ブラジル
・カトリック50%
・プロテスタント福音派多数
・ブラジール(染料に使う木)から命名
1492 コロンブス伊1451-1506
・奴隷商人
・子孫はスペイン・ベラグア公爵@2024
1500-04 ペドロ・カブラル1467-1520が発見 :ポルトガル軍人
・マヌエル1世1469-1521が指揮
・先住民を奴隷狩り 強制労働
・伝染病により原住民200万人はほぼ死亡
・イエズス会宣教師は改宗活動 : 映画「The Mission」
・原住民奴隷が不足したのでアフリカ奴隷を移住させる : 後に混血をムラートと呼ぶ
1806 大陸封鎖令 By ナポレオン
・ポルトガルは英とワインの密貿易実施
1807-11 ・起こったナポレオンはジュノー将軍を送り込んでリスボンを征圧
・ポルトガルのブラガンサ朝15000人がブラジル・サンパウロに逃亡 英海軍が護衛
・臨時政府設立
1822-10 ペドロ1世1798-1834を君主に ブラジル帝国設立
・奴隷反対 @1825頃
・ブラジル白人と敵対
・ペドロ1世追放 ポルトガルに帰国
19世紀の産業は奴隷による以下のプランテーション
・ブラジール:赤い木
・さとうきび
・コーヒー
1850 奴隷貿易禁止
1864 パラグアイ戦争 ⇔ ブラジル+アルゼンチン+ウルグアイ
・皇帝支持低下
・ブラジル帝政崩壊
1888 奴隷廃止 @ペドロ2世1825-1891
・共和制
・ブラジル合衆国 :州ごとに自治
1889 パン-アメリカ会議
・英マーケットから米マーケットに移行
・ロスチャイルドからロックフェラーに移行
・米はブラジルに投資
・この頃車が普及 →ゴム需要
・ゴムの木プランテーション
・イタリア、ギリシャ、日本から移民多数
1908 ・井上馨は日本人移民の斡旋業者から莫大な賄賂
約26万人が移住
現在ブラジルに住む日本人は200万人超
・かくしてブラジルは大発展
1929 世界大恐慌
・バルガス大統領1882-1954@1930-11-3
・社会主義独裁政治
・国営企業化で失業者救済
・ポルトガル語以外は禁止
1950 ・米ソ冷戦時にはどちらにも付かず
1954 ・自殺
1960 新首都:リオデジャネイロからブラジリアに遷都
1962 軍事クーデター By陸軍参謀カステーロ・ブランコ
・軍事政権
・リオデジャネイロに米軍空母
・ブラジル連邦共和国@1967
・冷戦末期には米支援減少
1972 ポルトガルは独立
・ペドロ1世の遺体がブラジルへ帰国
・ペドロ1世の心臓もブラジルへ帰国@2022
1980 ゼネスト・民衆運動 Byルーラ(自動車労働組合)
・労働者党@1982
・軍政から民政@1985
・1000%インフレ@1990代
・新自由主義に転換 Byポアソナロ1955- :メルコスール(南米の貿易圏 欧州のEU)
1995-01-01 34代エンリケ大統領
2003-01-01 35代ルーラ大統領 (グローバリスト勢力、労働党、共産党と連携)
・2009 財政再建実施
・2009 ブリックス参加
・借金全額返済
2011-01-01 36代ジルマ大統領1947- :元左翼ゲリラ
・対親米政権
・ルーラ入党
・FIFAブラジル大会
・経済破綻----失業率11%
・石油ペトロブラスが全政党を買収 ----ジルマ大統領退任、ルーラ逮捕
2016-05-12 37代テメル大統領1940-
2019-01-01 38代ボルソナーロ大統領1955- 保守派
・遊説中に暗殺未遂@2018
・新自由主義採用 (社会主義を破壊)
・汚職摘発
・低所得者、女性救済
・チリの独裁者ピノチェト1915-2006(アジェンデ社会主義大統領を粛清@1973)を絶賛
アジェンデ:チリで絶大な支持を受けた大統領1970-1973
大多数の貧民は国有化を支持(富の再分配)
ニクソン大統領はアジェンデ政権打倒をCIAに支持
大統領補佐官がキッシンジャー
チリの富裕層を味方につけて社会主義を非難
チリ軍が大統領官邸を襲撃@1973-9-11(CIA関与資料公開)
クーデター指揮はピノチェト陸軍総司令官
アジェンデ自殺
CIAがアジェンデを死に追いやったと国民は非難
CIAに対する米の調査開始@1975 ----米国民がその実態を知る
CIA活動の報告義務が発生する
現在のチリ大統領はボリッチ@2022:アジェンデの後を引き継いでいる
経済顧問がミルトン・フリードマン1912-2006
ユダヤ人経済学者
ノーベル賞受賞@1976-12----抗議デモ多発
フリードマンの下で学んだシカゴボーイズが要職に@チリ
チリ経済に無関与と主張しているが、これは嘘
新自由主義の走り(レーガン、サッチャー、中曽根・小泉が採用)
ピノチェト:反政府市民を虐殺4000人
拷問10000人
政治犯として収容40000人
キッシンジャーはピノチェト支持表明@チリ
ピノチェト新自由主義経済を実行
以上の罪で逮捕@英国
殺人罪で自宅軟禁
・不十分な分配を改善
・コロナロックダウン反対(経済重視 マスク拒否 コロナ疑惑発言)
・環境破壊、経済悪化で失脚
2023-01-01 39代労働党ルーラ大統領
・南米の左派化
・刑務所から出所@2022
・就任式に前大統領ボルソナーロは出席拒否 →米フロリダへ
・反ルーラ派がブラジリアの軍キャンプに数千人集結:ルーラ、選挙結果を認めない
・議会襲撃@ブラジリア
・労働党ルーラ大統領1945-はテロと非難
・1808 メキシコ独立戦争:スペインから
・1823 帝政崩壊
・1835 メキシコ共和国
・1848 米との戦争敗北でテキサス、カリフォルニア喪失
・1861 米南北戦争
+++メキシコ利権++植民地時代から++
・石油、金融、流通いずれもユダヤ資本が牛耳る
・石油精製は米ユダヤ資本に任せて、逆輸入 :利権を米ユダヤにも分散
・メキシコシティ・ポランコ地区はユダヤ人大富豪街
・1876 ディアス独裁政権誕生
・1910-1917 メキシコ革命の時代からユダヤ利権
→反米革命:ユダヤDSが関り深い
・親米ディアス1911-1979独裁政権を打倒
・米ロックフェラーを追い出す
・1937 トロツキー亡命:ユダヤの誘い
・1958 アドルフォ・ロペス・マティオス大統領1910-1969 :経済成長7%
・1962 キューバ危機
・1967 トラテロルコ条約:非核化提案
・1968 メキシコ五輪
・1968 トラテロルコ事件:対共産主義打倒のため学生虐殺
・1975 スペイン国交回復
ユカタン半島のマヤ文明 メキシコ・アステカ帝国の文明
┃ スペイン人・コルテス1485-1547
┃ ・アステカ帝国を征服
┃ ・1511 キューバ征服
┃ ・1519 ユカタン半島へ500人+ほせん11隻
┃ ・1521 5万の兵でアステカ侵攻
┃ 原住民は伝染病(天然痘)で死んでいった 2000万が1000万に半減
┃ 分断
┃ 伝染病にかからないスペイン人→キリスト教徒
┃ 原住民のキリスト教化
┃ スペイン人50万人が移動 →混血政策
┃ ・1524 ホンジュラス併合
┃
┃
┣カラコル遺跡(@グアテマラ 天空のカーナ神殿)
┃ BC3世紀に繁栄し9世紀迄
┃ 王の死に伴って約50年ごとに増築を繰り返し、やがて滅亡
┃ 神殿の最上階には635年に亡くなった王の墓があり、2002年に発掘された
┃
┣ティカル遺跡(@グアテマラ)
┃ ハサウ・チャン・カウイール1世@ピカウの墓からは多くの翡翠が出土(翡翠のマスク等)
┃ 9世紀に滅亡した理由は不明 翡翠と関係あるか?
┃ 湖底に堆積した土(年稿)を分析---当時あばれた気候があった
┃
┣コパン遺跡(@ホンジュラス 4大王朝のひとつ)
┃ 神聖文字の階段、7号神殿 14代目の王墓か?(8世紀 治世は11年 記録なし)9世紀に滅亡
┃ コパン周辺が翡翠の産地なのに翡翠のマスクは発見されていない
┃ 生贄の文化---DNA解析で起源がわかる
┃ 生贄は他民族?
┃
┣ペレンケ遺跡(@メキシコの古代都市)
┃ 赤の女王の石棺
┃ 緑の仮面、翡翠---再生、植物、富を表す
┃ 神聖ピラミッド---パカル王1世603-683
┃ 天文---王宮の塔
┃ マヤ文字---4~5万文字
┃
┣テオティワカン遺跡(@メキシコ高原)
┃ 古代文明都市BC0-AD700頃
┃ 太陽のピラミッド---クフ王クラス
┃ 月のピラミッド ---生贄の墓
┃ 地下トンネル ---神々が支配
┃ 皆既日食:AD63
┃
┣テンプロ・マヨール遺跡(アステカ文明--@メキシコシティー)
┃ 大量の頭蓋骨--生贄の文化
┃ 主神殿・テノチティトラン都市---滅亡@1521
┃ 黄金の装飾---金の延べ棒としてスペインに持ち帰る
┃ サンタマリア・マッショーレ大聖堂の天井に黄金----カトリックの仕業
┃
┣サン・クラウディオ遺跡(@ユカタン半島 メキシコ)
┃ セノーテ:陥没湖---地下洞窟
┃ 地層から2000年分の情報取得可能
┃ 気候---雨季、乾季
┃ 人口---増減、有無 900年頃に人口ゼロ---極端気候変動が理由か?
