アカデミックなエリート画家は時代とともに評価が薄れ、印象派時代に推移する
カバネル、アレクサンドル1823-1889の絵画
⇒エコール・デ・ボザールパリ国立美術学校卒業
⇒ローマ賞獲得----コンクールで優勝すると国費でローマに留学できる
⇒サロンに出品@1863 その後ナポレオン3世が買い取る
⇒芸術アカデミーの会員
⇒パリ国立美術格好教授
ブーグロー、ウィリアム 1825-1905の絵画
⇒サロンに出品@1879 その後国家が買い取る
⇒ローマ賞獲得----コンクールで優勝すると国費でローマに留学できる
⇒サロンに出品@1879 その後国家が買い取る
⇒芸術アカデミーの会員
⇒パリ国立美術格好教授
ヴィーナスの誕生の共通点
・アカデミー絵画の最高峰
・海の上に浮いている----人間ではない
・裸体の理想化
・コントラポストのポーズ
・肌は筆の後を残さずに滑らか
・究極の快楽ポーズ
・社会的に評価されサロンで国家買取
19世紀当時のサロン審査員は皆二人のようなエリート画家
・審査基準は同じようなアカデミックな絵画
⇒色彩よりも形重視 :デッサン力
⇒美とは感情ではなく理性 :美の理由が重要
⇒美は普遍的でなければならない :安定構図、プロポーション、遠近法
⇒ジャンルの階層化 :歴史画>肖像画>風俗画>風景画>静物画
⇒階層別絵画の大きさ :大>>>>>>>>>小
・従って審査員の評価向上にも繋がる
・既に社会的地位を持った芸術家の自己評価システムがサロン
・エドワード・モネの「オランピア」@1863など印象派は評価されない----サロン落選
・批判したのはカバネル&ブーグロー
19世紀後半になるとアカデミーの力が弱くなる
・スポンサーが王族、貴族から一般ブルジョア市民
・歴史画よりも理解しやすい風景画を好む
・美術批評家登場⇒アカデミーを批判し人気が出て金になる
・印象派が承認されるようになる
1867 パリ万博
1868 エドワール・マネと知り合い、モデルとなる
上流階級派VS庶民派の仲介役(ピサロも同様)
仏文化人の交流を促進
モリゾはマネの反対を押し切って第一回印象派展に参加@1874 マネ離れ
マネはサロンへの出品・評価を重要視する正当派
モリゾは以降印象派にどっぷり漬かっていく
マネは印象派展に参加せず セザンヌ批判
子供の可愛いらしさを描く先駆け
印象派展以降に絵がブレイク@フッソバラドン画廊 Byテオ@1892
ウジェーヌ死亡@1892
モリゾ死亡@1895
ジュリー・マネの親代わりが詩人ステファヌ・マラルメ1842-1898 ドガ、ルノアールなども面倒を見る
詩人ポール・ヴァレリ1871-1945 エミール・ゾラ1840-1902
1874 モリゾはマネの弟ウジェーヌと結婚して娘ジュリー(画家)を出産
オーギュスト・マネ1797-1862(仏高級官僚)
┣エドワール・マネ1832-1883(アトリエ@バティニオール地区)
┃ ┃ ルノアール1841-1919、バジル、シスレー1839-1899などが集まる(バティニオール派)
┃ ┃ バジル1841-1870、モネ1840-1926、ルノアール、シスレー@ラ・コンダミンヌ通りのアトリエ
┃ ┣レオン(オーギュスト・マネの子?)
┃シュザンヌ・マネ1829-1906(オーギュスト・マネの愛人、ピアノ講師、画家)
┣ギュスターヴ・マネ
┗ウジェーヌ・マネ1833-1892
┣ジュリー・マネ1877-1966
┃ 1900┣3人
┃エルネスト・ルアール1874-1942(アンリ・ルアール1833-1912の子:画家)
┃
┣ベルト・モリゾ1841-1895(エドワール・マネのモデル、恋人、画家)
┣エドマ・モリゾ
┗イヴ・モリゾ(ドガに好かれていたらしい)
┣ジャンヌ・ゴビヤール
テオドール 1900┣
ポールヴァレリー1871-1945(マラルメの弟子)
大胆な裸婦画を描いたのがエゴン・シーレ1890-1918
妹の裸婦画を描く
幼女誘拐逮捕歴あり
1906 グスタフと親交
伝統分離派
「家族」で描かれているのはシーレと妻のエーディト
1918 師匠のグスタフ・クリムトが死亡
同年、エーディト、およびエーディトの胎内にいた子どもはスペインかぜで死亡
その3日後にシーレもスペイン風邪により28歳で死亡
アトリエでセットを作って再現
1789 フランス革命後第一共和制
1804 第一帝政: ナポレオン1世
1814 王政復古: ルイ18世1755-1824
1815 第一帝政再興: ナポレオン1世
1815 王政復古: ルイ18世
1824 王政復古: シャルル10世1754-1836
⇒言論弾圧 選挙権削減
(下院解散、選挙法改正の勅令)
1830 7月王政:ルイ・フィリップ1世1773-1850 オルレアン朝
1830 7-25
1830 7月革命
7‐27 激怒した政治家、市民は武装蜂起して3日間市街戦(栄光の三日間)
7‐28 最激戦
7‐29 市民側が優勢
革命後のエピソード
⇒仏理系の最高学府エコール・ポリテクニック学生40人が参加
⇒そのうちの一人アルコール君が三色旗を持って群衆を扇動
結果命を落とすことになるが、シテ島から右岸に通じる橋はアルコール橋として今も残る
⇒ピストルを持った少年が王立衛兵隊に突進発砲
⇒7-28午後、パリ市庁舎の上で三色旗がはためき、鐘が鳴らされた
1848 第二共和政: ナポレオン3世
1852 第二帝政 : ナポレオン3世
1870 国防政府 : パリコミューン
1871 元首制
ロマン派:リベラル、現実
ウジェーヌ・ドラクロワ1798-1863
文語:ラテン語 口語:ロマンス語 → ロマン主義
「民衆を導く自由の女神@1830」 自由を擬人化(アレゴリー)したもの @ルーブル美術館
当時は批判の的
右の少年 :手に1816年製騎兵隊用リボルバー
カルチェラタンの学生帽
ビクトルユーゴーはこの少年を「レ・ミゼラブル」に登場
足元の女性 :一般市民
シルクハットの男性 :狩猟用の銃を持つ
幅広のズボンをはいた職人
ベレー帽をかぶる男性 :防護エプロンをつけた工場労働者
1816年製歩兵隊サーベルを持つ
国民衛兵の帽子をかぶる少年:フルーレを持つ
前景の中央死体 :軍服を着たスイス人守備隊---襟の赤い紋章
前景の右側死体 :胸甲騎兵
後景には群衆、王立衛兵隊、ノートルダム大聖堂
1831 発表 大批判の後 政治的として非展示
1855 第一回万博で展示(アングル、ドラクロワ大回顧展)
因みに出品拒否されたクールベは万博会場に勝手に出品
⇒このゲリラ個展が世界最初の個展
⇒第一回印象派展開催に繋がる
1874 ルーブルでの常設展示
1999 東京国立博物館に一か月展示「民衆を導く自由の女神」⇒日本のマスコミが命名
