今年の大河ドラマは「光る君へ」
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲がくれにし夜半の月かな
上の作者・紫式部は道長の長女・中宮彰子に出仕し、道長に一目置かれる右大臣実資と彰子との仲介役を務め、道長とも親密な付き合いがあった。紫式部日記の中で、清少納言のことを厳しく批評し、赤染衛門のことを賞賛した源氏物語の作者は、「すきものと名にし立てれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」いうと、「とんでもない」と道長とのやりとりを日記に書いているために、道長と式部の恋仲説もあるが、定かではない。清少納言の陶酔や和泉式部の恋愛に対する没頭を、才能の空しい浪費であると思った感のある冷静な紫式部は源氏物語の中で道長の盛衰を予感したかのように物語っているのである。因みに紫式部は藤原為時の娘であり、為時は藤原雅正と藤原定方・娘との間に生まれた。
紫式部は意外にも栄華を誇った藤原氏北家の末裔である。そして紫式部と肩を並べて評される清少納言も同じである。藤原氏の栄華を誇った良房・基経・時平の系統とは違って、かなり落ちぶれた藤原文範系である。紫式部が幼い10歳の頃、すでにその才覚が現れ始めていた。叔父の為頼は円融帝に仕え、父為時は文章人としての才覚を生かし、播磨守として播磨の国に赴任していた。式部の父為時が播磨に赴任して10年になる頃、叔父の勧めもあって上洛し、師貞親王(後の花山帝)のお近づきになりますが、 まわりの目に留まったのは、幼い紫式部の姉でした。 その色の白い美しさは群を抜いていたのです。 いっぽう式部は色黒・・・でひっこみ思案。 それから数年たって、式部が15歳の頃、清原元輔という学者が頭角をあらわした頃、ひょんなことから、次女と式部は出会います。 その時式部は4歳年上の彼女を歌でやりこめています。 相手は、あの清少納言です。
964? 清少納言誕生
970? 紫式部生誕
┗父:藤原為時(式部丞) 母:藤原為信女 ---藤原北家
984 藤原為時式部の丞・六位
986 為時退官
987 道長は倫子と結婚
紫式部は倫子(964-1053藤原道長の妻)に出仕?
→ 出仕:天皇の后と有力貴族との取次
身の回りの漢書を読破
988 彰子誕生
明子と結婚----詮子の手引き
990 兼家死去 道隆摂関継承
991 道長権大納言
993 清少納言は中宮定子に出仕
994 伊周内大臣@21歳
995 5月 道隆死亡
7月 隆家の従者が乱闘
8月 伊周の外祖父・高階成忠が道長を呪詛
996 藤原為時は越前守として赴任・娘紫式部も同行
1月 長徳の変 隆家による花山法皇に矢を射かける
2月 伊周、隆家の罪科決定
3月 詮子の悩みの原因が呪詛
4月 伊周は大宰府に流罪 隆家は出雲に流罪 定子落飾
7月 藤原道長966-1028はトップの座・左大臣につく--兄の相次ぐ病死
10月 高階貴子(儀同三司母として百人一首に掲載)死亡
数多の年上の公卿から無視される始末---外祖父案
996年、藤原伊周(中宮定子の兄)が上皇に矢を射かけた罪で大宰府に流罪になった後、定子とともに清少納言(32歳)も宮廷からいったん追い出される。その後、藤原伊周の赦免により清少納言も宮中に戻る。この時紫式部(定かではないが20~26歳前後)は父と共に越前へ行っている。翌997年紫式部は京へ戻り藤原宣孝と結婚。紫式部が道長の娘・彰子(1000年に12歳で中宮)に出仕したのは1005年。このとき中宮定子は既に没し(1001年)清少納言も行方知れずになっている。つまり清少納言と紫式部は出会っていないのである。
二人は同時期ではあるが、宮中に出仕していた時期が違う。清少納言が宮中を去ったのは定子が死んだ1001年。紫式部が出仕開始したのは道長の娘彰子17歳(1005年) 従って出会ってはいない。もっと詳しい話を聞きたければ勉強会にて^^
因みに紫式部の生誕は不明(970~976年)つまり清少納言は紫式部の12歳上かもしれない。
998 彰子誕生
明子と結婚----詮子の手引き
紫式部970?-?は藤原宣孝(?-1001 また従兄弟 筑前国司、山城国司)と結婚
┗実は紫式部は藤原宣孝の求婚を断っている
(めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな)
999 藤原賢子999-1082歌人 誕生
紫式部でさえ名前が分からないのに娘は何故賢子と判明?