インカ帝国:繁栄は15-16世紀 南北4000km 人口1000万人
┃
┣クスコからチリ
┃ ・マプチェ族
┃ インカやスペインの侵略に対し長く抵抗を続けた民族
┃ マプチェ=大地からエネルギーをもらう人間
┃ 19世紀にはチリ大統領から迫害を受ける
┃ 名物はチリモヤというパイナップルに似た果物
┃
┣クスコ
┃ ・スペイン人が略奪した黄金は8トン
┃ 国王と発見者で山分け
┃ 多くはコインの材料
┃
┃ ・カハマルカ---チクラヨの南へ70km
┃ 日本人考古学者・関雄二さんがいる
┃ 湯治場
┃ 多くのジャガイモ、フルーツ---世界中に広がる
┃ BC1200-400頃の神殿
┃ ヤナコチャ金山---現在も採掘中、砂金
┃
┃
┃ ・ハコパンパ遺跡@BC700
┃ 黄金発見@基壇頂上部の貴婦人(シャーマン?)の墓発見@2015
┃ 若い神官の墓BC600頃発見@2015
┃ BC1000頃の墓でジャガー印章発見@2023/8
┃
┃ ・クントゥルワシ遺跡@BC1000-BC250---ハコパンパ遺跡の南70km
┃ 東大教授大貫良夫調査団長
┃ クントゥルワシ博物館
┃
┃ ・チクラヨ:クスコの北1100km
┃ 黄金文化というモチェ文化が開花---100-700年
┃ ワカ・ラハダ遺跡---山のようなレンガ造のピラミッド@9000万個
┃ 隣には権力者の墓 中からは黄金製品が出土@1987 盗掘されずに残った
┃ 殉職者は8人
┃ シパン王墓博物館---耳飾り、逆ピラミッド型笏(シャク)、鹿の耳飾り
┃ モチェ遺跡---大壁画 生贄の儀式 85の遺体発見
┃ ・ワカロロ遺跡9世紀-11世紀頃 発見されずにいた
┃
┃ ・インカ帝国皇帝アタワルパとスペイン軍人・ピサロ1470-1541の会談@1532 カハマルカ中央広場
┃ ピサロ
┃ ・1528 ペルー支配許可 Byカール5世1500-1558
┃ ・1530 @パナマ
┃ ・1531 出港
┃ ・1532 インカ皇帝を生け捕り
┃
┃ ・インカの黄金を溶かして延べ棒にする
┃ ・1533 アタワルパは処刑
┃ アンデスの鉱山採掘 インカ人は奴隷
┃
┃
┃
┣リマからクスコ
┃ ・クスコ街全体が世界遺産
┃ インカ帝国の首都
┃ クスコ標高3400m
┃ 高山病に注意 ----対策にはコカ茶
┃ バロック様式のサントドミンゴ修道院
┃ 12アングルストーン
┃ サンペドロ市場
┃ クスコ地方歴史博物館---金の円盤
┃
┃ ・LCCで90分 8000円@2024-2
┃ ・クスコからオリャンタイダンボ駅迄60km コレクティーボ・乗り合いバスで90分--600円
┃ コレクティーボ・乗り合いバス勧誘凄い
┃ クスコ物価安い
┃ ペルーのジャガイモ3500種類
┃
┃ オリャンタイダンボ村---インカ帝国時代の家がある
┃ クイ:食用のモルモットのような小動物
┃ 祭壇には頭蓋骨
┃ コンドルは神の使い
┃ アルパカ、アルマジロは先祖へのお供え
┃
┣クスコマチュピチュ遺跡まで
┃ ・クスコ隣のオリャンタイダンボ駅からマチュピチュ駅まではペルー鉄道115km
┃ エクスペディション席:最安値64$105分
┃ デモで電車停止することがある
┃ ・マチュピチュ駅からマチュピチュ遺跡下まではシャトルバスで30分24$:ハイラム・ビンガムロード
┃ マチュピチュ村はすべて観光地価格
┃ アルパカ料理店多い
┃ ・バス停から遺跡入口までは徒歩30分
┃
┣マチュピチュ村
┃ ・初代村長は野内与吉1895-1969
┃ ・1917 ペルーに移住
┃ ・1923 ペルー国鉄勤務
┃ ・1928 マリアと結婚
┃ ・1929 クスコ-マチュピチュ間の鉄道完成
┃ ・1935 ホテル・ノウチ営業21室
┃ ・ アンデス研究家などが宿泊----案内
┃ ・1935 村の行政官に就任
┃ ・1941 モラレスと再婚
┃ ・1948 村長となる
┃ ・1950 クスコへ移住
┃ ・1968 故郷福島県に帰郷
┃ ・1969 死亡
┃
┣マチュピチュ遺跡
┃ ・観光チケット利権にデモ多発
┃ ・入場料11000円@2023
┃ ・バス往復3000円----バス待ち1時間
┃ ・標高2400m
┃ ・入場は6:00~17:00
┃ ・滞在時間は2時間
┃ ・入場制限は75人/h
┃ ・遺跡内入場には公式ガイド必須
┃ ・コロナ後は日本人訪問極小
┃ ・繁栄は約500年前に終焉、100年間の繁栄で最大人口750人
┃ ・断層があり、石切り場となる
┃ ・ペルーは地震大国
┃ ・コンドルは天地を繋ぐ神
┃ ・現地語はケチュアラ語、アイマラ語
┃ ・隠し扉発見@2012----採掘していない
┃ ・ビール800円、カレー1600円、ラーメン1700円----観光価格
遺跡入口
太陽神殿
【欧州42ヶ国対応Three-data通信】 (10GB 300分現地通話 30日間) 2480円
【ヨーロッパ周遊 アジア周遊 3G/4G SIM-2fly】40カ国 :15日/3237円
【ヨーロッパ周遊 アジア周遊 3G/4G SIM-2fly】70か国 :15日/3336円
【DHA SIM for Europe】ヨーロッパ 39か国 SIM/ 12GB 15日間×2枚 3980円
FLEXIROAMフレキシローム【ほぼ全世界対応】動画
【チャージ式SIMカード Flexiroam X】 :150カ国 3日単位/10$
【チャージ式SIMカード AIRSIM】 :132カ国 1日単位/4$
Holafly:180都市 120都市データ無制限@2024-4
シェンゲン協定圏
ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定 29か国 @1985
2022-5-23 フランス シェルブール
10-15℃
シェルブールの雨傘:ジャック・ドゥミ監督&カトリーヌ・ドヌーブ主演
ド・シェルブール公園
トマ=アンリ美術館 By トーマス・ヘンリー
モン・サン=ミシェル修道院:大天使ミカエルを讃える聖地
グランヴィル:ノルマンディー地域の保養所
Musée Christian Dior
ノルマンディ地方に生まれ、シェルブールにも暮らし
た画家ジャン=フランソワ・ミレー。『落穂拾い』や
『晩鐘』をはじめ、農家の人びとの姿を崇高に描き
続けたことで知られています。彼が生まれた家と、感
性を育んだシェルブールの街を訪ねるコースです。
10-18℃
デン・ハーグ
アンネ・フランクの家(8人家族):入場制限厳しい
チーズ博物館
アムステルダム国立美術館:レンブラント夜警
レンブラントの家
ゴッホ美術館
運河内側からシンゲル、ベーレングラハト、カイゼルスグラハト、プリンセン運河(世界遺産)
1613年頃都市建設 オランダの黄金時代 移民・商人が集まる
税金:家の間口
料理:じゃがいも系 魚
花市場
Red Light Secret
ベルギー---パリからブリュッセルまで312kmバスで4時間 12€
8-17℃
ヘルシンキ大聖堂
レンタルサイクル 5€/Day
Huvilakatu 街並み
スオメンリンナの要塞 フェリー2.2€ ヘルシンキから15分 一番人気
7-18℃
ピョートル1世創立
孫の妃はエカテリーナ2世
エルミタージュ美術館
エカテリーナ宮殿:宮殿内に券売窓口KACCA
庭園入場料 150㍔ 1㍔=約1.5円
ペトロパヴロフスク要塞
血の上の救世主教会
冬宮殿
聖イサアク大聖堂
地下鉄観光ツアー
アニチコフ橋 川沿いは貴族の街
フォンタンカ川:噴水
アニチコフ宮殿:ニコライ2世の父親のお気に入り 18C半ば建設
ネフスキー大通りL=4.5km
エカテリニンスキー・サド公園:エカテリーナ2世像、ライラックの花
マトリョーシカ:ロシアの代表的な民芸品として知られる木製の人形
8-18℃
祖先はバイキング 散骨多数
世界一税金高い 育児休暇:480日
大卒初任給:40万円 実質賃金1995年度比:140% 専業主婦:2%
9万の湖
acess :バス、地下鉄、フェリー24h乗り放題:150クローナ
北欧のヴェネチア:遊覧船で島めぐり
ストックホルム市庁舎:ノーベル賞
黄金の間:舞踏会会場
リクスダーゲン
ビール:85クローナ:✖12.5円=1060円
ガムラスタン:魔女の宅急便
ストックホルム大聖堂
ストックホルム宮殿:160クローナ
Nobel+Prize+Museum
Square+of+Branting
カルマル
エーランド島:バイキング
アルベスタ:9月にザリガニ:自然享受権
ストックホルム:人口90万
レットヴィーク:ダーラナ地方:酸化鉄の赤い壁
ルーレオー
ボーデン/@65.83
イェリバレ/@67.139(N66.33以北なので北極圏):遊牧民サーメ人
ラポニア地域:ヨイク=バイキング
キールナ
10-18℃
デンマーク・クローネ:17.3円
人魚姫
カステレット要塞
クリスチャンスボー城
フレデリック教会:1894
2022-6-5 ノルウエー ベルゲン
7-15℃
NOK:12.3円
バイキング時代が終わり、11世紀頃に開かれた
ホーコン4世1204-1263の治世にノルウエー王国の最盛期
干しタラ
ブリッゲン ハンザ同盟時代のドイツ商人街:多雨 アナ雪の街
ハンズビティー+ブリッゲン:世界遺産、埠頭という意味 倉庫街
Bryggens+Museum
ファントフト・スターヴ教会
3260クローネ×12.3円 フロムの手前
7-12℃
874年、ノルマン人の探検家インゴールヴル・アルナルソンは、支柱を投げ、漂着した場所に農場を造ると誓う。
3年後支柱は見つかりそこに集落をつくった。それがレイキャビックだという。アイスランド人口は30万人
アイスランドに於ける発電は100%再生可能エネルギー発電だという。そして日本も見習おうとしている。そこで、アイスランドと日本の再生可能エネルギー発電事情等々を比較してみる。
アイスランドと日本の人口 : 1 対 350
アイスランドと日本の面積 : 1 対 5
アイスランドと日本の地熱発電 : 4697MWH 対 2472MWH
アイスランドと日本の水力発電 : 12510MWH 対 86300MWH
アイスランドと日本の自然発電 : 1 対 5.2
アイスランドクローナ:700ISK=600円
ハットルグリムス教会
Blue+Lagoon:温泉
Golden+Circle+Iceland:観光
シンクベドリル国立公園
グトルフォスの滝
ゲイシールの間欠泉
ストロックル間欠泉
ゴーザフォス:滝
セリャラントスフォス:裏見の滝
スコゥガフォス:バイキングが金を隠した
Black+Sand+Beach:玄武岩
シグルフィヨルズル/@66.18212,:ニシン漁が今は観光
グリム島/@66.545:
フェロー諸島
カナダの北部・ラブラドル地方にはイヌイットが住んでいる(5000年前から)
ラブラドル地方のU字谷は氷河が削ってできた
カナダ・ニューファンドランド島を見ながらベルアイル海峡を通ってニューヨーク
バイキング・ニューファンドランド島のランス・オ・メドーはバイキングの集落跡
バイキング・エイリークの息子が辿った航路
セント・ローレンス湾
17-26℃
ヴェラザノ=ナローズ・ブリッジ
自由の女神像を見ながら入港
ハドソン川
ブルックリン橋@1883:486m
ロックフェラー・センター
トランプ・タワー
タイムズスクエア:スタバのBig-size-coffee 400円
Big Mac Set 15$ tip 15%
アメリカ最大の都市 ニューヨーク州
ハドソン川河口部の中州であるマンハッタン地区
メトロポリタン美術館:1870年開館 撮影可能 65歳以上17ドル
NY city pass 40%割引
クーパー・ヒューイット・スミスソニアン国立デザイン博物館
セントラル・パーク:不思議の国のアリス像
ベルヴェデーレ城@1869
Ground+Zero
NYで食べる拉麺:一蘭:3000円
近代美術館:ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ:ロートレック1864-1901仏
2022-6-23 ジャマイカ オーチョ・リオス
26-32℃
西インド諸島 キューバの南、ハイチの西
1494:スペイン探検家クリストーバル・コロンブスが上陸:2度目
1503:コロンブス1451-1506上陸4度目しオーチョ・リオスで1年暮らす
1509:スペインの植民地
1655:イギリス実効支配
1962:独立
ダンズ・リバー・フォールズ & パーク
/Irie+River+-+Paradise
ジャマイカ$:0.71円
キューバペソ:x0.042$
25-30℃
1501:スペイン・ロドリーゴ上陸
1502:クリストーバル・コロン上陸
1508:パナマは探検家ニクエサの手に。Byアラゴン王・フェルナンド5世1452-1516
1530:フランシスコ・ピサロがパナマを拠点にインカ帝国征服
1889:パナマ運河建設中断
1903:パナマ独立
パナマ運河
通行料最高値:「Norwegian Jade」という超豪華客船 313,000ドル
サンクリストバルのドミトリー:月2000ペソ--9500円
17-25℃
コロン:0.18円
ジャングルリバークルーズ
カララ国立公園
25-32℃
Mirador+de+La+Cima:展望台
プラヤ・ラ・アウディエンシア:海岸
ミネルヴァ像:ギリシャ神話の知恵の女神 ふくろう
14-20℃
10-18℃
アメリカがロシアから1867年にアラスカを購入:最初の都市がジュノー:海路・空路のみ
ケチカン市:1930年代以降大都市 シャケ⇒ゴールドラッシュ⇒観光 多雨地域 クリークストリート
夏季は客船や水上飛行機で賑わう
Tracy’s King Crab Shack:タラバガニセット20$
ナゲット滝ハイキング
トレーシーアームフィヨルド:船から見れる
Bald Eagle:米の国鳥
Juneau Sunset Walk
スカグウエー:ユーコン鉄道
13-20℃
アラスカクルーズ:天候悪い/野生生物居る
トレーシー・アーム:Black Bear
North sowyer glacier
アドヴェンチャークルーズ
水上飛行機、ヘリ、犬ぞり
13-20℃
キーナイ・フィヨルド国立公園:Exit Glacier
ザトウクジラのフルーク/ヘッドスラップ/ブリーチ行動(6-10月)
11月以降は南下してハワイへ
アイアリック氷河
スワード:漁港街
Kahiltna Glacier
デナリ国立公園
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FLEXIROAMフレキシローム【ほぼ全世界対応】動画
【チャージ式SIMカード Flexiroam X】 :150カ国 3日単位/10$
【チャージ式SIMカード AIRSIM】 :132カ国 1日単位/4$
シェンゲン協定圏
ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定 29か国 @1985
元:17円
20℃ 快適
イギリス租界と中国の古い街
超富裕層の島
鼓浪嶼(コロンズ島)
南普陀寺
中山路
数人乗りのバスで移動40元x17円
シンガポール$:82円
24-32℃
シンガポール動物園
ルピー:1.5円
26-32℃
南インド、ケーララ州中部の港町。古代ローマ時代から
交易で栄え、たくさんの人やモノ、文化が行き交いまし
南インド、ケーララ州中部の港町。古代ローマ時代から
交易で栄え、たくさんの人やモノ、文化が行き交いまし
た。16世紀以降はポルトガルやオランダなどに支配され
た歴史を持ち、街中にはこうした歴史を物語る建造物も
多く残されています。また、バックウォーターと呼ばれる
水郷地帯の北端に位置し、水と緑の穏やかな景観も魅
力。私たちが抱きがちな「喧噪のインド」のイメージにと
どまらない。
港から中心街のエルナクラム(Ernakulam)、観光地
のフォート・コーチン地区(FortCochin)、マッタン
チェリー地区(Mattancherry)までは、いずれも
約8km、車で約20分~1時間です(※混雑状況によっ
て異なります)。
アカバ:20-33℃
ヨルダン南部、紅海に連なるアカバ湾の最奥に位置す
る、この国唯一の港です。古くから、アジア、アフリカ、
ヨーロッパを繋ぐ交易の要衝となり、第一次大戦時に
アラビアのロレンスが奪取した港としても知られていま
す。近年はダイビングスポットとしても人気が高まり、
リゾート開発も進められていることから、多くのクルー
ズ船が寄港しています。ここから訪れたいのは、近郊の
世界遺産で「月の谷」とも呼ばれるワディラム。そして、
ペトラ遺跡や死海も見逃せません。まさに、一生に一度
の体験が待っています!
