リンリン、草時計

現役リタイヤの暮らし=ガーデニングや本・映画・旅に保護犬.エトセトラ…我が子に伝える『マイ・ライフ』

無駄のある家=旧白洲邸で

2015-02-18 | 思い出ばなし
里山に抱かれた旧白洲邸。



白洲次郎・正子夫妻が鶴川の地に移り住んだのは、昭和18年だそうです。



昭和30年代、小学生だった私の担任はこの鶴川村の人で、
多摩川を超えて6つ目の駅の学校まで、1時間近く電車に揺られて通ってたんじゃないかしら。

春休みは「皆、お弁当を持って遊びにおいで」という先生のお誘いで
級友たちと、この里山を駆けまわって遊んだ事が思い出されます。

最後に先生のお宅へ行ったのは、先生の母上が小田急線の踏切事故で亡くなられた時。。。
クラス委員だった私は教頭先生に連れられて、
駅から続く坂道を、何故か不安な気持ちで登りました。
お葬式というものに、あの時初めて参列した。。。

先生の家も白洲邸のような茅葺屋根の農家。
縁側からそっと覗くと、暗い奥座敷で、
いつもは笑顔の先生がそっと涙を拭っていたっけ。。。

今回武相荘へ行くのに、駐車場を探しグーグルを辿ると、
「○○不動産」という看板が見えました。
先生と同じ苗字。多分ご一族。

(やっぱりあの辺りだったんだ。。。)





武相荘の展示室は写真禁止。



大きな壺の紅梅に迎えられ母屋を上がると、昔の土間はオシャレなサロン風に。
ソファー前のテーブルには、磨かれた銀器や洋食器が置かれています。
西隣は囲炉裏のある座敷、
正子さんのお眼鏡に適ったであろう漆器や陶器が並び、
隣の座敷には、染織工芸のお店を営んでいた正子さんの着物が飾られています☆

北側の座敷は棚が撓むほどの本、本、本・・・。
更に北側の小さな板の間が正子さんの書斎で、熊谷守一氏の版画が掛けられていました。

元の土間に戻るように東に進むと、昭和天皇の署名入りお写真やら、トイレットペーパー草稿の複写
次郎氏愛用のタイプライターも。

心を奪われたのは正子さんの書かれた『家』への想い。



 無駄のある家

 鶴川の家を買ったのは、昭和十五年で、
 移ったのは戦争がはじまってすぐのことであった。
 (中略)
 この辺に(少なくともその頃は)ざらにあった極くふつうの農家である。
 手放すくらいだからひどく荒れており、
 それから三十年かけて、少しずつ直し、今もまだ直しつづけている。 

 もともと住居はそういうものなので、
 これでいい、と満足するときはない。
 綿密な計画を立てて、設計してみた所で、
 住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。
 さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、
 人間が建築に左右されることになり、
 生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
 俗にいわれるように、田の字に作ってある農家はその点都合がいい。
 いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。
 ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。


 (白洲正子『縁あって』)

「抜け目なく作りすぎる」
何度も何度も、この言葉を唱えていました。
(なんて新鮮な表現だろう・・・)

 明日はまたどうなるかわからない。
 そういうものが家であり、人間であり、人間の生活であるからだが・・(略)


 文章はそう結ばれています☆



今日のワンコ↓





テキトーに作られた家の中で(--;)ヌクヌク中です。


※リンリンとサララは里親募集のサイトで出会った子です。
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