・1017--道長の娘彰子に出仕@18歳
道長、明子の子頼宗993-1065と交際
公任の子定頼995-1045と交際
雅信の子朝任989-1034と交際
・藤原道兼(道長の兄961-995)の次男兼隆985-1053と結婚--離婚
・1025--親仁親王(後冷泉天皇)の乳母となっている
→道長の四女喜子1007-1025と後朱雀天皇1009-1045の子
・1037--高階成章と再婚 -- 為家生まれる@1038-1106
┗為章(太宰大弐@1054)--高階基章--娘明子(平清盛の正妻)
・1045--親仁親王即位(後冷泉天皇)
天皇即位とともに賢子は典侍に昇進して藤三位と呼ばれた
・大弐三位集残す 女房三十六歌仙
このとき一条天皇980-1011の中宮・定子977-1001は出家の身--新たな中宮を迎えるべきと説得したのが藤原行成
1000 彰子が一条天皇の中宮になるが天皇は定子を寵愛
1001 中宮定子没するとともに清少納言は出仕を辞した
その後の清少納言の詳細は不明
清少納言が紫式部と面識があったか否かは不明
1001 宣孝病死 : 源氏物語執筆のきっかけ
┗世界最古の長編小説
400字x2400枚
妙にリアル
消えぬ間の 身をも知る知る 朝顔の 露と争ふ 世を嘆くかな
数ならぬ 心に身をば まかせねど 身にしたがふは 心なりけり
1005 安倍晴明死亡
紫式部は宮中彰子の元に出仕 --- 一条天皇を彰子の元へ来させる作戦
宮中の侍女とともに歌を遊ぶ
1008 紫式部日記執筆 2010年迄
源氏物語文献初出:執筆は蘆山寺
紫式部の曾祖父堤中納言 藤原兼輔(877-933 百人一首 権中納言)の寓居跡
紫式部の祖父・藤原雅正の代に没落
彰子懐妊:のちの後一条天皇
1010 藤原妍子994-1027が三条天皇の中宮
1017 清少納言の兄清原致信が殺害される。殺害したのは源頼親966-1057とも源頼光948-1021とも言われている
1018 藤原威子1000-1036が後一条天皇の中宮
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なし
冬嗣--嵯峨天皇より蔵人頭に抜擢
┗良房--人臣初の摂政
┗基経--史上初の関白
┗忠平
┣実頼:小野宮流
┃ ┗藤原実資
┗師輔:九条流 ┣有識者・学者
┗兼家 ┣蹴鞠の達人
┗道長 ┣蔵人頭→参議→中納言→大納言→右大臣→従一位
┃ 33 40 53 65
┗小右記--小野宮/右大臣/日記 全16巻7000P
┣子猫の産養
┣伝統を知らんのか
┣道綱(当時大納言)批判
┣紫式部@1013-----
┃ 彰子は亡き定子の忘れ形見・敦康親王(第一皇子)を養育していた
┃ 彰子が父・道長の横暴(第二皇子・敦成親王を皇太子に)を許さず
┃ 彰子はこれを式部に相談したという
┃ この内容が実資にも伝わっている
┗隆家への報償@刀伊の入寇
┏為時949-1029━紫式部970?-?
┏雅正-961(紀貫之と親交)
┃ 列子 ┏朝忠910-967━藤原穆子931-1016
┏兼輔 ┣定方(三条右大臣) ┣源倫子964-1053
┏利基?-? ┣胤子 伊勢姫 ┣寂源 -1024
┃ ┃ ┣醍醐┣中務 ┃ 婉子972-998(為平親王娘,花山女御)
┣藤原高藤-900┣敦慶親王888-930┃ ┣資平(養子)987-1067 ┳資仲1018-1087 ┳顕実?-?