港からアカバ中心部「グレート・アラブ・リボルト・サー
クル(GreatArabRevoltCircle)」までは車で約
10分です。
4WD車にてワディラム観光(ロレンスの泉、ハザリ峡谷、ウンム・フルース石橋など)。
アカバから東へ約60km。映画『アラビアのロレン
ス』の撮影地としても知られる“月の谷”ワディラム
を訪ねます。赤い砂漠に奇岩の森が広がる雄大な
景観と、古代からここで生きてきた遊牧民の歴史
からは、自然と文化の壮大なドラマが見えてくるで
しょう。
死海
ペトラ遺跡:90ディナールx155円=約13000円
往復4時間
シーク:岩の壁
£:7円
20-25℃
スエズ運河
ギザ地区ピラミッド 3h
マケドニア王国 BC808-BC168
アレクサンドリア図書館:ヘレニズム時代に世界最大の図書館 考古学博物館も内部にあり
Ancient Roman Theatre :円形劇場 80EGP
ポンペイの柱:ポンペイウスの墓By十字軍 ディオクレティアヌス建設
14-21℃
・ピレウス港から高速船でミロス島経由5時間 84€ (恐ろしい人の数)
・
・サントリーニ港からティラ中心街まで路線バス 2.5€
・
・
・Kanon 散策
・絶景の夕陽
・Athinios Ferry Port / オールド ポート タベルナというレストラン
・ティラ:Cable Car 6€ 3分 ロバも6€ :x130円
・火山ツアー:約4000円
・イア:北部 (ティラからバスで30分)
・古代ティラ遺跡 €12
・アクロティリ遺跡 南部 BC1628年 大爆発 フィラのバスターミナルから路線バスに25分
・アトランティス島とも言われた
・クレタ島ミノア文明の影響@アテネ考古学博物館
15-25℃
・アテネ国立考古学博物館:ミケーネ文明
・アルテミオンのポセイドン アテナ アフロディーテ
・アクロポリスの丘 20€
パルテノン神殿:BC432 1834再建
・アテーナー・ニーケー神殿
・リカベトスの丘 :アテネを一望
・モナスティラキ広場
・ハドリアヌスの図書館 268破壊
・国会議事堂 :衛兵交代式
15-25℃
ドォーモ広場 : エトナ山の溶岩で出来たこの「黒い象」
フェデリーコ二世の時代からこの象は町の紋章
象を魔法の像と見なし、エトナ山の噴火から町を守る
ウルシーノ城:@1239
ガリバルディ門
ビスカリ宮:
音楽家:ベッリーニ
Roman Amphitheater of Catania:闘技場遺構 無料
カターニア大聖堂:守護聖人ー-聖アガタ:ベッリーニの墓
17-23℃
€:130.4円 @2022
€:164.9円 @2024
マルタ名物:パスティッチ---リコッタチーズや豆などを包んだパン
名所:港町マルサックスロック----ビール&パスタで4000円@ミシュランレストラン
名所:フェリー乗り場を中心とするマルタ観光の拠点スリマ
バレッタ要塞 地中海文明
1530 十字軍・聖ヨハネ騎士団(団長はバレッタ)はイスラムに敗れてマルタへ到着
オスマン帝国からキリスト教勢力を守る役割---聖アンジェロ砦が司令部
1565 5月-大包囲戦 200隻のオスマン軍は聖エルモ砦を陥落---騎士団の舘に描かれている
9月-シチリア援軍はオスマン軍を撤退させた
---バレッタに都市建設
騎士団は海賊となり異教徒の財宝を奪取---騎士団没落
1798 フランス・ナポレオン占領---騎士団弱体化離散---現在1万人の団員が居る
1800 9月フランス軍撤退 by 民衆蜂起
その後は英が支配
現在の騎士団---病気治療にあたった施療院・慈善活動
聖ヨハネ大聖堂@1577完成 / カラバッジョ[洗礼者ヨハネの斬首@1608]
騎士団400人の墓
アラゴン礼拝堂
アッパー バラックカ ガーデンズ
National Museum Of Archaeology
Nativity Museum Malta
ハル・サフリエニの地下墳墓
青の洞門
旧日本海軍戦没者墓地@英国軍墓地
1917 6月、英国の要請を受けて駆逐艦8隻をマルタに派遣。中東に展開する英軍艦艇など788隻を護送した。
モスタ・ロチュンダ
ドイツ軍の空爆時、爆弾がモスクを直撃するが不発 ミサ死亡者ゼロ@1942/4/9 : 聖母マリアの奇跡
マルサックスロック湾---フェニキア人の港---冷戦終結の地
マルタ独立@1964
地中海沿岸の歴史を紹介
カルタゴ:フェニキア人の入植地
ポエニ戦争によってローマ帝国が勝利
€
13-22℃
ベルベール城 円形
アルムダイナ宮殿:イスラム→アラブ
バルデモーサ・カルトゥジオ会修道院:ショパン、ジョルジェ
ソーリエル鉄道:木造最古
アルクディア旧市街
トタムンタナ山脈:世界遺産
エス・トレンク:ビーチ
パルマ・デ・マヨルカ大聖堂
€
15-23℃
コメルシオ広場:19世紀 テージョ川に面した巨大な貿易広場 ポルトガル王ジョゼ1世の像
ポルトガル王マヌエル1世(在位1495-1521)の宮殿があった
カルモ修道院@1423完成:中世遺跡 考古博物館
1755年リスボン大地震で破壊、衰退
ロシオ広場(ペドロ4世広場)@14世紀
カンポ・ペケーノ闘牛場:1892
アグアス・リブレス水道橋@1744完成 上を歩ける
サンタ・エングラシア教会@1966
エドゥアルド+VII1841-1910+デ・イングラテーハ公園
ヴァスコ・ダ・ガマ橋
発見のモニュメント@1940:大航海の偉人エンリケ航海王子の没後 500 年を記念
エストレラ大聖堂@1790 BY女王マリア1世
ジェローニモス修道院@1501 10€
ベレンの塔@1519
サン・ジョルジェ城@BC2世紀
ポルト : ポルトガルの語源 ポートワインの町
コインブラ : 世界有数の古い大学の町
↓ 列車で3時間
カステロ・ブランコ : 最もポルトガルらしいモンサント村(岩の家:要塞都市)
8c-13cイスラム文化
オブリガート=ありがとう
エントロンカメント : 鉄道博物館 戦争中立で残った王室列車
サンタレン : 塩田--昔は海の底だった リオ・マイオルの塩 普通の5倍の価格
リスボン : ファド 民族歌謡
ポルトガルギター:世界へ
ヴァラード・ナザレ : 港町
エヴォラ : 古都 アレンテージョ地方 コルクの産地 世界シェア50%
ファロ : 南部最大の町
自転車を交通の中心にする後押しが「ユーロベロ」。サイクリングルートは42カ国を結ぶ16ルート 総延長70000kmに及ぶ。主催はヨーロッパサイクリスト連盟のアダム・ボーダー氏。EV 8 - 地中海ルート、スペイン南部のカティス~アドリア海のコマッキオ迄の2500kmを紹介。
【カディス】 ユーロベロ走破出発点 カディス 大航海時代にコロンブスが出航した港がある
タビラの塔 カディス中央市場(スペインと言えば豚) グラシャス ディオス広場
【チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラ】
【タリファ】 ジブラルタル海峡を挟んで15km先のアフリカ大陸が見えるイベリア半島最南端
アンダルシアはスペインの南海岸に位置する自治州 8~15 世紀までムーア人の支配下
【グラナダ】 コルドバのメスキータ大聖堂、グラナダのアルハンブラ宮殿 イスラムの後はキリスト教徒が支配
グラナダ最古の街並み・世界遺産:アルバイシンの丘 イスラム教徒の城塞都市 ギター職人の工房
【バルセロナ】 紀元前に開かれた港
モンセラートの崖:ガウディー建築に影響を与えた 聖マリア・モンセラート修道院:謎多き黒いマリア母子像
サグラダ・ファミリア聖堂
┣世界遺産なのに現在も建築中
┣着工以来140年
┣ずっと違法建築であったが2019年にバルセロナ市が許可
┣耐震基準満たしていない---バルセロナは地震少ないが・・・
┣螺旋階段の支柱が無い
┣2026に6塔すべてが完成予定というが・・・
┣100年記念で主塔完成記念にしている
┣昔は入場無料だったが2001年以降有料--現在は26ユーロ 約163円/ユーロ 予約必要
┣昔は並ぶこともない--40年前
サン・ジュセップ市場:ガラス細工 イベリア豚の生ハム--豚を禁じるイスラム圏でも生ハム文化
レコンキスタ:バルセロナをいち早く奪還--キリスト教文化のワインが盛ん --世界最古byアルナウ・オジェール
964年貴族の称号
6世紀 キリスト教圏
7世紀 イスラム教が僅か5年ほどでイベリア半島を攻略 数世紀攻防
8世紀 イベリア半島北側のキリスト教圏が奪回準備:アラゴン王国--ハイメ1世(征服王)1208-1276
スペイン統一はフェルナンド2世1452-1516妻はイザベル1世1451-1504
バルセロナをいち早く奪還--キリスト教文化のワインが盛ん
ハイメ1世が是非取り戻したマヨルカ島--パルマ;人口40万貿易港
それまではイスラムの拠点 今も見張りの塔が数百ある
サン・ミゲル教会@パルマ ハイメ1世がコンキスタドールに来た時の絵画 嵐の中聖母に祈る
1238 アラゴン王国がバレンシア奪還 クアルトの塔はその時の城門
イスラムの豊かな文化を受け継ぐ:絹織物文化 モザイクタイル 灌漑設備
バレンシアは年中温暖By海流
【アルル】 カマルグ自然公園:10万haの湿地帯にピンクフラミンゴなどが生息 世界でも古い種カマルグ馬は乗馬用
茶色が成長すると白馬 30年前は野性が居た ゴッホが晩年に暮らした町
【マルセイユ】 地中海沿岸のキリスト教とイスラム教融合の町
ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院 旧港
サン=ポール=ド=ヴァンス:マティス1869-1954、ピカソ、シャガールを魅了した街
アンリ・マティスの礼拝堂1951完成
【マントン】 伊との国境の町
【モンフォルテ・ダルバ村】 世界有数のワイン・バローロ(イタリア語ではvino)の産地
【フェラーラ】 14世紀ルネッサンスの町 自転車の町 このを治めたのはエステ家、オベルテンギ家に起源をもつ貴族、11世紀に当主アルベルト・アッツォ2世996-1097以降400年に渡って統治
【コマッキオ】 アドリア海に面した漁師町 ウナギが美味しいbuono
ウォーレン・バフェット1930-の肩書は投資家。ネブラスカ州オマハというアメリカの中北部の何もない田舎
35歳の時、 繊維業のバークシャー・ハサウェイの経営権を取得
40歳の時、 バークシャー・ハサウェイの会長
43歳の時、 ワシントンポスト株購入 ワシントンポストの社外取締役となる
44歳の時、 バークシャー・ハサウェイ株が下落、半減する
49歳の時、 ABC株を1株当たり290ドルで購入 この頃のバフェットの純資産は1億4000万ドル 年末には6億2000万ドル
55歳の時、 バークシャーの繊維部門は不振、再建を断念して工場を閉鎖 最後の9年間累計で5億3000万ドルの赤字
3億1500万ドルで世界書籍百科事典製造社を買収
57歳の時、 アメリカ最大規模の証券会社ソロモンに7億ドルを投資して取締役に就いた
58歳の時、 コカ・コーラ株を買い始め、バフェットの純資産は約42億ドル
80歳の時、 ビル・ゲイツ1955-とともに自身が出資する中国のBYD工場を訪れ、「M6」発売のセレモニーに出席
・全米家族計画連盟理事長がビル・ゲイツの父
連盟の創設者がマーガレット・サンガー1879-1966
全米家族計画連盟 :民主党の支持母体
