ひだまりーん

むだばなし。

年度末。

2024年03月31日 | 私。
人事異動の季節がやって来た。
今年もたくさんの方とお別れをした。
淋しくなるなあ。
 
押し出されるように4月がやって来て
考える暇もなく、忙しい毎日になって行く。
 
無理せず、自分の身体と相談しながら働こう。
 
 


 
 
 
 

楽器。

2024年03月21日 | 私。
入院、手術があったため、少し前からギターも太鼓のお稽古もお休みさせてもらっている。
暫くの間お稽古に行かなくていいんだと思うとちょっとほっとしていたが、
これだけ休んでいるとさすがにやりたくなる。
暫く練習していないので全部忘れてしまっただろうな。
また練習を始めたら大変だー。
 
 


 
 
 
 

10日ぶりに。

2024年03月17日 | 私。
手術の日から10日が経った。
近所のお店には歩いて買い物に行ったりしたが
どうしても少し遠くに行く用事があり、自転車に乗ってみた。
久しぶりの自転車は何だか不安定だった。
少し漕いだだけで手足が疲れた。
体力が落ちているのではないかなと思わされた。
 
仕事に戻ったら毎日自転車通勤になる。
大丈夫かなー。
不安になった。
 
 


 
 
 
 

終了。

2024年03月15日 | 私。
手術は無事に終わった。
「がん」ではなく、「炎症性の肺結節」だということが分かった。
取ったものを培養して何の病気なのかを詳しく探るそうだ。
 
手術した夜はICUで一晩を過ごし、次の日病室に戻った。
昼ごはんからは普通食だった。
やっとご飯が食べられると思い、嬉しかったのだが
傷口が痛くてあまり食べられなかった。
 
2日後、身体中の管が全て取れた。
管が取れたら退院とのことだった。
3月7日まで入院するつもりでいたのに
急遽3月3日で退院となった。
 
上の子どもが迎えに来てくれ、荷物を持ってくれた。
家に帰っても子ども達が手分けして家事をやってくれた。
いつも殆ど何もしないのにいざとなればやってくれるもんなんだなあと思った。
 
その日の夜は、「こんなに早くまたみんなで夕飯が食べられてよかったね」と笑い合った。
 
 


 
 
 
 

餞別。

2024年03月11日 | 私。
2月の上旬に検査は全て終わり、執刀医との面談も終わった。
執刀医はA4の紙1枚に病気の説明や手術の方法などを詳しく書いたものを用意してくれた。
入院計画書も作って渡してくれた。
病気のことや今後の予定が本当によく分かり、安心した。
手術の日も2月29日と決まった。
前日から入院をして準備をするとのことだった。
 
とにかく健康に気をつけていようと思っていた矢先、ひどい風邪を引いた。
鼻水、咳がひどくて、耳鼻科に3回も通った。
なんとか治り、いよいよ職場をお休みする日がやって来た。
 
職場の人は次々にお餞別をくれた。
私はお休みをいただく方なのにこんなにいただいて申し訳ない気持ちだった。
みんなとにかく病気を治して来てくださいと言ってくれた。
本当にありがたいことだった。
 
 


 
 
 
 

癌封じのお守り。

2024年03月10日 | 私。
人間ドックで病気が見つかり、検査や手術が必要になった。
仕事を休むことも決定的になった。
職場の人たちには、全てを話してお休みをいただこうと思った。
 
所属長には先に話をした。
 
次の日、会議があったので少し時間をもらって
人間ドックで病気が見つかり、肺癌の可能性があること、
検査や手術が必要になったので休みをもらいたいことなどを話した。
職場は静まり返り、泣きだす人、静かに目を閉じる人などなど。
みんなをびっくりさせてしまった。
みんな快く「病気を治してください」と言って休みをくれた。
ありがたいと思った。
 
数日後、職場の人が有名な神社の癌封じのお守りをくれた。
思いやりが嬉しくて泣けた。
 
そのまた数日後、職場の人が先日と同じ神社の癌封じのお守りをくれた。
わざわざ行ってくれたんだと思うと嬉しくて泣けた。
 
次の週になってからは、九州に旅行に行ったと話していた職場の人からも癌封じのお守りをもらった。
あっという間に癌封じのお守りが3つになった。
ありがたい。
 
私もこういう優しさを持った人になりたい。
次に誰かに何かあったら私も同じようにしてあげようと思ったのだった。
 
 






 




 
 
 
 

本当の絶望。

2024年03月08日 | 私。
1週間後、検査結果を聞きに行った。
 
診察室に入ってすぐに机の上の紙に「肺癌」と書かれているのを目にした。
がっかりした。
結果を聞いても同じだった。
 
私の肺の中には2つ気になるものができていて
明らかにわかるもの【分葉】→「肺癌を否定できない」
キラキラひかるガラスのようなもの→「高分化腺癌の可能性」
ということだった。
CTの画像を携帯電話のカメラで写真を撮らせてもらった。
病名は医師が紙に書いてくれた。
 
そして「うちの病院ではここまでが限界なので、紹介状を書きますので
大きい病院に行ってください。」と言われた。
病院は2カ所紹介され、その中には私が紹介してもらいたい病院があったので
迷わずそちらを選んで紹介状を書いてもらった。
 
目の前が真っ白だか真っ暗だかになった。
紹介状を持つ手が震えた。
 
なんでなんでなんでなんでなんで
 
その夜、子ども達に説明した。
「こんなに身体に気をつけているんだから癌じゃないと思う」
と言ってくれていたので、子ども達もがっかりしていた。
 
本当の絶望とはこういうことだと思った。
 
急に景色が変わった。
未来のことが考えられなくなった。