良門?-? ┣敦実親王893-967┃ ┏実資957-1046(養子 小右記) ┗資房1007-1057 ┗顕仲1059-1129
順子809-871 宇多天皇 ┣源雅信920-993 ┣頼忠924-989┳公任966-1041━定頼995-1045
長良802-856 ┏娘 ┗済信954-1030 ┃ ┗ 遵子957-1017(円融妃)
┣国経828-908┏時平871-909 ┣敦敏912-947━佐理スケマサ944- 998
┃ ┃┗保忠 ┏ 実頼900-970 ╋斉敏928-973┳懐平953-1017┳資房1007-1057
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗資平987-1067
┃ ┃ ┃ ┃ ┗実資サネスケ957-1046(小右記)
┣基経836-891╋仲平875-945┃(小野宮殿) ┗述子933-947(村上女御) 63冷泉天皇950-1011
┃ ┃ ┃ ┣65花山天皇968-1008
┃ ┃ ┃ ┃ ┃┗皇女-1024(上東門院女房:母は平平子)
┃ ┃ ┃ ┃ ┣早世985(毒?)
┃ ┃ ┃(九条殿) ┃藤原忯子969-985-為光娘(弘徽殿女御)
┃ ┣忠平880-949╋師輔-960 ┳伊尹コレタダ(一条殿謙徳公) ┳懐子945-975
┃ ┃ ┃ ┃924-972 ┃
┣淑子838-906┃ ┗師尹モロタダ ┣為光942-992(法住寺殿) ┣挙賢953-974
┃ ┃ ┃920-969 ┃ ┣忯子969-985(花山女御)┣義孝954-974
┣高子842-910┃ ┣芳子 ┃ ┣誠信964-1001 ┃┗行成972-1028
┃ ┃ ┃ ┃(村上妃 ┃ ┣斉信967-1035 ┣義懐957-1008ヨシチカ
乙春 ┣陽成帝 ┃ ┗済時995 ┃敦敏娘 恵子女王925-992 ┗成房982-
┃869-949┃ ┗通任 ┃(堀川殿) ┏媓子947-979(円融中宮)
┣貞保 ┃ (三条妃) ┣兼通925-977╋顕光944-1021┳元子(一条帝女御)979-? ┓
┣敦子 ┣頼子-936(清和女御) ┣登子?-975 ┗朝光951-995 ┗延子(敦明女御)985-1019┃
┗━━┓ ┃ 妹子(清和女御) ┃キンスエ ┗姚子971-989(花山帝女御) ┃
良房804-872 ┃ ┣温子872-907 ┣公季957-1029 (母:康子内親王) ┃
┣明子 ┃ ┃ ┣均子内親王 ┃ ┗義子974-1054(一条帝女御),実成975-1044 ┃
┃828-900 ┃ ┃ ┃890-910 ┃ ┃
潔姫 ┣56清和 ┃宇多天皇867-931 ┣兼家929-990(東三条殿) ━━━┓ ┃
文徳帝827-858 ┃ ┣安子927-964 ┃ ┃
┣恬子 ┗穏子885-954 盛子-943┣憲平親王 950-1011(冷泉帝) ┃ ┃
紀静子?-866 ┣保明親王903-923 ┣資子内親王955-1015 ┃ ┃
┣康子内親王919-957 ┣守平親王 959-991(円融帝) ┃ ┃
淑姫?-948 ┣寛明親王(61朱雀帝) ┣為平親王(安和の変で失脚)952-1010 ┃ ┃
┣源兼明 ┃923-952 ┣選子 ┣ 源頼定977-1020 ┃ ━━━┛