優生学を広めた人物でもある
・劣等は生きるべきではないという考え方
ナチの考えの根拠
・人類の品種改良が必要という考え方
・障碍者、犯罪者、少数民族は適さない
・米に於ける白人至上主義の根本
・最初に唱えたのはフランシス・ゴールトン1822-1911
ゴールトン :進化論を唱えたダーウイン1809-1882の従兄
進化論 :劣った生物が自然淘汰された
避妊クリニックを開設
中絶推進 :女性は妊娠から解放されるべきである----キリスト教に反する 逮捕されている
経口中絶薬推進
・OS開発
・1977:マイクロソフト
・2000:ビル&メリンダゲイツ財団創設
・途上国医療支援
・あらゆるワクチン : インドでは副反応で訴えられている
・コロナウイルスパンデミック・シミュレーション実施@2019
コロナパンデミックが世界中で発生@2020
コロナウイルスは人的に製造された可能性が高いと発表 BY米公的機関
プランデミック :計画された感染爆発
・WHOに資金提供 :WHOはワクチン推奨
・製薬会社等々にも資金提供 :ワクチン推奨
・医療の援助を拒む国、政府はほとんどない
81歳の時、 日本に初来日、福島訪問
90歳の時、 日本の大手総合商社の5%の株を投資・購入
11世紀から13世紀にかけて行われた十字軍の遠征(エルサレムをイスラムから奪還すべくキリスト教徒が遠征した)は大失敗であったが、良かった面は交易が発達して商業が栄えた点である。つまり封建制度は衰退し自治都市が生まれ、組合による情報共有が行われるようになった。アウクスブルグを中心とした南ドイツ地方に商業圏が発達し、シャンパーニュ地方が都市化し、香辛料などの東方貿易で地中海商業圏はロンバルディア同盟を結んで発展した。そして北ヨーロッパ商業圏に於いてはフランドル地方の毛織物貿易を中心にハンザ同盟(ドイツ商人による経済共同体)を結んだ。これにより当初は領主、国主(それぞれの言い値で商売が成り立っていた)と対立したが、やがて領主と雇われ人の封建的な関係は衰退していき、物価競争による価格低下が流通を反映させることとなる。
ハンザ同盟によりバルト海と北海の交易は強大な軍事力を持つドイツ商人の独占状態となるが、14世紀末になるとデンマークはノルウエー、スウエーデンと三国同盟を結んで、バルト海の入口にある海峡に見張り台を築き、通行税を徴収し始めた。これは国家予算の1/3になったという。これは小国が軍事を整え強国となる礎になった。
北ヨーロッパ商業圏に於ける王国の推移を少し記載してみる。BC4世紀頃はゲルマン民族の中でも北側に属するノルマン人が、1000年以上の後にバイキングとして割拠する。かくして北欧で最初に王国を作ったのはハーラル1世911-986、その国はノルウエーである。このノルウエー統一はバイキングのような略奪方法ではなく、交易を重視し海運の安全を保障することによって豪族たちの協調を得た結果のようである。日本で言えば村上水軍が繁栄したときの政策に類似している。しかし息子エイリーク1世の治世ではバイキングに成り下がり、イングランド・エセックスの支援を受けた異母弟により王座を追われた。かくして11世紀にはデンマークに併合されたが、12世紀には再び独立回復しホーコン4世1204-1263の治世で最盛期を迎える。14世紀になるとペストが流行し、ハンザ同盟による自治の勢いが増して、ノルウエー王国は衰退した。そして14世紀末にはデンマークの支配下となる。(デンマーク、ノルウエー、スウエーデンの間で締結されたカルマン同盟の支配下)
1523年、スウエーデンがカルマン同盟を離脱するノルウエーはデンマークの統治下となり、デンマークのフレゼリク1世はルターの思想を導入するが受け入れられず、プロテスタント思想は辞めた。しかし1534年の伯爵戦争ではルター派が勝利する。一方スウエーデンは17世紀以降は強大化して度々侵攻をうけたが大北方戦争1700-1721ではスウエーデンに勝利して海運業に参画できるようになる。
ところでスウエーデンやノルウエーの先住民・サーミ人(サーメ人)はアイヌ民族との交流もあり、トナカイを猟する遊牧民であるが現在は定住して居る。トナカイは耳に切り目を入れて所有者の区別をしている。火に対する概念はシャーマンの魔術に通じるという。イナリのサーメ人が尊敬してきた光はオーロラ。オーロラに叫ぶと燃え上がるという。オーロラは寒くなるほど色々に輝くという。
ノルウエーの都市ベルゲン(人口28万の港町、11世紀にバイキングが造営、12-13世紀では首都、14-15世紀はハンザ同盟の都市で、ベルゲンとは不凍を意味する)は1000年前から海上貿易(干しタラの交易など)で栄えたハンザ同盟有数の街で、アナ雪の女王に深く関わった街でもあるという。1070年、当時のオーラフ・フィッレ王による街作りに始まる。ブリッゲン地区はアナ雪で登場するアレンデール王国の街並み(カラフルな三角屋根は木造の切妻造り)で参考にした世界遺産登録地という。このエリアの建物が作られたのは1360年、ドイツの貿易商が使う倉庫街が現在は三角屋根の街並みとなった。
近郊にはファントフト・スターヴ教会があり、アナ雪にでてくるアレンデール城のモデルとなっている。バイキングの地にキリスト教が入り込んだのは9世紀頃。この時両者は激しく対立する(映画:ウオリアー)。しかしバイキングは既に世界各国との交易を行うなかで、キリスト教を受け入れる者も数多く居た。そしてバイキングの間でも戦いが生じたという。かくして300年にも及ぶ時間の中でバイキングはキリスト教を受け入れた。
教会の装飾には龍がつかわれ、これはバイキング船(オーセベル船:全長20m 1904年オスロ郊外の農地で発見されたものがオスロ博物館にある)の魔除けだという。キリストの祭壇にはバイキングの偉大なる神・オーディンが飾られている。このようにバイキングがキリスト教を受け入れたことは、バイキングらしさを失い、栄光の時代の終焉でもあった。
最も古い建物・マリア教会は12世紀にドイツ人のために建てられた。港の入口にそびえるローゼン・クランツ(ベルゲンの領主)の塔は1560年代建造。13世紀に政治の中心であったオーコン王の館。
港町ベルゲン / 三角屋根の家 / ファントフト・スターヴ教会
ノルウエーで見逃せないのはフィヨルド(アウルラン・フィヨルド、世界一狭い250mネーロイ・フィヨルド、高さ600mのリーセ・フィヨルド、トロル(妖精)の舌と言われるハルダンゲル・フィヨルド)、ベルゲンからベルゲン鉄道でフロム(険しい山間の小さな平地という意味)まで行くと、フェリーによるフィヨルドクルーズ(水面に張った氷を割りながら進む)が楽しめる。
ところで、ベンゲン線が走るのは山岳の豪雪地帯、ベルゲン線のフィンセ駅は除雪基地の駅である。標高は1222m。ここにある除雪機が「スノー・ブロワー」とも「トランスフォーム除雪車」とも言う世界で3台しかない巨大重機である。ファンによって吸い込まれた雪は砕かれて上部から吐き出される。その除雪能力は12700トン/hである。
トロル(妖精)の舌と言われるハルダンゲル・フィヨルド / 高さ600mのリーセ・フィヨルド
北欧ノルウエーの先住民族(7万人が住むという)はサーミといってトナカイを放牧して暮らしている。1000年以上トナカイの肉や毛皮の交易で生計を立てている。
タルタロス(奈落神:原初神 親はカオス)
┣デュポン(巨大:最強の怪物、下半身は毒蛇)
┣エキドナ
ガイア(大地:原初神)12神を産む
┣エレボス(地下)
┣アイテル(天上・光)
┣ヘメレ(昼)
┣ニュクス(夜)
┣ポントス(海)
┣エロス(愛)
┃
┣クロノス(=ローマ神話ではサートゥルヌス:父ウラノスを倒して王となる):ゴヤ
┃ ┃ 父ウラノスの呪いにより子供を次々と飲み込む
┃ ┃ 困ったレアはガイアに相談して、ゼウスの代わりに石を飲ませる
┃ ┃ ゼウスはクロノスに薬で復讐 ⇒ 飲み込んだものを吐き出す
┃ ┃ タイタン勢 ⇔ ゼウス勢はキュプロクスとヘカトンケイルを仲間にする
┃ ┃ ゼウス軍はタイタン軍に勝利⇒ゼウスが神々の王
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┣⑫ヘスティア
┃ ┣デーメーテール
┃ ┣ケイローン
┃ ┣アンゲロス(使者)
┃ ┣⑫ハデス(冥界:番犬がケルベロスという複数の頭を持つ怪物)
┃ ┃ ┣
┃ ┃ペルセコネ(父:ゼウス 母:デメテル(農耕神))
┃ ┣⑫デメテル:豊穣の女神
┃ ┃ ┣ペルセポネー:蛇に変身したゼウスとも交わりザクレウスを産む
┃ ┃ゼウス ザクレウスは地下タルタロスにいるティタンに殺される(ヘラの嫉妬)
┃ ┃ アテナがティタンを追い払いザクレウスの心臓をゼウスの元へ
┃ ┃ それを知ったゼウスはティタンを焼き殺す→人間の源:オルペウス教
┃ ┃
┃ ┃ 軍神アテナ:ニケ像を持つ
┃ ┃ ガイア
┃ ┃ ┣カリデュビス(渦潮の怪物)
┃ ┣⑫ポセイドン(海の神)
┃ ┃ ┣トリトン(人魚)
┃ ┃ アムピトリーテー レーダー
┃ ┃ ┣クシュタイムネストラ
┃ ┃ ┣ヘレナ 水瓶座、衛星ガニメデ
┃ ┣⑫ヘラ(全能の神:3美神) ⇔ ヘパイストス ┃ ┣ヘラの嫉妬で死亡 鷲に化けたゼウスが天上に浚う
┃ ┃ ┃テミスと離婚後 ┃ハデス(パリス:トロイア王子→トロイア戦争 トロイアの祖:ガニュメデス)
┃ ┃ ┃キタイローン山で逢引 ┃
┃ ┃ ┃ダイダラ祭 ┃ラミア(リビアの女王:子供を食う怪物に化ける)
┃ ┃ ┃ ┃ ┣
┃ ┃ ┣ヘパイストス(パンドラを創造) ┃ ┃ テミス(法の神:剣と天秤)
┃ ┃ ┣アレス(愛人:アフロディーテ) ┃ ┃ ┣ホーライ、エウノミア、ディケ、アトロポスEtc
┃ ┣⑫ゼウス(最高神 ローマ神話では木星ジュピター)兄姉を仲間にオリンポス山を本拠地にする(オリンポスの神々)
┃ レア ┃┃┃ ┃┃ ローマのラテン語でユピテル⇒ギリシャ神話を取り入れてジュピター
┃ ┃┃┃ ┃┃ 2000年前ローマ帝国最盛期⇒ヨーロッパ全土にローマ神話(ラテン語)拡散
┃ ┃┃┃ ┃┃【惑星】
┃ ┃┃┃ ┃┃ 水星マーキュリー:⑫ヘルメス(ゼウス+マイア)
┃ ┃┃┃ ┃┃ 金星ビーナス :アフロディーテ
┃ ┃┃┃ ┃┃ 火星マーズ :⑫アレス
┃ ┃┃┃ ┃┃
┃ ┃┃┃ ┃┣ヘラクレス
┃ ┃┃┃ ┃┃ ゼウスはヘラの乳を飲ませる:Milky Way :ティントレット 天の川の起源
┃ ┃┃┃ ┃┃ ヘラクレスに教えを授けたのがケンタウロス族のケイローン:上半身は人、下半身は馬
┃ ┃┃┃ ┃┃
┃ ┃┃┃ ┃アルクメーネー(アンフィトリオン将軍の妻)
┃ ┃┃┃ ┃ ヘラの嫉妬を恐れて子を捨てる
┃ ┃┃┃ ┃ ゼウスの命で子はアテナに拾われる
┃ ┃┃┃ ┃ 同行したヘラは子に不死の乳を飲ませる
┃ ┃┃┃ ┃ その子がゼウスの子と知ったヘラは毒蛇を差し向ける⇒失敗
┃ ┃┃┃ ┃ ヘラの呪いでヘラクレスは子供殺し⇒エウリュステウスに救いを求める
┃ ┃┃┃ ┃ ⇒十二の功業
┃ ┃┃┃ ┃ (ヒュドラ退治)
┃ ┃┃┃ ┃ (ゲーリュオンの牛退治:牛を守っていたのが双頭の犬オルトロス)
┃ ┃┃┃ ┃
┃ ┃┃┃ ┃
┃ ┃┃┃ ┣ペルセウス⇔ゴルゴン姉妹(メデゥーサ:3姉妹の中で唯一不死でなかった)
┃ ┃┃┃ ダナエ ┣ペルセース(ペルシャ王家の祖:ゼウスが父?)