・Saint-Denys-du-Saint-Sacrement Church
シャルル10世の時代の教会
「ピエタ」Byドラクロワ@1844
・18世紀のフランス革命で多くの壁画破壊
19世紀に修復活動
ロマン派のドラクロワが修復担当
・ドラクロワ1798-1863
独身 家政婦と暮らす
Rue de Furstembergに移住(「フェルスタンベール街6番地にアトリエ」)
現在はドラクロワ美術館:2階が住居
⇒有名なカフェ ドゥ•マゴ、カフェ・ド・フロールは近く---知識人のたまり場
⇒この建物の上の階にバジールがいた
サルトル 1905-1980
ボーボワール1908-1986
ランボー 1854-1891
ヴェルレーヌ1844-1896
ピカソ 1881-1973---ここで写真家ドラ・マールと出会う
・カフェ・ド・フロール---同様
アカデミー画家アメディ・ブルジョワ1797-1837が描いた7月革命
【皇女ソフィア1657-1704】
皇女ソフィアはピョートル1世の異母姉。ミロスラフスカヤ家の繁栄を願ってナルイシキナ家を排除しようとしたが失敗。その首謀者ソフィアを幽閉。当時の「ソフィア皇女」の肖像画を残したのはイリア・レーピン1844-1930である。その容貌が相まって極めて有名な歴史画として残っている。
アレクセイ_モスクワ大公1629-1679
┃ ┣ソフィア・アレクセーエヴナ1657-0704
┃ ┃ 銃兵隊の反乱を起こしてイヴァンを5世として復活@1682
┃ ┃ ソフィアは摂政として実権を握る
┃ ┃ 愛人ヴァシーリが宰相
┃ ┃ クリミア戦で失敗---フョードル優位
┃ ┃ ソフィアは再び挙兵@1698
┃ ┃
┃ ┣フョードル 1661-1682---病弱 即位1676
┃ ┣イヴァン 1666-1696---病弱 即位1682
┃マリヤ・ミロスラフスカヤ1625-1669
┃
┣ピョートル1世1672-1725---世継ぎ候補@1682
┃ 反旗を翻したのが皇女ソフィアに対して軍備を整え向かってきたソフィア銃兵隊を殲滅
┃ 姉のソフィアをノヴォジェービチ修道院へ幽閉
┃ ソフィアは再び挙兵@1698---反乱は鎮圧されて処刑も済んだが首謀者がソフィアであるとの証拠がない
┃
ナタリヤ・ナルイシキナ1651-1694
また、「イヴァン雷帝とその息子」「ヴォルガの船曳き」などが知られる。
動力が無い時代、河川での船の逆流運航は人や馬が曳くしかなかった。何時間も何日間も岸辺や浅瀬を歩き続けて船を曳いた。こうした労働は、1929年に禁止された。ヴォルガ河畔にあるルイビンクスは、「船曳きの首都」とも呼ばれ、船曳き人夫らは、歌を歌いながら船を曳いたという。
ロシア美術館所蔵@サンクトペテルブルグ
【キュビズム展】 2024-3-20~7-7 @京セラ美術館
パリ・ポンピドゥーセンターから50点以上が来日 1910年代のアーティスト40人
ギャラリー・キュビスト
・ジョルジュ・ブラック 1882-1963 ギャラリー展 モンマルトル派
・パブロ・ピカソ 1881-1973 ギャラリー展
・ファン・グリス 1887-1927
サロン・キュビスト
・フェルナン・レジェ 1881-1955 ’60に流行
・モディリアーニ 1884-1920 サロン展
・マリー・ローランサン 1883-1956
・ル・コルビュジェ 1887-1965 @スイス時計職人→画家→建築家(国立西洋美術館設計)
・アンリ・マティス 1869-1954
・モーリス・グラマンク 1876-1958
・Du Cubism パンフレット →セクシオン・ドールというグループ結成@1912:by モンパルナス派
┣アルベール・グレーズ 1881-1953
┗ジーン・メタンジュ 1883-1956
米進出
・ピュトー派3兄弟
┣レイモン・デュシャン 1876-1918 彫刻家
┣マルセル・デュシャン 1887-1968 ダダ展開
┗ジャック・ヴィオン 1875-1963 版画家、画家
・キュビズム→抽象に移行
┣ロベール・ドローネ 1885-1941
┃ 「パリ市」 @1910 サロン・ドートンヌ@1912の目玉
┃ 「円形、太陽」@1913 抽象
┗ソニア・ドローネ 1885-1979
点描画 → フォービズム → キュビズムの流れをたどる
1906 セザンヌ死去1839-1906 : 遠近法、質感無視
セザンヌ回顧展 → ピカソ、ブラックは影響を受ける
民族美術ブーム:アフリカ彫刻、ゴーギャン
アフリカ彫刻の時代
1906 ファン・グリス1887-1927 スペインからパリ-モンマルトル-洗濯船へ
マティスをキュビズムにした男
ピカソと同郷だが・・・
モンパルナス派とサロンに出品
1913 ダニエル・アンリ・カーンワイラーと契約 フェルナン・レジェ1881-1955も契約
1915 「朝の食卓」
1907 アヴィニオンの娘たちByピカソ : スペインのアヴィニオンは売春街
仲間からは不評・・・
セザンヌ大回顧展
ブラックの評価に初めてキュービズム登場
1908 キュービズムブーム---遠近法や立体表現を用いない : セザンヌ的キュビズム--複数視点
カーン・ワイラー1884-1979(独ユダヤ人でフランスの画商)画廊でジョルジュ・ブラックの個展開催
ジョルジュ・ブラック「レスタックの高架橋」
1909 伊未来派宣言 By 詩人マリネッティ ⇔ キュビズム
1910 肘掛け椅子に座る女性 : 分析的キュビズムの時代---抽象的表現、背景の曖昧化
「パリ市」 By ロベール・ドローネ1885-1941
→ サロン・ドートンヌの目玉@1912
→ 「円形と太陽」@1912 : 抽象
立体未来派:クボ・フトゥリズム@ロシア
→ カジミール・マレーヴィチ1879-1935
→ 黒い正方形@1915 : 絶対主義シュプレマティズム
1911 キュービズムが世界的なブーム@ New York Times
恋人No.2 エヴァ・グエル 早世:総合的キュービズムの時代---要素統合、現実世界回復
「ロシアとロバとその他のものに」マルク・シャガール1887-1985
→ ベラルーシのユダヤ人
→ 美術学校校長@ヴィーツェプスク町
1911 ピュトー派:デュシャン3兄弟 --- ピュトーはパリ北西10kmの町
ピュトー派3兄弟
┣レイモン・デュシャン・ヴィオン 1876-1918 彫刻家
┣マルセル・デュシャン 1887-1968 ダダ展開
┗エミール・デュシャン:ジャック・ヴィオン 1875-1963 版画家、画家
1912 セクシオン・ドールというグループ結成 : by モンパルナス・キュビスト
キュビストの家
サロン・ドートンヌ
1913 ジョルジュ・ブラック「果物皿とトランプ」