┃914-987 ┣成明親王(62村上帝)926-967 高明娘保子 ┣ ? ┃
60醍醐天皇 885-930 ┃ ┣具平親王 ┣広平親王950-971 元子979-(一条女御)┃
┃ ┃ ┃964-1009 ┃ ┃
┃ ┃ ┣楽子952-998 ┣緝子内親王?-970 ┃
┃ ┃荘子女王930- 祐姫(藤原元方娘) ┃
┃ ┣規子内親王949-986(伊勢斎宮) ┃
┃ 微子女王929-985 ┃
┣勧子内親王899-?(母:為子内親王?-899) ┃
┣勤子内親王904-938(藤原師輔室) ┃
┣都子内親王905-981 ┃
┣雅子内親王910-954(斎宮,師輔室) ┃
┃ ┃
┃ ┃
┣源高明914-983(第十皇子) ┃
┃ ┣娘 ┃
┃ ┃┣婉子女王972-998(花山天皇女御) ┃
┃ ┃為平親王952-1010(父:村上天皇) ┃
┃ ┣明子975-1049(藤原道長室 母:師輔五女・愛宮) ┃
┃ ┗源俊賢960-1027(母:師輔三女) ┃
┃ ┃
源周子?-935 ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃ 藤原守仁娘・(伊予守)
┃ ┣ 道頼971-995(兼家養子) 藤原為光娘(忯子の妹)花山法皇狙撃事件
┗┳道隆953-995(中関白家) ┣
┃ ┣━━┳伊周コレチカ974-1010┳道雅992-1054(三条帝娘・当子内親王と恋愛)花山皇女殺害
┃ 高階成忠┳高階貴子┃ ┣大姫(藤原頼宗室)
┃(高二位殿) ┃ -996 ┣隆家979-1044 ┗小姫(藤原彰子女房)
┃ 923-998 ┣信順 ┣御匣殿985-1002(定子亡き後、養母として入内)
┃ ┣明順 ┣頼子姫?-? (敦道親王師ノ宮の妻)
┃ ┗光子 ┣原子姫980-1002(居貞親王女御)
┃ (定子乳母) ┗定子姫977-1001(里邸二条)
┣道兼961-995 ┳兼隆985-1053┣脩子内親王 996-1049(御匣殿が養育)
┃ ┣兼綱988-1058┣敦康親王 999-1018(御匣殿が養育)
┃ ┣尊子984-1022┣媄子内親王1001-1008(詮子が養育)
┃ 繁子(師輔娘)┃ ┃
┃ 66一条帝980-1011(乳母は橘徳子)
┣道長━━┳頼通━┳師実━━━師通━━━忠実━━━┳忠通1097-1164(法性寺関白)
┃966-1028┃宇治殿┃1042-1101 1062-1099 1078-1162 ┣泰子1095-1155(鳥羽皇后)
┃ ┃ ┃ ┗寛子(後冷泉皇后) ┗頼長1120-1156(保元の乱で敗死)
┃ ┃ ┃ 1036-1127
┃┏源倫子┣教通996-1075(和泉式部娘・小式部を妾とする。本妻は公任・娘)
┃┃(鷹司) ┃ ┣歓子1021-1102(後冷泉后)
┃┗時中 ┃ ┣真子1016-1087(後冷泉女御)
┃父:雅信 ┃920-993 ┣生子1014-1068(後朱雀女御)
┃ 重信 ┃-995 ┣信家1018- ┃ 藤原璋子1101-1145待賢門院
┃ ┃ 藤原公任娘 ┃延子(藤原頼宗娘) ┣75崇徳天皇 1119-1164
┃ ┃ 1000-1024 ┃ ┃嫄子1016-1039(敦康親王娘) 1076-1103 ┣77後白河天皇1127-1192
┃ ┣彰子988-1074上東門院 ┃ ┃┣祐子内親王,禖子内親王 藤原苡子 ┃