┃ ┃┃┃ (アルゴス王の娘)┃ 海に流され島の王からParty招待⇒プレゼント無い
┃ ┃┃┃ アクリシオス ┃ ならば怪物メデゥーサ(元々は美女)の首を代わりに差し出す
┃ ┃┃┃ 青銅の塔幽閉 ┃ 退治方法:アテナはヘルメスとともに助っ人
┃ ┃┃┃ ┃ 退治道具:鏡の盾、サンダル、斧
┃ ┃┃┃ ┃
┃ ┃┃┃ ┃ メデゥーサ:アテナの神殿でポセイドンに乱暴される
┃ ┃┃┃ ┃ アテナの呪いで怪物になったメデゥーサ
┃ ┃┃┃ ┣他6神 切り落とされた首からの流血⇒ペガサス
┃ ┃┃┃ アンドロメダ(父エチオピア王・ケーペウス 母:カシオペア王妃)
┃ ┃┃┃ レンブラント、ティッツァーノ:ダナエ
┃ ┃┃┃
┃ ┃┃┣⑫アフロディーテ(イクテュオケンタウロスが出生に関与)
┃ ┃┃┃(愛と美の神:オリンポス12神 愛人アレス)
┃ ┃┃┃ ┣
┃ ┃┃┃⑫ヘファイストス(鍛冶屋)⇔ ヘラ
┃ ┃┃ディオーネ
┃ ┃┃
┃ ┃┣⑫アテナ(戦神:3美神):ゼウスの頭から誕生
┃ ┃メティス(知恵の女神:最初の妻 クロノスに吐き出させる)
┃ ┃ ゼウスが飲み込んだメティスの子がゼウスの頭に宿り頭痛→頭を割るByヘファイストス
┃ ┣⑫アポロン(太陽神)
┃ ┃┣
┃ ┃ヒアキントス(スパルタ王子)
┃ ┃
┃ ┣⑫ディアナ(月神 テーバイ王子アクタイオンを鹿に変えて殺す)
┃ ┃ アルテミス
┃ レートー(コイオスの娘:ティタン @デロス島で出産)
┃
┃
┃ガイヤ:ウラノス殺害命令
┃ ┣ティターン族(12人:巨人)
┃ ┃ オーケアノス :海流
┃ ┃ ┣エウリュノメ : ゼウス3番目の妻
┃ ┃ ┣カリテス:典賀の女神 アグライア、タリア、エウプロシュネ
┃ ┃ ゼウス
┃ ┃
┃ ┃ テーティュース:海
┃ ┃ ヒューペリオン:太陽
┃ ┃ クロノス :農耕
┃ ┃ レア :大地
┃ ┃ テミス :正義
┃ ┃ ポイベー :光
┃ ┃ ムネモシュネ :記憶
┃ ┃ ┣ムーサイ:芸術の女神
┃ ┃ ゼウス
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┣キュプロクス(1目化物 :地下に閉じ込められる)
┃ ┣ヘカトンケイル(複頭百手 :地下に閉じ込められる)
┃ ┃
┣ウラノス(天空神:ガイアの子)✖⇔◎クロノス
┃クロノス+ティターン族 ✖ ⇔ ◎ ゼウス+クロノスが吐き出した子=オリンポス12神+ヘラクレス
┃ 地下へ追放される 巨人族(ギガンテス)と戦う:ギガントマキア
┃
┃
┃ ⑫ヘルメス(父:ゼウス 母:マイア(ティタン アトラスの娘))
┃ 切り刻まれて7つの海へ ┣ヘルマプロディートス(サルマキスに強姦されて合体 両性具有)
┃ 白い泡(アプロ)から ⑫ヴィーナス誕生(軍神マルス(ゼウスとヘラの子)と不倫 子はボボス)
┃ ┃ ┣
┃ ┃ 美少年アドニス:アネモネ
┃ ┣
┃ ⑫ウルカヌス(鍛冶神 従者:キュプロクス)
┣イーアペトス
┣プロメテウス(プロローグ:先の物事を考える)
┃ 人間創造 人間に火を与える⇒人間は火を悪用
┃ ⇒ゼウスの怒り:プロメテウスが磔の罪(鷲に肝臓を食べさせる:3万年)
┃ ⇒ゼウスの怒り:人間界に女(パンドラ)を送る⇒人類に災厄をもたらす
┃ ┃気になる壺の中を見る⇒病・死・希望が人間界へ
┃ ┣ピューラー・・□□・・人間
┃ ┃
┣エピメテウス(エピローグ:移動した後で考える)
クリュメネー
アイゲウス(アテナイ王)
┣テセウス(ミノタウロス退治(牛頭人身)@迷宮ラビリントス:ダイダロス&イカロス設計)
┃ ┣ ミノタウロス:ミノス王の妻パーシパエが生んだ子
┃アリアドネ(ミノス王の娘)
┃
アイトラ
アテネの中心部にある聖域・アクロポリス(小高い丘の上の街という意味)はアテネの発展とともに変化した。古代のアテネは 紀元前2世紀頃にローマ軍勢に征服され、中世にはオスマントルコによる征服に変わり、略奪、破壊が行われた。アクロポリスに入って最初に見えるのは、アグリッパの記念碑。初代皇帝アウグストゥスの側近であり娘婿だったアグリッパが戦車競技に優勝した記念に作られた。紀元前5世紀に起こったペルシャ戦争では大きなダメージを受けたが、銀山による資金や庶民からの寄付によって復興した。
エレクテイオン、それは6体の女神の柱を持つ神殿で紀元前5世紀のもの。ポセイドン神とアテネ神がここにオリーブの木を生み出し、アテネがここの守護神に選ばれたという。やがて多くの神々がここに祀られるが、ビザンチン時代には美術館、オスマントルコ時代にはハーレムとして使用された。パルテノン神殿は紀元前5世紀にペルシャ戦争勝利を記念してアテネに捧げられた神殿である。往時は壁や柱は色鮮やかに飾られていたという。この建築様式はローマ帝国にも多大な影響を与えている。
【古代ヘレニズム文明 BC323-BC30】は、ローマ・アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化【BC8世紀】が融合した「ギリシア風」の文化であるが、独自性はなくギリシャ文明の継承にすぎない。ヘレニズムの語源はギリシャ人(ヘレーン)からきている。ルーブル博物館でひときわ目立つのがアフロディテ像:通称ミロのビーナス、愛と美の女神である。BC2世紀頃の作と言われている。1820年にギリシャのミロス島(クレタ島の北に約100km)で発見され、後にルイ18世に献上された。多くの破片として発見されたビーナスは、いまあるように修復されたが、今も尚腕の部分は発見されていない。それがゆえに、どのような腕の形状だったのかが、人々を魅了する部分でもあるという。
【アフロディテはミロのビーナス】 ミロス島の現在の人口5000人、2800年前から人が住んでいた古代都市の丘の上でアフロディテは発見された。アフロディテは古代都市にあったスタジアムを守る神々の像の一つであったという。やがてこの島にキリスト教が入ると神々の像は破壊されたが、一部は石で造られた洞窟に隠された。やがてある農夫が洞窟を見つけ、1820年に噂を聞きつけたフランス海軍の将校は大発見だと知る。オスマントルコから1000フランで買い取ったことからルーブル美術館所蔵となった。
【アルテミス(ディアナ)とヘラ】 ミロス島の北東100kmのところにあるデロス島で生まれたのはアルテミス(月の神:通称ギャビーのディアナ)、アポロンとは双子の兄妹で、狩りの女神でもあり穢れなき少女たちの守り神でもある。彼女は男を嫌う純潔の処女神である。
ディアナの水浴を見てしまったアクタイオンは鹿に変えられ、飼い犬にかみ殺される(ティッツァーノ:アクタイオンの死@ロンドンナショナルギャラリー)。
ロンドンナショナルギャラリー:贋作コーナーがある。美術館としては贋作を掴まされたのは恥だとして隠すのが日本。いっぽう仕方のない事だとして贋作の理由等々を説明して展示している。日本の隠蔽する文化との違いを思う。
伝説によると母・レトはこの島でアルテミスを先に産むと、アポロンが生まれるのを手助けしたという。次はサモス島、エーゲ海のトルコに面したこの島は結婚の女神ヘラが生まれた島。ヘラは全能の守ゼウスの正妻である。ヘラは嫉妬深くゼウスの愛人たちを迫害したが、ギリシャの女性からは愛された神である。婚約の場でアルテミスに祈り、結婚の場ではヘラに祈り、初夜の晩にはアフロディテに祈ったという。
【アフロディテが生まれたキプロス】 アフロディテ(ギリシャ人はアフロダイテと言う)が波の泡から生まれた@キプロス島、ボッティチェリの名画「ビーナスの誕生(1483年頃)」の舞台なった島である。実はこの泡は天空の神ウラノスが子供の時空の神クロノス(サトゥルヌス)に殺され、7つの海に投げ入れられたときにできた泡である。またアフロディーテはウラノスの男性器から生まれてとも言われる、貝に乗ってキティラ島に上陸。キティラの女神→シセラの女神→サイゼリア
古代の巡礼者は丘の上にある紀元前12世紀のアフロディテ神殿を訪れたという。今では破壊された遺跡のみが残る。神殿の台座に置かれていたのはアフロディテを象徴する石。子宝祈願の石である。ここキプロスはBC1200年頃ギリシャ人が、BC1000年頃フェニキア人がやってきた。フェニキア人によって作られたキプロスの盃BC750年頃にはファラオやスフィンクスが刻まれ、当時の大国エジプトとの交易を物語っている。BC3世紀にキプロスはローマの支配下にはいり、ローマが分裂後は東ローマ帝国に属した。この時代にスタブロブーニ修道院が神殿跡に建てられた。ここの天井や柱はイコン(ギリシャ語 聖書に出てくる出来事を描いた絵 英語ではアイコン)で埋め尽くされている。つまり人々の信仰はアフロディテから聖母マリアへと移り変わったことがわかる。11世紀になると十字軍によりキプロスは戦争に巻き込まれたが、イスラムとキリストの文化が混ざり合ったとも言える。
アフロディテは鍛冶神ウルカヌス(父:ゼウス 母:ヘラ)を夫にするが、アポロン、ポセイドン、ヘルメスなど多くの神を魅了し、軍神・マルスと不倫する(ボッティチェリ:ビーナスとマルス@ロンドンナショナルギャラリー)。ゼウスとマイア(アトラスの娘)の子・ヘルメスとの間に美少年ヘルマプロディートスを産む。ヘルマプロディートス(アプロディートス)は水浴びの最中にサルマキスに強姦される。
【アレクサンドリアのセラピス神殿跡】 祀られているセラピス神はギリシャとエジプトの神を融合させたあらたな神である。現在残る神の像をつくったのはプトレマイオス1世である。
プトレマイオス1世BC367-BC283:アレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世:ギリシャ人)BC356-BC323の配下。アレクサンドロス大王の死後にエジプトのプトレマイオス朝初代ファラオとなる@BC305。首都はアレクサンドリア、世界初の100万都市
さらに地下からはヨーロッパとの交流を裏付ける巨大な図書館収蔵庫が発見された。所蔵されていた書物は70万。地中海各地から一流の学者が集められて最先端の研究が行われた。バチカンに残されているラファエロの「アテネの学堂」に描かれている人たちである。ギリシャ出身の幾何学のユークリッドはアレクサンドリアで学んだ。てこや浮力の原理で知られるギリシャの数学者アルキメデスも学んだ。このように哲学・美術・自然科学の研究が盛んに行われ、学問と芸術の都として栄華を誇ったのである。砂糖をエジプトにもたらしたのはアレクサンドロス大王だった。今でもアレクサンドリアでは多くのギリシャ人が暮らし砂糖菓子を楽しんでいる。
エーゲ海文明
【BC数千年】は古代ギリシャ最古の文明
【クレタ文明:クレタ人 発掘者はエヴァンズ英 BC20-BC14c】
地中海に浮かぶ島々で一番知られているのはクレタ島だろうか。ヨーロッパ最古の文明を持ち、1900年頃に発見されたクノッソス宮殿は青銅器時代最大の遺跡で、ギリシャ神話ではダイダロスが建設したとある。ゼウス神生誕の地であり、ゼウスとエウローペ(ヨーロッパの語源)の子・ミノス王は地中海を制覇する。ミノス王の命により古代アテネは、ミノタウロス【ミノス王妃と牛の子】への生贄を強要されていた。怒った少年英雄テーセウスはクレタ島に乗り込んでミノタウロスを退治し、ラビュリントス:迷宮に閉じ込める。