1914 第一次世界大戦
パトロン画商カーン・ワーラの出資凍結
相棒ブラックは出兵
ピカソ、ブラックのキュービズムの終焉(但しそれ以外の画家がキュビズムに邁進)
1917 ロシア革命 共産主義風潮
1920 ピュリズム By コルビュジェ
1925 国際装飾芸術博覧会@仏 → アール・デコ:幾何学図形の装飾美術 ⇔ アールヌーボー:有機的優美な装飾美術
ギヨーム・アポリネール1880-1918 NY・ダダの先駆者
┣❤
マリー・ローランサン1883-1956 【贅沢大好き!パリ生まれ】⇔ フェルナンド
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣❤ ┣❤
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ピエール・ロシェ1879-1959 ピカソ
┃ ┃ ┃ ┃ ┣❤
┃ ┃ ┃ ┃ジョルジュ・ルパプ 『Vogue』誌などで活躍したイラストレーター
┃ ┃ ┃ ┣❤
┃ ┃ ┃ニコル・ポワレ モード界の帝王
┃ ┃ ┣❤紹介したのはロシェ
┃ ┃オットー・フォン・ヴェッチェンドイツ人男爵と結婚:夫婦でスペインに逃亡@1914--藤田嗣治、堀口大学と出会
┃ ┣❤
┃フランソワ・ピカビア1879-1953 「391:ダダイズム美術雑誌」創刊
┣友
マルセル・デュシャン1887-1968NY・ダダ派
ココ・シャネル1883-1971とともに1920年代に大活躍
江戸時代の代表的な画家 1500 1600 1700 1800 1900
・宮本武蔵1584-1645 水墨画 *******
・葛飾北斎1760-1849 富嶽三十六景 北斎漫画 ********* 富嶽百景
・平賀源内1728-1780 蘭画家 ******
・歌川広重1797-1858 ****** 東海道五十三次 名所江戸百景
・伊藤若冲1716-1800 狩野派に師事 ********* 升目描法 釈迦十六羅漢図屏風
・頼山陽 1781-1832 思想家 水墨画 ****** 寒岩枯木図
・与謝蕪村1716-1784 俳人 文人画 *******
・渡辺崋山1793-1841 三河家老】画家 蛮社の獄 ******* 亀台金母図
・円山応挙1733-1795 円山派 ******* 源氏物語図屏風
・俵屋宗達 ?-1643 大和絵、蒔絵 琳派の祖 ?***** 風神雷神図
・尾形光琳1658-1716 ******** 紅白梅図屏風
・長谷川等伯1539-1610 ********** 日蓮上人像
・蘇我蕭白1730-1781 *****
・酒井抱一1761-1829 ******* 松風村雨図
・菱川師宣1618-1694 浮世絵確立 ******* 見返り美人図
江戸時代の代表的な画家 1500 1600 1700 1800 1900
日本の代表的な画家 1800 1900 2000
・竹内栖鳳1864-1942 日本画家四条派 ******** 狐狸図
・横山大観1868-1958 近代日本画の巨匠 輪郭線を廃する技法 ********* 朧月
・下村観山1873-1930 狩野派 東京美術学校一期生 日本美術院設立with岡倉天心 ****** 白狐
・川合玉堂1873-1957 四条派、狩野派 東京美術学校教授 ******** 鵜飼
・鏑木清方1878-1972 浮世絵師 泉鏡花の挿絵 *********
・菱田春草1874-1911 近代日本画の巨匠 東京美術学校卒 輪郭線を廃する技法---批判 **** 猫梅
・伊藤深水1898-1972 浮世絵師 朝丘雪路の父 鏑木清方の弟子 ******* 仕舞熊野
・上村松園1875-1949 女性初文化勲章 ******** 娘深雪
・前田青邨1885-1977 平山郁夫の師匠 ローマ法王依頼 ********* 竹取物語絵巻
・速水御舟1894-1935 細部描写 **** 京の舞妓
・東山魁夷1908-1999 ********* 残照
・平山郁夫1930-2009 東京美術学校 前田青邨の弟子 ******** 祇園精舎
・片岡球子1905-2008 ***********
・千住博 1958- *********
・松井冬子1974- *******
・加山又造1927-2004 東京美術学校 @1887設立 ********
・小磯良平1903-1988 洋画家 神戸市 ********* 斉唱
・吉田博 1876-1950 洋画家 ******* 帆船
・黒田清輝1866-1924 洋画家 政治家 東京美術学校教授 貴族院議員 ****** 湖畔
・金山平三1883-1964 幻の画家 黒田清輝に師事 東京美術学校主席卒 ******** 渓流
・岸田劉生1891-1929 麗子像 白樺派と知り合う ヒュウザン会結成with高村光太郎 **** 麗子像
・佐伯祐三1898-1928 洋画家 *** オヴェールの教会
・藤田嗣治1886-1968 洋画家 ******** Self portrait
・原田直次郎1863-1899 洋画家 **** 騎竜観音
・満谷国四郎1874-1936 日本画家 ****** 早春
・中村つね 1887-1924 洋画家 **** エロシェンコ像
・関根正二 1899-1919 洋画家 ** 結核 海@姫路市立美術館
・児島虎次郎1881-1929 洋画家 ***** 西洋婦人像
・熊谷守一 1880-1977 **********
・香月泰男 1911-1974 洋画家 ****** シベリアシリーズ 木炭
日本の代表的な画家 1800 1900 2000
1898 生誕
1918 今の北野高校を卒業して東京芸大入学
自画像
1924 第1回のパリ渡航(2年間) ゴッホ終焉の地オヴェール訪問
立てる自画像
佐伯祐三の代表作品と言われているようであるが、この自画像は佐伯自身が失敗作だ・・・と考えて、顔の部分を壊している。そしてこのキャンバスの裏に「夜のノートル・ダム(マント・ラ・ジョリ)」を描いている。
オーヴェールの教会
ゴッホに心酔してオヴェール訪問したときに描く
酒場(オー・カーヴ・ブルー)
帆船
村役場
運送屋
1925 看板絵を多く描く
広告のある門
1926 結核の為帰国 下落合にて活動
下落合、目白界隈は「池袋モンパルナス」と云われ、佐伯祐三だけではなく、熊谷守一(界隈の自宅が今は美術館)や松本俊介(下落合にアトリエ)なども活動して居た
「1930年協会」結成
下落合風景
下落合風景
白い壁の家(下落合風景)
雪景色
彌智子像 : 祐三の娘 6歳で結核のため病死
1927 第2回のパリ渡航
カフェ・タバ
