ここ音戸の瀬戸公園にある戦争遺跡は、三高山堡塁跡の兵舎である。また火薬庫もあったが、入船山に移転されている。この高烏堡塁は、敵艦船の進入を阻止するために使われることはなかった。しかし、太平洋戦争中は防空砲台として高角砲(十二糎七高角砲6門)などの施設が設置された。太平洋戦争時、米艦載機の襲撃を受けてた。1945年3月および7月の呉軍港空襲時には、この高烏防空砲台でも激しい戦闘が行なわれた。
急流と渦潮で名高い音戸の瀬戸は、吉川英治文学・新平家物語の舞台でもある。800年余り前、この瀬戸を切り開いたのは平清盛公である。平正盛(清盛の祖父)忠盛(父)が瀬戸内海の海賊追討により、平家は瀬戸内海に深い関係をもつようになる。1146年清盛公は安芸守に任ぜられ、以後十年間国司として安芸の国を開拓し、その後宮島に厳島神社を創建することとなる。厳島神社は、祖父以来関係が深い瀬戸内海の霊島である。安芸寺時代の清盛は、軍事力、財政力は有しつつも、中央政界では伸び悩んだことから、霊験あらたかな厳島神社に今後の栄達、繁栄を祈願するようになったと思われる。かくして、音戸の瀬戸開削のことを、「清盛音戸をして芸海の航路を便にし厳島詣に託して促す」と記されることとなる。