【ミケーネ文明:ギリシャ人 発掘者はシュリーマン独:著書古代への情熱 BC16-BC12】
【トロイア文明: 発掘者はシュリーマン独 BC15c】 ミケーネとの戦いがトロイア戦争
の三文明などがある。そしてそれは古代オリエント(メソポタミア文明)から伝わった。BC12世紀には鉄を持ったドーリア人が侵入しポリス(集団社会)を形成。BC8世紀にはティレニア湾岸のエトルリア人や地中海ティルス本拠地のフェニキア人によって建設されたカルタゴ(今のチュニジア)が地中海を支配する。
観光旅戸で最も人気があるのはサントリーニ島であろう。BC16世紀の火山の大爆発の後に文明が発達、古代ティラ遺跡があるティラ、イアは主要都市である。レッドビーチ、ヴリハダビーチ、ベリッサビーチを見下ろす断崖には白壁の住居が密集し、絶景である。
【BC1200-BC800】 By ギリシャ人 暗黒時代(歴史不明の時代):歴史的資料が極めて乏しい400年間
【BC800】 フェニキア人が運んできた文字・アルファベットが発見された ポリス(1100)という閉鎖的な都市国家が誕生 王不在の共和制 多くのポリスは互いに排他的 貴族(財産大)、平民(財産小)、奴隷(財産無し)で構成され、ポリスを守れる男性のが市民でありギリシャ語を喋るヘレネスに対してギリシャ語を喋れない人をバルバロイと呼んだ。そして貴族は土地を持ち、商業の拠点作りのために植民活動を行う。したがってフェニキア人とぶつかる
有名なドーリア人(鉄器)のポリスとしてスパルタ(農業・自給自足:閉鎖的 2/3奴隷は国有--リュクルゴス国制)がある。イオニア人のアテネ(商工業・貿易:開放的 1/3奴隷は個人所有)。軍国主義的な制度・リュクルゴス制の中で市民、ペリオイコイ(半自由)、ヘイロータイ(奴隷)で構成された。また平民と貴族による民主政治を実現させたのがアテナイ。
映画--300--帝国の進撃
スパルタ(レオニダス1世) VS ペルシャ(クセルクセス1世BC519-465--ダレイオス1世の子)@テルモピュライの戦い
【アテネ】BC8c誕生 王政?→貴族民主制
BC621 ドラコンの立法 成文化
BC594 ソロンの改革:金持ちの平民が政治参加 財産政治
BC561 ペイシストラトス政治:悪い貴族排除 僭主政治
【BC6世紀】 ソロンの債務奴隷禁止
【BC525】 アケメネス朝ペルシャ成立したことで、アテナイとの戦争がはじまり(サラミスの海戦で無産市民が活躍)
アテナイは民主化する。
BC508 クレイステネス政治 民主政治の基礎固め デーモス+クラトス=デモクラシー
【BC500 ペルシャ戦争】 ギリシャ◎ VS ✖ペルシャ
【BC480】 サラミスの海戦ではアテナイの政治家、軍人テミストクレスがギリシアを随一の海軍国に成長させ勝利
人類史上初めての海上決戦
BC ペリクレス政治 民主政治完成
情勢不安定なときに現れるプラトンBC427-347、アリストテレスBC384-322、ソクラテスBC470-399
【BC431-404 ペロポネソス戦争】 デロス同盟のアテナイ✖ VS ◎ペロポネソス同盟のスパルタ というペロポネソス戦争勃発。
アテネ:ペリクレスBC495-429 独裁的民主制
ペリクレス病死後に現れる扇動政治家(デマゴーゴス)が民主制を滅ぼす
衆愚政治:口先だけで人々を操る:現代でいうポピュリズム
参考:民主主義の真実(塩野七生著)
これはアケメネス朝ペルシャが両者の崩壊を狙って煽る。
アテナイでの疫病などでスパルタは勝利するが、やがて衰退し新たにテーベというポリスが現れる。
【BC338】 カイロネイアの戦い : アテナイ・テーベ連合軍はマケドニアに敗れ、コリントス同盟ができる
コリントス同盟=マケドニア騎兵+アテネ重装備歩兵
マケドニアはギリシャよりも小さな国であるが騎馬が得意
アテナイは衆愚政治で国内はボロボロ
この時のマケドニア盟主がフィリポス2世BC382-336でアレクサンドロス大王BC356-323の父である。
アレクサンドロス大王はBC343年12才の時にアリストテレスと出会い、教わる
BC334年 東方遠征開始
BC333年 イッソスの戦いでペルシャ(ダレイオス三世BC380-330)を破
ダレイオス三世逃亡
BC331年 アレクサンドリア@エジプト 建設(他にも8か所建設⇒目的は融合)
東西融合政策:ヘレニズム--ギリシャ(ヘレネス)+オリエント
世界市民主義=コスモポリタニズム
⇒個人主義
民主制だけではなくエジプトの統率力を学ぶ(ファラオの称号をゲット)
ガウガメラの勝利でダレイオス三世を制圧---ペルシャ側を登用
BC330年 ペルセポリス陥落
ダレイオス三世の娘と結婚
マケドニア&ペルシャの集団結婚推進 民族浄化策
BC323年 アラビア遠征前に 首都バビロンで病死@33歳
後継者争い・ディアドコイ戦争で領土は分裂し、シリア、マケドニア、エジプトに分かれる。
シリア : セレウコス ⇒ パルティア + パクトリア
マケドニア : アンティゴノス
エジプト : プトレマイオス
【ヘレニズムの終焉】 マケドニアはローマによってBC168年に滅亡、シリアはBC64年にポンペイウスによって滅亡、エジプトはBC30年にクレオパトラ7世が自殺することで滅亡した。
【ヘレニズム文化】 エピクロス派とストア派によるコスモポリタン(世界市民主義)の象徴がアレクサンドロス大王やディオゲネスといった哲学者を集めたサロン開催する人。
【アルザス・ロレーヌ地方の争奪戦】 ドイツとフランスの境界に位置するアルザス・ロレーヌ地方は有数の石炭・鉄鋼の産出地である。がゆえに昔から係争地となってきた。元々はドイツの領土(神聖ローマ帝国)であったが1618-1648の30年戦争では一部が仏へ割譲、ルイ14世の自然国境説により領土拡大、普仏戦争で仏独が対立してアルザス・ロレーヌ地方がドイツに割譲される。第一次世界大戦のパリ講和条約では仏に移り、第二次世界大戦では一時ナチス独に落ちるが再び仏へ戻るといった争奪戦が繰り広げられた。
ところでアルザス地方で風光明媚な町といえばコルマール。オレンジ、黄色、茶色、緑で塗られた壁の珍しい建築物(コロンバージュ)がいっぱいで、15世紀に建てられた旧税関を中心に、当時は経済の中心であったという。アルザス地方のシンボルはコウノトリ、兵庫県豊岡と同じく湿地帯にも恵まれているようで街のあちこちでコウノトリの像が見られる。コルマールに生まれたバルトルディは自由の女神の作者である。彼がアメリカ独立100年記念の銅像に取り掛かったのは1874年。あのニューヨークの女神像はここコルマールから始まった。この地方は長い間仏独による領土の奪い合いが続き、1871年、普仏戦争で仏は敗れてコルマールは独の領土となった。故郷を占領されたバルトルディは、その思いを募らせて完成したのが自由の女神なのである。またプティット・ヴニーズというロシュ河・運河(農作物の運搬に使われていた)沿いの景観は絶景である。アルザスのお菓子ケーキはクグロフ、タルトフランベは定番のピザ、ベックオフは伝統的な煮込み料理、これらが人気のメニューだそうです。ドミニカン広場は市民の憩いの場、ここで飲むホットワインは絶品。白ワインは600年の歴史があるらしい。また今では少なくなったがアルザス語の伝統が残っている。これは19世紀にドイツに併合されていた頃、色々と制限を受け公用語のドイツ語に抵抗してアルザス語を残したという。
アルザス・コルマールの運河沿いに並ぶコロンバージュ
【1993年、欧州連合EUによる各種共同管理】 これではいけないということでECSC・ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体をつくって共同管理することとなった。やがてRURATOM・ヨーロッパ原子力共同体、EEC・ヨーロッパ経済共同体ができて、1967年にECヨーロッパ共同体になる。一方英はEFTA・欧州自由貿易連合をつくって活動をしていたが、1973年にデンマーク、アイルランドとともにECに加入する。後にギリシャ、スペイン、ポルトガルが入り1993年にはEUヨーロッパ連合@マーストリヒト条約 になる。1995年にはオーストリア、フンランド、スウエーデンが加入して、1999年には共通の通貨・ユーロが誕生。2004年にはバルト3国、東欧の国々が加入した。元々ナチスドイツを生まないという発想で作ったEU:欧州連合であったが、2015年にはギリシャが経済破綻(デフォルト)し2016年には英は離脱(ブレグジット:British Exit)した。
トルコはイスラム教が原因?でEUには加入はできないことを逆手にとったエルドラン大統領は支持を集める。因みにEU諸国は全てキリスト教。またEUには国境がなく、難民の受け入れに寛容である。特にドイツはナチスドイツの反省もあって難民に寛容であったため、経済的な危機を招き難民反対勢力が力を持ち始めている。
【神聖ローマ帝国の首都はプラハだった】 神聖ローマ帝国の誕生は800年カール1世742-814、滅亡は1806年フランツ2世1804-1835(オーストリアハプスブルグ家)の時である。首都はプラハ、アールヌーボーが流行った世界遺産の街である。15世紀に建てられた城壁の門・火薬塔を入ると旧市街。ここではルネッサンス、バロックなどあらゆる様式の建物が見られる。ブルタバ河に架けられたプラハのシンボルカレル橋は神聖ローマ帝国のカレル4世により1400年頃に建造された。対岸にはプラハ城、そこへ行くまでにジョン・レノンの壁がある。ソ連の共産主義体制への反発の証。
【ライン-マイン-ドナウ運河 絶景クルーズ】 是非とも行ってみたいクルーズの旅。NHK-BS放送で紹介していたものを見ながら予習。ライン-マイン-ドナウ運河の西の端は北海、東の端は黒海。1990年代に全線が開通して約1800kmに及ぶ運河クルーズの旅が実現した。そこでこの運河の旅を辿りながら、中世ヨーロッパについて確認したいと思う。起点のオランダ・アムステルダムと言えば水の都。中心部には運河があり小さな観光船で巡ることができる。古くから毛織物工業と海運が発達、15世紀後半からはハプスブルグ帝国(宗教改革・ローマ教皇レオ10世の頃)の領土であったが、17世紀半ばに独立した。そして世界を駆け巡ってイギリスと共に覇者となったのには、この運河がおおいに関係する。この運河沿いにはオランダの繁栄のしるしが数多く刻まれている。オランダの象徴は風車、かつては1万基以上あり干拓地の農業を支えていたらしい。これによってオランダは世界第二の農産物輸出国となっている。国土の1/4は海面よりも低い。従ってこの運河からライン川の支流に向けて水位が上がっていくのであるが、60ヵ所以上もある水門によって徐々に水位を上げて上流側へ行く事ができるのである。