広告
新聞屋
裏町の広告
靴屋
1928 結核悪化 自殺未遂 精神病院に入院 病死
郵便配達夫
モランの寺
カフェ・レストラン
黄色いレストラン
ル・コルビュジェ1887-1965
・シャルル・エドアール・ジャヌレ・グリ(本名)が設計
・スイス出身仏で活躍
・家は時計職人
・1918 キュビズムの終焉
・1920 ピュリズム宣言:エスプリ・ヌーボー
・1925 国際装飾芸術博覧会@仏 → エスプリ・ヌーボー館:アール・デコ(装飾の傾向)
ソ連館
・1959 国立西洋美術館の開館
当時の主任研究官は高階秀爾1932-
⇒1992に東京国立博物館館長
2002の大原美術館館長
1969に名画を見る眼を出版
・坂倉順三1901-0969は弟子
松方幸次郎1866-1950コレクション
・国立西洋美術館所蔵品の多くは松方幸次郎1866-1950所有
・日本における本格的な西洋美術館の創設を目指しヨーロッパで買い集めた@川崎造船所社長時代
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦期に隆盛を誇る
大型艦の造船も請け負い、川崎造船所は民間では三菱造船とならぶ軍艦造船会社にまで成長
・第一次世界大戦後もヨーロッパに渡り、パリを中心にロダン、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホらの作品を次々に購入
印象派の巨匠・クロード・モネを度々訪れ交流を深め、大量にモネの作品を購入
・1916年(大正5年)から約10年間で、パリの宝石商アンリ・ヴェヴェールから買い受けた浮世絵を含め、作品総数は1万点
・川崎造船所の破綻によってコレクションは売り立てられ国内外に散逸
・第二次世界大戦末期にはフランス政府に敵国人財産として取り上げられる運命を辿る
・国立西洋美術館は、1959年にフランス政府から寄贈された松方コレクションの受け入れ機関として設立
・松方正義1835-1924薩摩藩士----明治期の内閣総理大臣
┣松方巌 1862-1942----貴族院公爵議員
┣松方幸次郎1866-1950----川崎造船所社長@1896 首相秘書官@1891
┃ ┣花子:松本重治1899-1989(近衛文麿のブレーン)の妻
┃九鬼好子:父は九鬼隆義1837-1891(最後の摂津三田藩主 神戸女学院設立)
┣松方三郎 1899-1973----登山家
松方満佐子1842-1920
【オーギュスト・ロダン1840-1917】 地獄の門 カレーの市民@国立西洋美術館
「考える人」
・地獄の門5.4x3.9mの一部@1888
・世界各地にある:鋳造作品
・2-サイズ :モニュメントサイズはH186cm オリジナルサイズはH71.5cm
・命名者は :鋳造者でもあるアレクシス・リュディエ
・地獄の門の上で熟考するダンテ1265-1321を表そうとしたもの
・地獄の門 :工芸美術館用として受注By仏政府@1880
サン・ジョバンニ洗礼堂にあるロレンツィオ・ギベルティ1381-1455の天国の門が参考
旧約聖書の天地創造の物語がモチーフ
・詩人・ボードレール1821-1867の地獄に変化
・工芸美術館建設計画が無くなる@1888
・初代ロダン美術館館長レオンの薦めで鋳造開始@1917
・オルセー美術館にある
・ウゴリーノと子供達ジャン・バティスト・カルボー1827-1875の影響
・パオロとフランチェスカ(不倫の末、兄に殺される)
ロダン自身の不倫(弟子のカミーユ・クローデル1864-1943:堕胎、精神異常)を思わせる
コリール : メメントモリ
モネ : セーヌ河の朝
ロセッティ : 愛の盃
ピカソ : 横たわる女
画風の変遷が激しいマティス
同じテーマの絵が多い
何度も描きなおす
1869 生誕@仏、法律家としてパリへ
1890 入院時に絵と出合い画家を目指す
1891 伝統的指導のアカデミー・ジュリアンを嫌い、エコール・デ・ボザールへ
ギュスターヴ・モロー1826-1898が教師(象徴主義1870-:サロメ)
ジョルジュ・ルオー1871-1958が生徒の筆頭
フォービズムの仲間と出会う
1895 シニャックと過し古風な点描画を描く
夏にはブルターニュへ旅行
1896 読書する女:国民美術協会展で初入選--モデルは恋人カロリーヌ
1897 食卓@国のサロン
カロリーヌと離別
1898 恩師モロー死
アメリー・パレイルと結婚---コルシカ島へ
子供のピエールは大画商
アメリカ現代美術の発展に寄与
反ナチス芸術家の作品を展示@NY-1942
モデル・キャロラインとの子・マルグリッドを引き取る
1899 エコール・デ・ボザール辞める
1903 第一回サロン・ドートンヌ
1904 「豪奢、静寂、逸楽」
初個展
1905 コリウール訪問@36歳
フォービズム(野獣派:大胆な色彩)が脚光を浴びる
第二回サロン・ドートンヌ(秋)展@パリに出品するが激しく批判される
1906 ピカソと親交
1907 キュービズムの台頭によりフォービズムは衰退していく
「豪奢Ⅰ」発表
1917 南仏ニースへ移住
晩年は切り絵に没頭 → ウオーホールに影響を与える
1951 ヴァンスのドミニコ会修道院・ロザリオ礼拝堂を手掛ける
1954 がんで死亡
のちに愛人リディアは自殺未遂
夢
マティスの助手がモデル
キュービズム以降----現代美術 1700 1800 1900 2000
・パブロ・ピカソ 1881-1973 *********
・ジョルジュ・ブラック 1882-1963 ********
・アンリ・ルソー 1844-1910 *******
・ギュスターブ・モロー 1826-1898 *******
・グスタフ・クリムト 1862-1918 ******
・ジャクソン・ポロック 1912-1956 *****
・ジョルジョ・デ・キリコ 1888-1978 *********
・ジョアン・ミロ 1893-1983 *********
・藤田嗣治 1886-1968 ********
・ファン・グリス 1887-1927 ****
・フェルナン・レジェ 1881-1955 ********
・モディリアーニ 1884-1920 ****
・マリー・ローランサン 1883-1956 *******
・ル・コルビュジェ 1887-1965 ********
・アンリ・マティス 1869-1954 *********
・モーリス・グラマンク 1876-1958 ********
・アルベール・グレーズ 1881-1953 *******
・ジーン・メタンジュ 1883-1956 *******
・レイモン・デュシャン 1876-1918 ****
