うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

empty warning(残量警告)

2005年06月24日 | 語る!
ブログをはじめて50日が経とうとしている。
私は世の中に向かって叫びたいことが取り立ててあるわけではなく、一人の大人と話すことなく過ごす日があるような、「引きこもり」的生活を送っている「普通の人」だ。
ふとしたきっかけでブログをはじめることになったわけだが、それもリハビリのようなものかも知れない。
大人になるまでの私は「普通の子」ではなかった。人生を+-の座標で表すとしたら、私の10代までは随分と(-)の方に寄っていた。だから、ゼロ地点に立てるよう学校の勉強をした。そうして、色々なものを手に入れた。目に見えるもの、見えないもの。とにかく、人並みに見えるようにはなった。何も知らない人から見れば、私は多くのものを持っているように見えるかもしれない。どんなことも、事も無げにやっているといわれたこともある。しかし、私にとってそれはゼロに戻れただけのことでしかない。世の中が平等になったといっても、自分の意思にかかわらずマイナスから人生を始めなければいけない人たちはいるものだ。世に言われるカテゴリー以外にも、いろいろな意味での「マイノリティー」は、「普通の人」の対極に存在する。
そうして、自分の「少数具合」をそれらの人は語りもしないだろう。「普通の人」に成れることは「普通の人」が考える以上に難しいことだ。

そうやって、世の中を渡ってきたが、emptyのランプが点滅し始めた。
「普通の人」として世の中を騙していけることに慢心して、マイナスからゼロの間に埋めたものがスカスカになってきたみたいだ。
10代に手に入れたものはまだ幾分、有効のようだが、それらが過去の蓄財でしかないことは自分が一番よくわかる。

10代の頃、十数年日記を書いていた。それと同じように、身を削って文章を書きたいと思っている。だから、この場を借りて、リハビリをしている。

ここを訪れてくださる方には、本当に感謝をしている。もし、お願いできるなら、ABCでも○△×でも12345でも甲乙丙でも優良可不可でも100点満点でも結構なので、その日の記事に採点だけでもしていただけると、うれしい。勝手なお願いだけど。
コメント (29)
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