【国境を超えるとドイツ・ケルン】 ライン川沿いのラインラントと呼ばれる地域を過ぎると商業と金融で発展した「デュッセルドルフ」という都市がある。ここは12世紀に要塞が築かれた古い町であるが、1万人もの日本人が暮らしているという。そしてその隣が「ケルン」である。ライン川は、ケルンの街を縦断しながら流れ、ケルン大聖堂が見えてくる。塔の高さは157m、世界最大のゴシック建築である。1248年、神聖ローマ皇帝の命で建設が始まり、途中財政難や戦争などで何度も中断があったために、完成までに600年以上かかったという。第二次世界大戦では爆撃をうけたが戦後に修復された。大聖堂のステンドガラスの多くは破壊されたが、一部、19世紀バイエルン王から寄贈されたステンドガラス(バイエルンの窓)は今なお残っているらしい。祭壇に安置されているのは「黄金の柩」と言われて、中には東方の三博士の遺骨が納められている。実はこの柩の安置にふさわしい教会を建てようとしたのが、大聖堂の建設の始まりなのである。ところで、ケルンはワインなどのライン川の恵みで発展した街である。ケルンの旧市庁舎は14世紀の建物で、壁にはケルンゆかりの人達の石像が130体も刻まれている。当時の神聖ローマ帝国は数多くの諸侯(最大で300の諸侯)で成り立っていて、選挙で選ばれた諸侯が皇帝となった。その代表的な諸侯がプロイセンでありオーストリアであった。
ケルン大聖堂
ケルン中央駅の正面 (ブリュッセルから2時間70€)
ガッフェル・アム・ドーム----ケリッシュビールおかわり無限の店
【ライン渓谷に点在する諸侯の城】 世界遺産に登録されているライン渓谷には25の城が点在、この多くは11世紀から14世紀に地方の諸侯や豪族が建てたもので、川の通行税を徴収する目的があった。これにより、物資の価格はどんどん跳ね上がった。また、「シャープ塔」のように魔女裁判にかけられた女性の処刑や拷問が行われていた城もある。また城には色々な伝説が残っていて、「マルクスブルグ城」の場合は、城主の娘の恋が引き裂かれそうになったとき、修道士マルクスが助けたというような逸話もある。「シュテレンベルグ城」では 城主コンラートはアンゲラを射止めた。コンラートの兄・ハインリッヒもアンゲラを愛していたが引き下がった。ところがコンラートは別の女性と浮気。アンゲラは修道院にはいり、ハインリッヒは「リーベンシュタイン城」で寂しく暮らしたという。ねこのような外観の「ねこ城」と「ねずみ城」の城主は、お互いに犬猿の仲という面白い名前が付いた城もある。お互いに利権を巡って争っていたという。
マルクスブルグ城@ドイツ-ブラウバッハ 13世紀:鉄鉱石の街
ライン川の通行料で莫大な資金を稼ぐ
城壁は8m 塔は35m
入場通路は180°ターン:姫路城と同じ
現在は博物館
年代別甲冑展示
城主の寝室には鉄製ストーブ
天井画(キリスト&城主の祖先)がある礼拝堂
トレビシェット--投石機
そしてライン川沿いに「ローレライの岩」がある。水の妖精ローレライはその美声で行き交う男を惑わせ船は川の渦にのみこまれた。恐らく難所だったというのが伝説を生んだ理由だろう。「オクセン塔」のある街並みの丘の上の「シェーンブルク城」には7人の美人が・・しかしその心は醜く、男を次々とたぶらかす。かくして天罰によって娘たちは川の渦に飲み込まれた。 「グーテンフェルス城」では城主の娘が若者に恋をしたが・・・・若者は突然姿を消したため裏切られたと絶望する娘・・・だが多くの家来を連れて戻ってきた青年は、実は皇帝だったという。川の中州には、「プファルツ城」という城がある。通行税を確実に採るために中州に建てたらしいが・・・。「シュターレック城」 この一帯は豪族同士の争いだけではなく たびたびカトリックとプロテスタントの宗教戦争が勃発した。30年戦争はヨーロッパ中の国々を巻き込み、城の多くは破壊された。しかし最近では廃墟となった城の再活用が行われていて、「ライヘンシュタイン城」はホテルとして再利用されて人気があるという。一方、「エーレンフェルス城」は今も廃墟のままであるが、葡萄畑にあるさまは絶景である。
【リューデスハイムの先はライン川は分岐する】 ここはワインの産地で品種はリースリングという。手軽にワインを飲める店が立ち並び、ワインの醸造所も並ぶ。これらのワインは下流のケルンなどに運ばれたのである。しばらくするとライン川はマインツの街を横切り、ライン川とマイン川(南ドイツを水源とする500km超の川)に分かれる。マイン川沿いを行くと最初の水門が・・・、そして「フランクフルト」、ドイツ経済の中心地を抜けると「ミルテンベルグ」である。ここはマイン渓谷から切り出されたブンテル砂岩の街で、古代ローマ人はこの砂岩を使って城を築いた。マルクト広場を囲んで木組みの家並みが・・・。マルクト広場に面してドイツで最も古いホテルがあり、開業は15世紀である。次は「ベルトハイム」、中でも有名なのがシュティフト教会。当初はカトリック教会であったが、ルターの宗教改革以降はプロテスタント教会になった。この時マルチン・ルターはここで説教をしたという。
シュティフト教会
また、この街でもワイン作りは盛んでケルンの領主に送り届け、詩人ゲーテも気に入っていたらしい。400年前に街は裕福になり、5階建ての建物を建てるようになったという。すべてはマイン川がもたらした富である。この地を支配していたのはベルトハイム家なのである。次は「ビュルツブルグ」といってロマンチック街道(総延長350km)の起点にあたる。丘の上には「マリエンベルグ要塞」、ここに住むカトリック司教が街を支配していた。16世紀には農民が司教に対して反乱を起こしたが、その後激しい弾圧を受けたという。第二次世界大戦では街の90%が破壊され、女性たちが処理を行った。16世紀に架けられたアルテマイン橋はこの街を代表する名所である。そして11世紀からの街並みが残る「バンベルク」は市街が世界遺産である。15世紀に建てられた旧市庁舎を挟んで司教地区と市民地区があり、司教ゆかりの事が旧市庁舎の壁にフレスコ画として描かれている。実はここは黒いラオホビールでも有名で、小さな醸造所が多くあるという。 「ニュルンベルク」はイタリアを結ぶ貿易の拠点として発展し、領主や司教の支配をうけない特権を得た街である。またヒトラーがナチスの党大会を開いた場所でもある。戦後はここでニュルンベルク裁判が開かれた。ニュルンベルク城には多くの見張りの塔がある。
アルテマイン橋
【マイン-ドナウ運河】 さてニュルンベルクを過ぎるとマイン-ドナウ運河であるが、これが1992年に完成することによってドナウ川と繋がり東西の交流は格段に発達した。「ヒルポルトシュタイン」では運河(ドイツ一番の高所406m)の水門で25mを上下するのに30分というから凄い。ということは、ここから黒海までは下っていくことになる。そして「レーゲンスブルク」、ここの旧市街は世界遺産、シュタイナーネ橋は12世紀の建造物、中心に建つレーゲンスブルク大聖堂は13世紀後半から建築が開始され完成までに600年を要した。ケルン大聖堂と並んでゴシック建築の傑作である。戦争の被害を受けなかったことから当時のステンドガラスが多くのこっている。神聖ローマ帝国は、多くの諸侯を束ねる存在であったが、17世紀から、ここの議会の建物で選挙が行われて皇帝が選ばれていた。たがて諸侯が力を付けると議会は名ばかりになり神聖ローマ帝国は衰退する。ところで、この街には塩倉庫が点在するが、北のアルプスで採れた塩はドナウ川を通じてここ塩の中継地点へ運ばれて交易をしていた。当時の塩は金と同じ価値があったという。
レーゲンスブルク大聖堂
【ドナウ川はエリザベートゆかりの川】 ここドナウ川は、19世紀のオーストリア后妃・エリザベートが嫁ぎ時に下ったルートである。まずは「パッサウ」ドイツ南東・バイエルン州の都市で、オーストリア、チェコとの国境に接する。また ドナウ川、イン川、イルツ川の3つの河川がこの地で合流することから、「ドライフリュッセシュタット」の異名を持っている。そしてこの街はエリザベートゆかりの街なのである。エリザベートはバイエルン王国の貴族の娘、ホテル・ビルダーマンにエリザベートは宿泊した。そして結婚後もたびたびパッサウを訪れている。パッサウにあるパウロ教会は11世紀のもの。大聖堂は17世紀にイタリアの建築家によって再建され、ドイツのベネチアと言われるほどになった。そしてこの街も司教による塩の交易で栄えた。交易商品の関税が司教にはいり大聖堂を建てたのである。古代ローマ時代にはゲルマン民族の侵攻を防ぐ重要な拠点でもあった。ドナウ川が自然の防衛ラインとなった。三つの川の合流点にはオーバーハウス要塞があり、旧市街などの眺望が絶景である。
オーバーハウス要塞
【ドイツを越えてオーストリアへ】 ドナウ川は曲がり(シュレーゲンのくねり)オーストリア第3の都市・「リンツ」へ。エリザベートが嫁ぐとき、オーストリア皇帝・フランツ・ヨーゼフ1世1830-1916は待ちきれずにリンツに来ていたという。「メルク」には「メルク修道院」がある。これは18世紀にハプスブルグ家が巨額の資金を投じて改築したという。改築後はまるで宮殿であるが現在も30人の修道士が暮らしている。天井にはハプスブルグ家の紋章・双頭の鷲、ハプスブルグ家は元々スイスの小さな領主であったが、13世紀に神聖ローマ皇帝の座を得たことからオーストリアに進出して大帝国を作った。この修道院はその絶頂期に改築された。修道院の図書館には9世紀のものから10万冊の書物を所蔵。教会の中はまばゆい金の装飾のなか、中央には古代ローマに時代に弾圧されながらもキリスト教を布教したペテロとパウロが、そして上には勝利の冠がある。
メルク修道院
【バッハウ渓谷という世界遺産と城】 さらに東・「バッハウ渓谷」という世界遺産に向かう。エリザベートが船に乗ってウイーンに嫁いでいくときに、「シェーンビュール城」の人々が手を振って彼女を迎えたという。15世紀には「アックシュタイン城」に盗賊が住み着き通行料を取り立てていた。拒否した者は城に連行され餓死さされたという。16世紀にはオスマン帝国が侵攻してきた。このときに市民が逃げ込んだのが「ミハエル教会」。
【オーストリアの首都ウイーン】 ハプスブルグ家がウイーンを都に定めたのは1278年、以降600年に渡って帝国の都であった。旧市街地は世界遺産に登録され、中央にはペスト根絶のモニュメント・三位一体像がある。17世紀のウイーンではオスマン帝国に包囲され、またペストで10万人以上が亡くなったという。現在の街並みは19世紀、エリザベートの時代に大改造された。「シュテファン大聖堂」はハプスブルグ家歴代君主の墓となってきた教会で、地下にはペストで亡くなった人々の遺骨が納められている。またモーツアルトはここで結婚式を挙げたという。ホーフブルク王宮はハプスブルグ家の住まいであり、2500以上の部屋がある。宮殿の中に馬車ではいると、一部がエリザベートの博物館になっている。エリザベートは皇帝フランツ・ヨーゼフ(即位は18才、68年に渡って成務に就いた)を夫に持った。
シュテファン大聖堂
【スロバキアの首都・プラチスラバ】 丘の上にはプラチスラバ城、テーブル城とも言われる。スロバキアはオーストリア、ロシア、チェコなどに翻弄されながら1993年にやっと独立した。城は時代によって姿を変え、今の姿になったのは17世紀である。この城も多くの民族を束ねて発展したハプスブルグ帝国(ドナウ帝国ともいう)の影響を受けており、中にはマリア・テレジア1717-1780の肖像画などがある。マリア・テレジアは現地の言葉による義務教育学校を建設するなどして多民族共存の近代化を推し進めた。20世紀になると鉄のカーテンがドナウ川を分断、ここから東側は社会主義の元に翻弄された東ヨーロッパの国々になる。