・マルセル・デュシャン 1887-1968 ********
・ジャック・ヴィオン 1875-1963 *********
・ロベール・ドローネ 1885-1941 ******
・ソニア・ドローネ 1885-1979 *********
・カジミール・マレーヴィチ 1879-1935 ******
・マルク・シャガール 1887-1985 **********
・ギヨーム・アポリネール 1880-1918 ****
・ココ・シャネル 1883-1971 *********
・サルバドール・ダリ 1904-1989 *********
キュービズム以降----現代美術 1700 1800 1900 2000
1910- キュビズム
画面が幾何学的に分割されていることと、複数の視点からの眺めをひとつに纏めあげていることが特徴である。キュビズムの運動は1912年に頂点を迎え、その年パリでは「セクション・ドール(黄金分割)」展というキュビスムを集大成するかのような展覧会が開催されている。(アルベール・グレーズ1881年-1953年)
パブロ・ピカソ1881-1973
ゲルニカ
パイプを持つ少年 123億円@2004
アンリ・ルソー1844-1910
蛇使いの女
フォービズム:野獣派 心が感じる色彩重視
ギュスターブ・モロー1826-1898
一角獣:1885 処女を守る一角獣
分離派(新進芸術)
グスタフ・クリムト1862-1918
接吻@オーストリア・ギャラリー
抽象表現主義
ジャクソン・ポロック1912-1956
映画:ポロック_2人だけのアトリエ
プロレタリア美術
津田青楓 「犠牲者」 小林多喜二「蟹工船」
北脇昇「クォ・ヴァディス:どこへ行くのか」
シュールレアリスム
形而上絵画
@1924 By アンドレ・ブルトン
「シュールレアリスト革命」を創刊@1924----デ・キリコの作品掲載
アンドレ・ブルトンはキリコに絶望@「シュールレアリスト革命 第7号」@1926----キリコの古典回帰
美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り と定義
デペイズマン:違和感を感じさせる表現手法
サルバドール・ダリ
古賀春江1895-1933
フランスのシュルレアリスムが日本において前衛芸術として発展を遂げた
「現実離れした奇抜で幻想的な芸術」という意味
@1953
エコール・ド・パリ:パリ派
元々は外国の芸術家をパリの芸術家と区別する呼び方 ⇔ フランス派
現在では上述(パリ全体)総称
@1929
アメリカ美術史の始まり
1918年第一次世界大戦が終わりアメリカの経済は好景気に沸く
ニューヨーク近代美術館Moma@1929
ホイットニー美術館@1931
ソロモンRグッケンハイム美術館@1939
アメリカンポップアート@1950代
超写実主義 スーパーリアリズム@1970頃
ホキ美術館
礒江毅=グスタボ・イソエ
アンドリュー・ワイエス1917-2009
新古典主義~ポスト印象派 1700 1800 1900 2000
・ジャック=ルイ・ダヴィッド 1748-1825 ******** ナポレオン1世の戴冠式
・ドミニク・アングル 1780-1867 ********* グランド・オダリスク
・テオドール・シャセリオー 1819-1856 **** アクタイオンに驚くディアナ
・ウジェーヌ・ドラクロワ 1798-1863 ******* 民衆を導く自由の女神
・リチャード・ダッド 1817-1886 ******* 妖精・フェアリー
・ヘンリー・フュースリー 1741-1825 ******** 悪魔
・テオドール・ジェリコー 1791-1824 **** メデュース号の筏
・ギュスターヴ・クールベ 1819-1877 ****** オルナンの埋葬
・エリザベート・ルイーズ・ルブラン 1755-1842 ******** 麦藁帽子をかぶった自画像
・アンリ・ファンタン=ラトゥール 1836-1904 ******* 聖杯
・ジャン=フランソワ・ミレー 1814-1875 ****** 落穂拾い
・クロード・モネ 1840-1926 ********* 日の出
・ピエール=オーギュスト・ルノワール1841-1919 ******** 雨傘
・フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 **** 星月夜
・エドゥアール・マネ 1832-1883 ***** 草上の昼食
・カミーユ・ピサロ 1830-1903 ******* 白い霜
・ギュスターヴ・カイユボット 1848-1894 ***** 床削りの人々
・ジョルジュ・スーラ 1859-1891 *** サーカス
・エドガー・ドガ 1834-1917 ********* バレエ教室
・アンリ・トゥールーズ=ロートレック1864-1901 **** ムーラン・ルージュ
・ポール・ゴーギャン 1848-1903 ****** 我々はどこから来たのか
・ポール・セザンヌ 1839-1906 ******** タンギー爺さん
・エドヴァルド・ムンク 1863-1944 ******** 叫び
新古典主義~ポスト印象派 1700 1800 1900 2000
フランスの哲学者 1700 1800 1900 2000
・ジャン・ポール・サルトル 1905-1980 ******** 無神論的実存主義
・ジョルジュ・ソレル 1847-1922 ******* 社会主義 マルクス主義
・アンリ・ベルクリン 1859-1941 ******** 生の哲学
・エドゥアール・ル・ロワ 1870-1954 ********
・ジル・ドゥルーズ 1925-1995 *******
・モーリス・ポンティー 1908-1961 *****
・シモーヌ・ド・ボーボワール 1908-1986 ********
・アレクサンドル・コジェ 1902-1968 *******
フランスの歌手 1700 1800 1900 2000
・エディット・ピアフ 1915-1963 ***** 愛の賛歌 バラ色の人生
・シルヴィー・ヴァルタン 1944- ******** あなたのとりこ
・アリゼ 1984- **** 恋するアリゼ
・イヴ・モンタン 1921-1991 ******* 枯れ葉
・ダニエル・ビダル 1952- ******* オー・シャンゼリゼ
・ダリダ 1933-1987 ***** パローレ 甘い囁き
・シャルル・ボードレール 1821-1867 *****
1780- 新古典主義:保守、理想
(ギリシャブーム:推進者はナポレオン)
マドレーヌ寺院・内部は教会:まるでパルテノン神殿