┃ ┃ ┣敦良親王(69代後朱雀)1009-1045━┳良子、娟子 賢子 ┣74鳥羽天皇1103-1156
┃ ┃ ┣敦成親王(68代後一条)1008-1036┓┣尊仁親王(71後三条)┣73堀河天皇1079-1107┣76近衛天皇1139-1155
┃ ┃66代一条帝980-1011 ┃┃┃┣貞仁72白川帝1053-1129 藤原得子1117-1160美福門院
┃ ┃67代三条帝976-1017 ┃┃┃藤原茂子(公成娘)
┃ ┃ ┣禎子内親王1013-1094陽明門院 ┃┛┃
┃ ┃ ┃ ┣馨子内親王1028-1093斎院
┣綏子974-┣妍子994-1027(枇杷殿) ┣章子内親王1026-1105
┃ ┃1004┣威子998-1036 ━━━━━┛ ┃藤原教通娘・歓子1021-1102
┃ ┃ ┗嬉子1007-1025(産後死去,後冷泉母) ┣- ┣ -
┃ ┃ ┣親仁親王70代後冷泉(紫式部部娘賢子が乳母)
┃ ┗━━━━━┓69代後朱雀1009-1045 ┣ -
┃954-982 ┃娍子972-1025(堀河女御 済時娘) 藤原頼通娘・寛子1036-1127
┣超子(ゆきこ) ┃ ┣敦明親王994-1051小一条院
┃ ┃ ┃ ┃ ┣敦貞親王994-1051
┃ ┃ ┃ ┃延子985-1019(顕光娘、一条帝女御元子の妹)
┃ ┃ ┃ ┣敦儀、敦平、師明親王、当子(斎宮)、子内親王
┃ ┣居貞イヤサダ親王976-1017 67代三条帝
┃ ┣為尊親王977-1002(弾正ノ宮:和泉式部を寵愛)
┃ ┣敦道親王981-1007(師ノ宮 :和泉式部を寵愛)
┃63冷泉帝950-1011
┣詮子962-1001(東三条院 兼家娘)出家後土御門第へ移り、道長は一条院へ
┃ ┣懐仁カネヒト親王980-1011(66代一条帝)
┃ 64円融帝959-992
┃
┃兼家929-990(東三条殿)
┃ ┣道綱955-1020
┃藤原倫寧娘936-995?(歌人:蜻蛉日記@974---百人一首)
┃
藤原時姫-980:藤原中正娘
┗┳ 長良━┳ 高子(清和后、陽成母)
┃802-856 ┗ 元名 ━ 文範 ┳━━為雅
┃ ┃ ┣━娘
┃ ┃ ┏女 ┣
┃ ┃ ┃ 義懐(紫式部・姉を愛人とする)
┃ ┃倫寧┃
┃ ┃ ┣╋女(蜻蛉日記著者936-995)
┃ ┃女 ┃ ┣━道綱
┃ ┃ ┃ 藤原兼家
┃ ┃ ┣女
┃ ┃ ┃┣━女(更科日記著者)
┃ ┃ ┃菅原孝標
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━━理能
┃ ┃ ┣
┃ ┃ 清原元輔┳女
┃ ┃三十六歌仙┗清少納言(枕草子著者966-1025)
┃ ┃ ┣橘則長982-1034
┃ ┃ 橘則光965-?
┃ ┃ (師貞皇太子乳兄弟)
┃ ┃
┃ ┗為信┳康円
┃ ┃ 関白・藤原道兼の次男・兼隆985-1053
┃ ┗娘 宣孝?-1001(筑前国司、山城国司) ┣
┣ 藤原良門?-? ┣━┳娘 ┣賢子999-1082大弐三位:彰子(上東門院)に女房として出仕
┃ ┣藤原利基?-? ┃ ┣紫式部(源氏物語著者970-1010) ┣高階為家1038-1106
┃ ┃ ┗藤原兼輔:36歌仙 ┃ ┣惟規974-1011 東宮権大進・高階成章990-1058
┃ ┃ 877-933┗藤原雅正 ┃ ┗息子(死産)