【ハンガリーの首都ブダペスト】 ドナウ川沿いのブダペスト、アンドラーシ通りなどは世界遺産、その美しさはドナウの真珠と言われている。ドナウ川の南側はブダ地区といって歴史的な建物が多く残っている。19世紀に造られ、ドナウ川で最も美しい橋と言われるセーチェーニ鎖橋の東側には王宮がある。そしてドナウ川の北側をペスト地区という。
もともとハンガリーはアジア系民族が築いた街で、モンゴル帝国やオスマン帝国の侵略を受けてハプスブルグ帝国にも支配されたが独自の文化を守ってきたという。9世紀頃アジア系騎馬民族はヨーロッパを荒らしていたが。初代国王のイシュトバーン1世975-1038は騎馬民族を定住させてハンガリーの基礎を作った。
ペスト地区にあるのは20世紀初頭に建てられた国会議事堂、エルジェーベト橋(エリザベートに因んで名付けられ、袂にはエリザベートの像がある)を渡るとブダ地区へ行く事ができる。エリザベートはハンガリーが大好きであったから国民にも随分慕われていた。マーチャーシュ協会はエリザベート所縁の教会で、1867年に皇帝ヨーゼフ1世の戴冠式があった。これによってエリザベートはハンガリーの王妃にもなったのである。この教会、オスマン帝国に支配されていた時代にはモスクに改造されていたが、15世紀に現在の形になった。内装は多くのフレスコ画やステンドガラスが施されて東洋の色が濃くなっている。エリザベートの戴冠式の後、ハプスブルグ帝国を取り巻く情勢は緊迫して帝国は崩壊の危機にさらされていた。上階へ行くとエリザベートの彫像がある。旅好きの彼女は1898年にスイスに滞在、船に乗ろうとしたときに無政府主義者の青年に襲われ死亡した。彼女の死後、第一次世界大戦が勃発、敗戦とともにハプスブルグ帝国は崩壊したのである。しかしブダ地区、ペスト地区のナイトクルーズは絶景である。
エルジェーベト橋
【ハンガリー南西部の古都ペーチ】 東ヨーロッパの国同様、15世紀から150年に渡ってオスマン帝国に支配されたため、モスクなどその影響が色濃く残っている。広場にある噴水などは磁器製のものもあり、ハンガリーの磁器は人気が高い。また屋根瓦やタイル(ウイーンのシュテファン大聖堂やマーチャーシュ協会で使われていた)の工房は、皇帝フランツ・ヨーゼフのお気に入りであった。家庭で使う壺、食器などの磁器製品にも特長があり、絵付けはエナメルを含んだ顔料を塗り重ねることで模様を立体的にしている。
【セルビアの古都ノビサド】 ドナウ川の北側がセルビア、南側がクロアチア、もともと両社は連邦国家ユーゴスラビアに属していた。しかし社会主義の崩壊後内戦によって7カ国に分裂し、中でもセルビアとクロアチアの内戦は激しく多くの犠牲者がでた。セルビアはヨーロッパではEUに加盟しておらず、ノビサドに上陸するには入国審査を受ける必要がある。古都ノビサドは作家や芸術家が好み、セルビアのアテネとも言われているそうな。街の中央にはセルビア正教会、ローマ帝国の分裂後はギリシャや東ヨーロッパではカトリックとは違って正教が広く信仰されるようになった。正教ではキリストや聖人の彫像はない。壁には宗教画イコンが描かれている。「人は絵に恋するのではなく描かれている恋人を愛している」つまり偶像はいけないとされている。十字架の形もカトリックとは縁取りが違っている。かつでハプスブルグ帝国は、この街に20以上の民族からなる軍を組織してオスマン帝国からの侵略に備えた。やがて兵士家族はこの街に住み着いたという歴史があり、今なお数多くの民族が共存しているのである(26の民族と12の宗教)。中央の広場にあるカトリック大聖堂にはハンガリー系の住民が通う。横にある市役所の壁には、セルビア語、ハンガリー語、スロバキア語、ルシン語の4か国の文字が刻まれている。セルビアの大半はオスマン帝国に支配されていたときも、ハプスブルグ帝国の領土であった。従ってノビサドにはヨーロッパの文化・伝統が残っているという。
【セルビアの首都・ベオグラード】 1990年代のユーゴスラビア紛争ではNATO軍による大規模な空爆を受けて、壊滅的な被害を受けた街である。このようにベオグラードは古くから多くの戦いに晒されてきた。もともとここにはセルビア公国があったが16世紀にオスマン帝国に制圧され、その後ハプスブルグ帝国との間で奪い合いが続き、支配者が頻繁に変わった。つまり東と西のせめぎあいの街と言える。その痕跡が窺い知れるのはカレメグダン要塞、入り口の門はハプスブルグ帝国が、時計台はオスマン帝国が建てたという。奥にある石積の壁はセルビア公国が建てた物らしい。そして街の公園には旧ユーゴスラビア大統領・チトーの像がある。分裂前から今まで、多くの民族を束ねて街の人々に慕われてきたようすが伺える。社会主義の国ではあるがソ連とは距離をおいて西ヨーロッパとも友好関係を築いた。像の近くにはチトーの霊廟がある。彼の死後民族間の対立は深まりユーゴスラビアは崩壊したのである。
カレメグダン要塞
しばらくドナウ川をくだると鉄門橋、このあたりはセルビアとルーマニアの国境。わずかに半世紀前はドナウ川の難所であり数多くの船が沈没したという。それでも多くの物資を運ぶためにここを通っていた。川べりにはムラコニア修道院があって船の往来に注意を促していた近辺にドナウ川最大の水門があり、この水門のおかげで事故はほとんどなくなった。この水門を通るとなんと水位は40mも下がる。この水門は旧ユーゴスラビアとルーマニアの共同開発で1972年に完成した。そしてここでは水力発電も行われてセルビアとルーマニアに電気を供給している。
【ブルガリア・ビディン】 ブルガリアは500年に渡ってオスマン帝国の支配を受けた国、ベログラドチック要塞はオスマン帝国が築いた。2億年前、このあたりは海底であったが、鉄を含む岩が浸食されて赤く奇妙な形になったことで知られている。その奇妙な地形をうまく利用したのがこの要塞である。
【ルーマニアの首都・ブカレスト、黒海へ】 社会主義時代に独裁者チャウセスクが建設した宮殿が国民の館、1989年チャウセスク政権を倒した革命広場がある。革命の後のルーマニアは腐敗と経済の混乱が長く続いた。18世紀に建てられた正教のスタヴロポレオス教会など、ブカレストはかつて東欧のパリと呼ばれる美しい町であった。いまになってようやく苦難を乗り越えて、その美しさと落ち着きを取り戻したようである。ドナウ川の河口周辺に広がるドナウデルタは世界遺産となっている湿地帯である。ここは数百もの鳥や魚が暮らす命のゆりかご。
不死鳥のごとく蘇るポーランド
┃基本情報
┃ ┣ドイツとウクライナに挟まれた国
┃ ┣人口3800万
┃ ┣通貨:ズオティ
┃ ┣ポーランド語:スラブ系 平原→往来し易い--ポーレに住むポラン族が派生
┃ ┣カトリック
┃ ┣通貨:ズオティ
┃ ┗争乱に巻き込まれやすい場所
┣10世紀
┃ ┣ポラン族長ピャスト
┃ ┗三エスコ1世935-992--カトリック改宗→初代公国王
┃ ┗ボレスワフ1世王国に昇格966-1025
┣12世紀--分割相続・内紛
┣13世紀--モンゴル侵攻受けるByバトゥ ワールシュタットの戦い@1241
┃ ポーランドはドイツと共に全滅
┣14世紀--カジミェシュ3世1310-1370--混乱のポーランドを経済軍事発展
┃ ┃再建の為に移民:ユダヤ人 迫害しない条件
┃ ┃たちまち経済発展する
┃ ┗通貨の肖像
┣14世紀末--王女ヤドヴィガ1373-1399
┃ ┣ 同君連合 ヤゲウォ朝@1386-1572 (カトリック文明圏)
┃ リトアニア大公ヨガイラ1348-1434
┃ ・ウクライナはポーランドの支配下となり言語もポーランド化
┃ ・ポーランドはウクライナの統治にユダヤ人を送り込む
┃ 役割は徴税 :ウクライナから見ればユダヤ人はポーランドの手先
┃ ・ドイツ騎士団がリトアニア侵攻しており、上記連合を組んだ
┣15世紀~17世紀--繁栄・強大化--100万㎢(現ポーランドの3倍以上)
┃ ┃ モンゴルが衰退
┃ ┣プロイセンを属国化
┃ ┣モスクワ大公国と戦闘→ベラルーシ君主
┃ ┃ モンゴル衰退に乗じてベラルーシはリトアニア領@1560
┃ ┃ ウクライナ(正教)はポーランド領(カトリック)
┃ ┃ → コサック抵抗:
┃ ┃ → フメリニツキーはユダヤ人殺戮実施@ウクライナ
┃ ┃
┃ ┃ そこでモスクワ(正教)が同じ正教のウクライナを援護
┃ ┃ モスクワ大公国とウクライナ(フメリニツキー1595-1657コサック指導者)は同盟
┃ ┃ → ウクライナ農奴とユダヤ人(ロシア政府の手先で徴税)との争い → ユダヤ人虐殺(ポグロム)
┃ ┃ → ポグロム :ナチスの比ではないくらい酷かった
┃ ┃ →ロシア支配を逃れて多くのユダヤ人がモルドバへ移住
┃ ┃ →モルドバ:当時はロシアとオスマン帝国の間
┃ ┃ → 現在はウクライナとルーマニアの間
┃ ┃ →このユダヤ人の子孫がヌーランド(米国務次官2021-2024)
┃ ┃ →ウクライナのユダヤ人が大量に渡米して、米民主党に潜り込む → ロシア・ウクライナ戦争を煽る
┃ ┃
┃ ┃ → 現在プーチンは当時の同名書を印籠に使う
┃ ┃ → しかし多くのコサックはモスクワ同盟に反対だった →17世紀後半に恭順
┃ ┃ → エカチェリーナ2世の時代に全コサックがモスクワに恭順
┃ ┃
┃ ┣イスラムと戦闘
┃ ┣スウエーデンと戦闘
┃ ┣1572断絶
┣選挙王政
┃ ┗ヘンリク・ヴァレジ王1551-1589(仏王アンリ3世)---フランス人側近を重用
┃ ┗数か月後に国王の座を捨てて逃亡
┣17世紀
┃ ┗ヤン3世1629-1696-- 第二次ウイーン包囲Byオスマンで活躍して包囲を解く
┃ ┗ヨーロッパの英雄--通貨500ズオティの肖像
┣18世紀
┃ ┣財政難→内紛→外国干渉→急激な衰退
┃ ┗エカチェリーナ2世の傀儡スタニスワフ2世を国王とする
┃ ┗これに脅威を抱いたのがプロイセンのフリードリッヒ2世
┃ ┣第一次ポーランド・リトアニア分割(露墺普)@1772
┃ ┣第二次ポーランド・リトアニア分割(露普) @1793
┃ ┃ ┗タデウシュ・コシチュシュコ1746-1817@米独立戦争では義勇軍--ワシントンと親交
┃ ┃ 祖国の危機に立ち上がったが敗退
┃ ┗第三次ポーランド・リトアニア分割(露墺普)@1795---ポーランド消滅:123年間国がない
┣18世紀
┃ ┣ワルシャワ公国建国---ナポレオンが3国一掃
┃ ┗ナポレオン失脚、ワルシャワ公国消滅Byウイーン議定書--ロシア圧制下
┃ ┗11月蜂起--制圧される
┣1920
┃ ┗民族自決@世界→ユゼフ・ピウスツキ1867-1935によるポーランド独立
┣1940ドイツ、ロシア侵攻により滅亡
┃ ┣WW2勃発
┃ ┣アウシュビッツ収容所
┃ ┣独ソ戦--ポーランド人口の20%死亡
┃ ┣衛星国化:ソ連のいいなりポーランド人民共和国
┃ ┗ワルシャワ条約機構Byソ連--ポーランドを共産圏の代表とするかのようなポロパガンダ
┣1980代
┃ ┣民主化運動Byワレサ--ノーベル平和賞
┃ ┣戒厳令--運動家投獄・処刑
┃ ┣ヨハネ・パウロ2世が支持を示唆
┃ ┗東欧革命@1989--民主化--ワレサ大統領就任
┣1999 NATO加盟
┣2004 EU加盟
┣2007 シェンゲン協定:自由に国境移動
┗2022 ウクライナ戦争