以前、「最後の晩餐」というテレビ番組があった。あなたは最後の晩餐に何を食べますかというものである。はてさて私は何を選ぶだろう。考えてみると浮かぶのは、旅先のものが多い。やはり旅というのは、「食べてやろうじゃないか」という意気込みがあるからだろう。ここでは「食べてから死にたいぞ」というものを書いてみようと思います。(昨日は本について書くぞ、って思ってましたが、あきちゃんの読んでおいしいものについて書きたくなってしまいました。本、おいしいもの、テレコでちょっとずつ書いていこうと思います。)
その1 ケーキ
あきちゃんのとこでも少し言ったが、私の好きなケーキは、フランセヤノのもの。ここのはちゃんと洋酒も入っている。最近のケーキは甘くて柔らかければよいというのが多いが、そんなケーキは人でなくても焼けるんじゃないだろうか。スポンジのキメの細かさに反って私は嘘っぽさを感じてしまう。体を洗う「スポンジ」を食べているような気になる。味も甘いだけで単調だし、使ってある生クリームも乳脂肪分の少ない嘘っぽいものだし、工場で流れ作業で作ったようなものが多いのは残念だ。いくつでも食べられますよっていうケーキ屋の陰謀だろうか。ケーキは濃くて甘くてほろ苦くなければ。
その2 (ケーキとくれば)コーヒー
コーヒーがおいしいのは、田神のハローワークから1本北にあるカルチャーという喫茶店。ビルの一階にある。ここも本当っぽい味がする。味・香り・苦味・甘みがそろった喫茶店ってなかなかないけれど、ここはおいしい。世の中で(おいしい店)として紹介されているのは、(雰囲気のいいお店)であって、それがおいしいコーヒーとイコールではないと思う。正直なところ、(おいしい店)と聞いて入った店は、ほとんどが、(雰囲気のいい店)だった。みんな本当においしいと思って飲んでいるんだろうか。(おいしい気がする店)だっただけじゃないんだろうか。それとも私がわかんないだけなんだろうか。
その3 カフェオレ
お子ちゃまな話なのだが、高校まで、コーヒーが飲めなかった。(紅茶も中学になって飲めるようになったもの。進歩の過程が見えます。)部活の朝練の時、友達が買ったミスタードーナツの薄いコーヒーを貰い飲みして、やっとコーヒーが飲めるようになった。だから今でも、砂糖とミルクの入ったコーヒーが飲めない。なんだか気持ち悪くなってしまうのだ。コーヒー牛乳も後味が悪い。でも、イタリア、フィレンチェ郊外のホテルのカフェオレはすーーーごくおいしかった。コーヒーのポットとミルクのポットがテーブルにおいてあり、自分で勝手な分量で注いでよしというもの。イタリアはステーキもおいしかったので、多分、牛乳(牛)が違うんだろう。もう一度飲みたい
その1 ケーキ
あきちゃんのとこでも少し言ったが、私の好きなケーキは、フランセヤノのもの。ここのはちゃんと洋酒も入っている。最近のケーキは甘くて柔らかければよいというのが多いが、そんなケーキは人でなくても焼けるんじゃないだろうか。スポンジのキメの細かさに反って私は嘘っぽさを感じてしまう。体を洗う「スポンジ」を食べているような気になる。味も甘いだけで単調だし、使ってある生クリームも乳脂肪分の少ない嘘っぽいものだし、工場で流れ作業で作ったようなものが多いのは残念だ。いくつでも食べられますよっていうケーキ屋の陰謀だろうか。ケーキは濃くて甘くてほろ苦くなければ。
その2 (ケーキとくれば)コーヒー
コーヒーがおいしいのは、田神のハローワークから1本北にあるカルチャーという喫茶店。ビルの一階にある。ここも本当っぽい味がする。味・香り・苦味・甘みがそろった喫茶店ってなかなかないけれど、ここはおいしい。世の中で(おいしい店)として紹介されているのは、(雰囲気のいいお店)であって、それがおいしいコーヒーとイコールではないと思う。正直なところ、(おいしい店)と聞いて入った店は、ほとんどが、(雰囲気のいい店)だった。みんな本当においしいと思って飲んでいるんだろうか。(おいしい気がする店)だっただけじゃないんだろうか。それとも私がわかんないだけなんだろうか。
その3 カフェオレ
お子ちゃまな話なのだが、高校まで、コーヒーが飲めなかった。(紅茶も中学になって飲めるようになったもの。進歩の過程が見えます。)部活の朝練の時、友達が買ったミスタードーナツの薄いコーヒーを貰い飲みして、やっとコーヒーが飲めるようになった。だから今でも、砂糖とミルクの入ったコーヒーが飲めない。なんだか気持ち悪くなってしまうのだ。コーヒー牛乳も後味が悪い。でも、イタリア、フィレンチェ郊外のホテルのカフェオレはすーーーごくおいしかった。コーヒーのポットとミルクのポットがテーブルにおいてあり、自分で勝手な分量で注いでよしというもの。イタリアはステーキもおいしかったので、多分、牛乳(牛)が違うんだろう。もう一度飲みたい