ジャック=ルイ・ダヴィッド1748-1825
皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌの戴冠式
ドミニク・アングル1780-1867
ジャック=ルイ・ダヴィッド1748-1825の弟子は400人以上いたと言われているが、ドミニク・アングルはその一人。
アングルの弟子にテオドール・シャセリオー1819-1856がいる
ディアナ(月神)の水浴を見たテーバイ王子・アクタイオンは鹿に変えられ、飼い犬に噛み殺される
ロマン派:リベラル、現実
ウジェーヌ・ドラクロワ1798-1863
文語:ラテン語 口語:ロマンス語 → ロマン主義
民衆を導く自由の女神@ルーブル美術館
【この時代の英国】
リチャード・ダッド 1817-1886 「お伽の樵の入神の一撃」「眠るティターニア」大妖精ブーム 父殺しでベスレム精神病院
ヘンリー・フュースリー1741-1825 師は文献学者 絵画留学@伊 パトロンは版画家ボイデル 「悪夢」王立アカデミー会員@1788
妖精画のさきがけ「ティターニアとボトム」@国立西洋美術館
ロバに変身したボトムをティターニアが愛するシーンは、真夏の夜の
1829年 カトリック解放令
アンスター・フィッツジェラルド 1819-1906
ジョゼフ・ノエル・ペイトン 1821-0901「オーベロンとティターニアの諍い」真夏の夜の夢から
ティターニア:妖精の女王
ドレイパー 1863-1920 「ユリシーズ(オデュッセウス)とセイレーンたち(元々ギリシャ神話では鳥)」
「イカロスの羽根」父は発明王ダイダロス---パリ万博で金賞
テオドール・ジェリコー1791-1824
メデューズ号の筏@ルーブル美術館
1830- 写実主義
ギュスターヴ・クールベ1819-1877
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン1755-1842
アンリ・ファンタン=ラトゥール1836-1904
@オルセー美術館
1870- 印象派
ジャン=フランソワ・ミレー1814-1875
落穂拾い@オルセー美術館
クロード・モネ1840-1926
@オランジュリー美術館
ピエール=オーギュスト・ルノワール1841-1919
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会@オルセー美術館 92億円@2010
ダンベール家の長女・イレーヌ嬢@チューリッヒ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ1853-1890
オーヴェルの教会@オルセー美術館
医師ガシェの肖像 125億円@1990
エドゥアール・マネ1832-1883
草上の昼食@オルセー美術館
フォリー・ベルジェールのバー
カミーユ・ピサロ1830-1903
ジョルジュ・スーラ1859-1891
@米シカゴ美術館
エドガー・ドガ1834-1917
@オルセー美術館
後期印象派
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック1864-1901
ポスト印象派
ポール・ゴーギャン1848-1903
自画像@ゴッホ美術館
ポール・セザンヌ1839-1906
サント・ヴィクトワール山@英コートールド・ギャラリー
表現主義
エドヴァルド・ムンク1863-1944
叫び@オスロ国立美術館
紀元前後- 古代ギリシャ-ローマ ポンペイの壁画 立体的
1200- ロマネスク壁画 スペイン・ボイ渓谷の壁画 平面的
ゲルマン民族の大移動によって稚拙になったわけではない
キリスト教(偶像崇拝禁止)により絵はイコン化した
文化の中心地はコンスタンチノープル(ビザンツ帝国 ギリシャ圏)
ウラジミールの生神女@1131(マリア様のこと)
ロマネスク~新古典主義 1200 1300 1400 1500 1600 1700 1800
・ジョット・ディ・ボンドーネ1267-1337 ******* スクロベーニ礼拝堂
・シモーネ・マルティーニ 1284-1344 ****** 荘厳の聖母
・フラ・アンジェリコ 1395-1455 ****** 受胎告知
・ヤン・ファン・エイク 1395-1441 ***** アルノルフィーニ夫妻
・レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452-1519 ******* モナリザ
・ラファエロ・サンティ 1483-1520 **** アテナイの学堂
・サンドロ・ボッティチェッリ1445-1510 ****** プリマヴェーラ
・ティントレット 1518-1594 ******** 受胎告知
・ティツィアーノ 1488-1576 ********* エウロペの略奪
・ドメニコ・ギルランダイオ 1449-1494 **** 老人と少年の肖像
・ミケランジェロ・ブオナローティ1475-1564 ********* システィーナ礼拝堂
・アーニョロ・ブロンズィーノ1503-1572 ******* 本を持つ青年の肖像
・パルミジャニーノ 1503-1540 **** バラの聖母
・アンニーバレ・カラッチ 1560-1609 ***** 狩猟
・アルバーニ 1578-1660 ******** 聖家族
・グイード・レーニ 1578-1642 ****** 嬰児虐殺
・カラヴァッジオ 1573-1610 **** いかさま師
・リベラ 1591-1652 ****** えび足の少年
・サルバドール・ローザ 1615-1673 ******アストラーアーの出現
・ピーテル・パウル・ルーベンス1577-1640 ******* キリスト昇架
・ディエゴ・ベラスケス 1599-1660 ****** ラス・メニーナス
・ジョルジュ・ラ・トゥール 1593-1692 ********** 女占い師
・モーリス・ド・ラ・トゥール1704-1788 ポンパドゥール夫人 ********
・ジャン・オノレ・フラゴナール1732-1806 ******* ぶらんこ
・フランシスコ・デ・ゴヤ 1746-1828 ********
・エルグレコ 1541-1614 *******
・ヨハネス・フェルメール 1632-1675 ****
・レンブラント・ファン・レイン1606-1669 ******
・ジャック=ルイ・ダヴィッド1748-1825 ********
・ドミニク・アングル 1780-1867 *********
・テオドール・シャセリオー 1819-1856 ****
ロマネスク~新古典主義 1200 1300 1400 1500 1600 1700 1800
