搬、私は入院の手続き。
入院の準備が終わったので帰ろうとすると「このあと医師から明日の検査の説明があるので病院内に残っていてください。医師の手が空いた時点で連絡をするのでそしたらすぐに来てください。」と言われた。
私は午後から仕事に行こうと思っていたのに全く見通しが立たなくなった。
職場に電話をして「今日は行かれないと思うのでお休みをください」と連絡をしたすぐ後に医師のところにすぐ来てくださいと連絡が入った。
母と弟と私の3人で医師からの説明を聞き、解散した。
母とは今後面会ができなくなるので「頑張って」と声をかけて別れた。
 
すぐに職場に「終わったのでやっぱりこれから行きます」と電話をして職場に向かった。
母が入院したのでほっとした。
 
 


 


 
 

靴を買った。

2021年05月25日 | 
今日は母の病院の日だった。
弟は仕事が休めないということなので、私が午後から休みをもらい、母と一緒に15:00に病院へ。
CTの検査だった。
待合室で母を待っている間、私は眠くなり、ソファで寝ていた。
今日の検査は1つだけだったので、思っていたよりも早く終わった。
 
母の履いている靴がくたびれており、歩きにくそうなのがとても気になっていたので帰りに靴屋に寄った。
スニーカを試着して良さそうなものを買い、それを履いて帰って来た。
母は「軽くて歩きやすい」と喜んでいた。
 
母を家まで送るともう夕方だった。
結局仕事帰りの時間と変わりない時間になっていた。
疲れた。
 
 




 
 
 
 

脳が若返るかも。

2021年05月11日 | 
入院したら暇だろうなと思い、母のために塗り絵を買った。
文字の練習もしたいというので文字の練習帳も買った。
 
私が入院したのは出産の時。
私の入院のイメージは毎日のんびり過ごして平和な日々。
ちょっとズレてるのかも。
 
先日母が入院した時は、検査、検査、点滴等で忙しかったようだ。
塗り絵や文字の練習どころではないね。