┃ ┃ 歌人┗━┳為時949-1029:主君は 冷泉天皇→円融天皇→花山天皇→一条天皇→三条天皇→後一条天皇
┃ ┃ ┣女(紫式部兄妹の面倒を見た御方)
┃ ┃ ┣為長:943-986勅撰歌人 東北赴任
┃ ┃ ┃ ┣藤原通経
┃ ┃ ┃筑前守忠幹女---未亡人となり紫式部と暮らす
┃ ┃ ┃
┃ ┗藤原高藤(勸修寺内大臣) ┣為頼939-998:主君は円融→花山天皇→一条天皇
┃ ┗藤原定方 ┳ 娘 ┃
┃ 三条右大臣 ┃ ┣伊祐
┃ ┃ 上毛野公房女
┃ ┣朝頼-勘解由長官
┃ ┃ ┗為輔(甘露寺中納言)
┃ ┃ ┗宣孝(山城国司 紫式部と結婚)
┃ ┃
┃ ┗朝忠━穆子
┃ 36歌仙 ┃
┃ ┣倫子
┃ 源雅信 ┣
┃ 藤原道長
┃ ┏ 実資━かぐや姫
┃ ┃ 村上帝
┃ (小野宮殿)┃ ┣ 広平親王
┃ ┏ 実頼━╋ 述子 冷泉
┣ 良房━┳ 基経━┳ 時平 ┃(九条殿)┗ 頼忠━公任 ┣花山帝(師貞親王)
┃ ┃ ┣ 忠平━╋ 師輔━┳ 伊尹(一条殿)┳懐子 65代
┃ ┃ ┃ ┗ 師尹 ┃ ┣挙賢
┃ ┃ ┃ ┗芳子┃ ┣義孝━行成
┃ ┃ ┃ 村上帝後宮┃ ┣義懐
┃ ┃ ┃ ┃(堀川殿) 恵子女王
┃ ┃ ┃ ┣ 兼通┳顕光┳元子(一条帝女御) ┓
┃ ┃ ┃ ┃ ┗朝光┗延子(敦明親王女御)┃
┃ ┃ ┃ ┣ 公季━義子(一条帝女御) ┃
┃ ┃ ┣ 温子(宇多后) ┣ 兼家(東三条殿)━━━━━━━┓┃
┃ ┃ ┃ ┗ 安子 ┃┃
┃ ┃ ┗ 穏子 ┣冷泉帝63代967年(憲平親王) ┃┃
┃ ┗ 明子 ┣朱雀帝 ┣円融帝64代969年 ┃┃
┣ 良門 ┣清和 醍醐帝 ┣為平親王(安和の変で失脚) ┃┃
┗ 順子 文徳帝 ┣源高明 ┣姫宮 ┣ 頼定 ┃┛
村上帝 高明娘 ┣ ? ┃
綏子(すいし) ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗┳ 道隆
┃ ┣━┳ 伊周 ┳道雅
┃高階貴子┃ ┣大姫
┃ 光子 ┣ 隆家 ┗小姫
┃ (妹) ┣ 御匣殿(定子亡き後、養母として入内)
┃ ┗定子977-1000
┣ 道兼━尊子┣脩子内親王
┃ ┃┣敦康親王
┃ ┃┣よし子内親王
┃ ┗一条帝
┃ ┣
┃ 公季━義子
┃ 顕光━元子
┃ ┏平等院鳳凰堂を造る
┣ 道長━┳ 頼通━┳ 師実━━ 師通━━ 忠実━┳ 忠通
┣ 道綱 ┃ ┗ 寛子(後冷泉后) ┗ 頼長
┃ ┣ 教通(996-1075 和泉式部娘・小式部を妾とする)
┃ ┣ 彰子988-1074
┃ ┃ ┣敦成親王(69代後朱雀) ┳親仁親王(70代後冷泉)
┃ ┃ ┣敦良親王(68代後一条) ┓┃ (紫式部娘・賢子が乳母)
┃ ┃ 一条帝66代 ┃┃
┃ ┃ ┃┃
┃ ┣ 妍子(67代三条后) ┓┃┃
┣ 綏子 ┣ 威子(後一条后) ┃┛┃
┃ ┃ ┗ 嬉子(後朱雀后、後冷泉母)┃ ┛産後死去
┃ ┃ ┃
┃ ┗━━━━━━┓ ┃
┣ 超子(ゆきこ) ┃ ┃
┃ ┣居貞親王67代三条帝 ┛
┃ ┣為尊親王(弾正ノ宮:和泉式部を寵愛)
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┃ ┃ 九ノ御方(伊尹娘)
┃ ┣敦道親王(師ノ宮:和泉式部を寵愛)
┃ 冷泉帝
┗ 詮子
┣懐人親王(一条帝)
円融帝