1300- ジョット :ルネサンスの幕開け
ギリシャ-ローマ写実を持込(荘厳の聖母)
神を人間っぽく描く
14世紀後半 :国際ゴシック
シモーネ・マルティーニ1284-1344
1400- カトロケント:ルネッサンス開花
ピサネッロ:うずらの聖母@1420
マゾリーノとマザッチョ:聖アンナと聖母子@1424
聖人は年をとらないのに、聖アンナを婆さんに描く : 人間っぽく描く
200年後にカラバッジョが同じことをして顰蹙を買う
フィレンツェの画家はみんな教会に模写しにいく
この時ミケランジェロが「先輩は絵が下手」と言ったので殴られて鼻が歪んだという逸話がある
受胎告知@1440頃 フラ-アンジェリコ(あだ名:天使の修道士) :遠近法-人間らしさ
┣アナウンシエーション
┣大天使
┃ ┣ミカエル :戦い
┃ ┣ガブリエル:伝令
┃ ┣ラファエル:
┃ ┗ウリエル :
┣聖母マリア
┣四福音書-ルカに登場
┣四福音書-マルコ、ヨハネには生前の話はない
┣四福音書-マタイではヨセフの夢にでてくる
┣アベ~マリ~ア・・・
┣洗礼者聖ヨハネの母エリザベトにも受胎告知するガブリエル
┣告知理由:旧約聖書-イザヤ章にあるインマヌエル予言確認→キリスト教の根幹
┣マリア信仰盛んになる---エフェソス公会議@431
┣場面①挨拶②困惑③受胎告知④質問説明⑤受容
┣マリアは読書@13Cゴシック以降
┣ガブリエルは百合の花:純潔
┗精霊:鳩
ヤン・ファン・エイク@1395-1441
┣バイエルン公ヨハン3世1374-1425に仕える
┣ブルゴーニュ公フィリップ3世1396-1467(フィリップ善良公)の宮廷に迎えられた@1425
┣外交官
┣北方ルネサンス:初期フランドル派を代表する画家たちと親交
┃┗ルネッサンス絵画開花に大きく影響
┃
┣圧倒的遠近法+細密画法 ---油絵が発達(イタリアではフレスコ、テンペラ画)
┃┣ヘントの祭壇画
┃┗ジョヴァンニ・アルノルフィーニ夫妻像
┃ ┣スペイン王室にあった--ベラスケスの「ラスメニーナス」に影響
┃ ┣超細密画
┃ ┣窓の外にさくらんぼ:季節は初夏なのに二人は厚着
┃ ┣
┃ ┣イタリアの商人、金持ちだが貴族ではない
┃ ┣パノフスキーハーバード大学教授が絵の論文発表
┃ ┣婚礼証明図:中央の凸面鏡
┃ ┣凸面鏡の中にエイク本人と妻マルガレーテがいる:赤いターバン
┃ ┣凸面鏡上の署名:ヤンファン・エイクはここにいた@1434---結婚の立会人
┃ ┣犬 :忠誠のシンボル
┃ ┣オレンジ :多産のシンボル
┃ ┣サクランボ :愛の象徴
┃ ┣龍の上の聖マルガリータ:安産
┃ ┣ところが、アルノルフィーニ結婚は記録から1441年と判明@1997
┃ ┣アルノルフィーニは従妹か?妻は1433年に死亡@2月
┃ ┣ベルギー→スペイン→イギリス
┃ ┣
ゴシック
┣壁が無いので板絵が発達---細密画発達
┃ ┣12世紀--イコン的、ほぼロマネスク
┃ ┣13世紀---ジョット革命:師匠はチマブーエ
┃ ┣ アヴィニオン教皇庁(1309-1377)でシモーネ活躍
┃ ┣14世紀---立体的、遠近法的
┃ ┣1485頃---ランブール兄弟ベリー公のいとも豪華なる時祷書
┃ ┣国際ゴシック ┗ジャン1世1340-1416 ┗ファン・エイク参加
┃ ┣初期フランドル
┃ ┣19世紀---ゴシックリバイバル@英
┃ ┃ カトリック信徒救済法@1829---カトリック復興
┃ ┃ ┗ウエストミンスター寺院:ネオゴシック
┃ ┃ ビッグベン:低音の大きな鐘のこと
┃ ┣19世紀---ゴシックロマンブーム:フランケンシュタイン等怪奇
┃ ┗19世紀---カタルーニャゴシック:ガウディ
┃
┣ゴシック建築は壁が少ないから板
┣Gothic
┣ゴート族的な
┃ ┣ゲルマン民族の一部、375年に移動
┃ ┣ラファエロの手紙に記載@1518
┃ ┣広めたのはジョルジョ・ヴァザーリ:芸術家列伝の著者
┃ ┣混乱、無秩序。奇怪、野蛮 ⇔ 古典
┃ ┣テデスキと言う@イタリア
┃ ┗
┣12-15世紀にかけてアルプスより北側で流行した美術様式
┣最初のゴシック様式はフランス--フランク王国--ゴシックだらけ
┣建築用語
┣ロマネスク →ゴシック →ルネサンス
┃┗ピサ大聖堂 ┗ミラノのドゥオーモ ┗サンタ・マリア・ノヴェッラ
┃ ┗古代ローマ風 ┗無秩序に高い ┗古代ローマ・ギリシャ風
┃ ガリレオのランプ 大都会の教会
┃ 平天井 尖塔アーチ天井
┃
┣妖精、怪物彫刻(ガーゴイル、シメール):ゲルマン、ケルトの信仰
┣フライング・バットレス
┣尖塔アーチ
┣リブ・ヴォールト--窓が大きくとれる---ステンドグラス発達:バラ窓 放射様式
┣火炎様式--14世紀末
┗扇型ヴォールト@英
ルネッサンス最盛期
フラ・フィリッポ・リッピ1406-1469 :フィレンツェ派画家 ボッティチェリの師
┣修道僧
┣修道女をさらって妻帯
┣ボッティチェリは弟子:僧サヴォナローラに心酔
1480- 古代ローマの遺跡が伊・フォロロマーノの地下から発見
それは「黄金宮殿」を含む防災都市 皇帝ネロが建設を指示
AD64の大火事により100万ローマ都市の2/3が消失
多くの芸術家が地下へ潜って天井画、壁画を目撃、模写
その芸術家の中にはラファエロもおり、壁にサインが残っている
天井画「スキロス島のアキレス(トロイ戦争の英雄)」の装飾をヒントに
ラファエロはバチカン宮殿の回廊装飾に取り入れている
まさにこの発見が伊ルネサンスの幕開けと言える
ネロは残虐-国家の敵:By元老院
再開発の土地は元老院所有
ネロの功績は後の皇帝により消された---黄金宮殿は埋められた
歴史家タキトゥス55-1200の年代記によると
火災救済のためにネロは尽力
文化を重要視してギリシャ訪問
1500- 古典主義 :イタリアルネッサンス:閉鎖的、多元的
レオナルド・ダ・ヴィンチ1452-1519
モナリザ@ルーブル美術館
ラファエロ・サンティ1483-1520
アテナイの学堂@バチカン宮殿
サンドロ・ボッティチェッリ1445-1510
プリマヴェーラ ヴィーナスの誕生 @伊ウフィツィ美術館
ティントレット1518-1594
ベネチア出身の画家:世界最大の油絵「天国」@サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
ティツィアーノ1488-1576
ヴェネチア派の巨匠
「天上の愛と地上の愛(聖愛と俗愛)」1514 @ボルゲーゼ美術館
ヴィーナスをふたつの姿で表現
ドメニコ・ギルランダイオ1449-1494
老人と孫
ミケランジェロ・ブオナローティ1475-1564
最後の審判@伊システィーナ礼拝堂
マニエリスム:混乱世相表現、謎解き
16世紀のルネサンスをさらに極めようとしたが失敗した様式
By ジョルジョ・ヴァザーリ
不安定
S字曲線
引き延ばされた人体
左右非対称
寓意性
浮遊感
アーニョロ・ブロンズィーノ1503-1572
パルミジャニーノ1503-1540
フィグーラ・セルペンティナータ:蛇状型 S字曲線 元祖はミケランジェロ
肌はなめらかで生気がない技法: 元祖はラファエロ 高貴で優雅 歯を見せて笑うのは下品で馬鹿
1530- フォンテーヌブロー派@フランス ルネサンス期の宮廷
浴槽のガブリエール・デストレー姉妹@ルーブル美術館
1580- バロック----楕円-躍動-過剰-対比-感覚的
16C初宗教改革-宗教戦争‐北欧プロテスタント-トレント公会議-聖像活用
アンニーバレ・カラッチ1560-1609 :カラッチ派@ボローニャ
┗ アルバーニ1578-1660 グイード・レーニ1578-1642
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ1573-1610
カラヴァジェスキ
@サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
┗ リベラ1591-1652@ナポリ
┗ サルバドール・ローザ1615-1673
ピーテル・パウル・ルーベンス1577-1640
@英ナショナル・ギャラリー
グエルチーノ:カトリック復興
ディエゴ・ベラスケス1599-1660
@スペイン・プラド美術館
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール1593-1692
ルイ13世に召し抱えられたが、死後忘れ去られた。再発見は20世紀初頭
いかさま師(ダイヤの札版)@ルーブル美術館
1750- ロココ :@ルイ15世フランス宮廷
モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール1704-1788
@ルーブル美術館
ジャン・オノレ・フラゴナール1732-1806
英ウォレス・コレクション
フランシスコ・デ・ゴヤ1746-1828
@スペイン・プラド美術館
エルグレコ1541-1614
ヴィザンチンのイコン画家
マニエリズムの代表的画家
作品のほとんどが宗教画
倉敷の大原美術館(豪商大原孫三郎)に受胎告知がある By 児島虎次郎@1922
ヴェネチアで西洋画を学ぶ -- ティッツイアーノ1488-1576の弟子
ファルネーゼ枢機卿1520-1589に雇われる@ローマ
ミケランジェロの批評をしてローマに居られなくなりスペインへ移住?
古都トレド(1085年にキリスト教が奪還)で大人気
1561年に首都がトレドからマドリード
フェリペ2世からの依頼でブレイク 聖マウリティウス(古代ローマ兵)の殉教@サンモリッツ
フェリペ2世からのダメ出しで宮廷画家になれず
ラオコーン : 世界三大絵画
日本と縁が深い : 天正遣欧少年使節
(児島虎次郎はジョヴァンニ・セガンティーニ:アルプスの真昼も1922年購入、大原美術館所蔵 当時日本で大人気)
(斎藤茂吉:息子は北杜夫 も感動したという)
ジョヴァンニ・セガンティーニ:人生最後まで無国籍 30歳迄識字能力なしでブレラ美術アカデミー入学
無国籍なので事実婚生活 標高の高いところに移住
ヨハネス・フェルメール1632-1675
@アムステルダム国立美術館
@独シュテーデル美術館
レンブラント・ファン・レイン1606-1669:プロテスタント
夜警@アムステルダム国立博物館
自分のことを古典的な大画家だと信じていた天然の素人画家、のちにフォービズム、キュービズムに影響を与える
1844 生誕@フランス西北のラヴァル
中学卒業後に就職するが事務所の金横領
懲役に代わって兵役7年
除隊後グレマンスと結婚
1870 普仏戦争従軍
1861 仏はメキシコ出兵--この時従軍したからジャングルを知っていると嘘言う
1871 税関就職@パリ
1884 美術アカデミーのフェリックス・クレマンと出会い模写許可得る
1885 サロンに出品-落選-アンデパンダン展に出品
新聞に掲載:皆の笑いもの
1889 パリ万博
1893 退職-年金生活-画家
1899 妻・クレマンス死亡
マリー(ルーブル美術館の受付)に求婚するも失恋
→マリーの夫の肖像画@世田谷美術館:ほかに4点所蔵
大原美術館も所蔵
ジョセフィーヌと再婚(肖像画をピカソが所持)
1902 市民絵画教室の先生:実は絵がうまい?
1905 サロン・ドートンヌ展(秋のサロン)--初めて審査に通る 絵が200フランで売れるBy画商ボラール
フォービズム到来の年Byマティス
ピカソが「ラドヴィガの肖像」朝市で購入5フラン
→謎のポーランド女性「夢」にも登場
詩人アルフレッド・ジャリ(ルソーと同郷)の紹介でギョーム・アポリネールと出会う
ピカソとも出会う
1907 第二回万国平和会議@蘭ハーグ
銀行詐欺で逮捕
1908 「ジュニエ爺さんの馬車」@オランジェリー
→食料品店主
勝手に絵を送り付けて、つけをチャラに?
ピカソらがルソーを励ます@洗濯船(セーヌ川に浮かぶ洗濯船のように揺れる安アパート)
お礼に送ったのがアポリネール&ローランサンの肖像画
1910 「夢」@メトロポリタン---「楽園のキャンバス:原田マハ」の題材
アポリネール&ローランサン別れる:詩ミラボー橋を残す
ピカソが絶賛、ルソーの絵を4枚所持--現在はピカソ美術館
→アンデパンダン展に出品:ギョーム・アポリネール(ローランサンと恋仲)が評する
肺炎で死亡
ニコ・ピロスマニ:ジョージアのルソー
2023-4-27から8-20迄アンリ・マティス展@東京都美術館
1869 生誕@仏ノール県、法律家としてパリへ
1890 入院時に絵と出合い画家を目指す
1891 伝統的指導のアカデミー・ジュリアンを嫌い、エコール・デ・ボザールへ
ギュスターヴ・モロー1826-1898が教師
1895 シニャックと過し古風な点描画を描く
1898 メアリー・パレイルと結婚
子供のピエールは大画商
アメリカ現代美術の発展に寄与
反ナチス芸術家の作品を展示@NY-1942
モデル・キャロラインとの子・マルグリッドを引き取る
1905 フォービズム(野獣派:大胆な色彩)が脚光を浴びる
第二回サロン・ドートンヌ展@パリに出品するが激しく批判される
1906 ピカソと親交
1907 キュービズムの台頭によりフォービズムは衰退していく
1917 南仏ニースへ移住
晩年は切り絵に没頭 → ウオーホールに影響を与える
1951 ヴァンスのドミニコ会修道院・ロザリオ礼拝堂を手掛ける
1954 がんで死亡
のちに愛人リディアは自殺未遂