平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

ホツマツタヱ-アヤ-31~40 三輪山、富士山、、、、、、、・・・・ 

2024年12月04日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

    
 ・31 三輪神 欠史八代  
     ・三輪氏 :ホツマツタヱを守っていた一族  
           3人の大物主 ②クシヒコ(恵比須様) ⑤フキネ ⑥ワニヒコ(クシミカタマ 子はアタツクシネ) 
           アタツクシネに大三輪の姓が与えられた  
           5世紀に蘇我氏によって追い出された
     ・神武の妃・吾平姫の子・タギシミミが妃・五十鈴姫の皇子(ヤスキネ)を殺害   
     ・綏靖の妃・糸織姫 ココタエ;文献を守る役職   
     ・安寧 懿徳      
     
        
 ・32 富士山、琵琶湖名前の由来 
     ・藤の花献上 By田子の浦住民    
     ・孝霊天皇----三つ子を歓迎・間引き禁止     
     ・富士山 ----はらみ山
     ・9代開花天皇----先帝の妃を妃にしようとしたが国の乱れになるとして大三毛主が諫めたが・・・
             大物主が去り(右大臣不在)10代崇神天皇の時代に混乱
             大三毛主は引退
      
    
      
 ・33 国の乱れ
     ・斎王・御杖代みつえしろ@伊勢神宮・斎宮 初代は崇神天皇の娘・豊鍬姫
     ・湯立神事 :世は平定 三輪山の味酒・うまさけ 酒の起源はBC2500--4代目ウヒヂ二、スヒヂ二の時代 
                             高橋活日命が極める@BA1500? 
            杉玉@三輪山 ----茶色は酒の熟成時期を表す
                  
            松尾大社の神 :秦氏
     ・箸墓古墳 :倭迹迹日百襲姫命
            大三毛主の孫太田田根子にクシヒコ(恵比須様:2代目大物主)を祀らせなさいとの湯立 

 

 

     
 ・34 ミマキの御代 任那 
     ・ミマキ----崇神天皇 タケハニヤス----崇神天皇の叔父の反乱を予見した倭迹迹日百襲姫命  
           クシヒコが白蛇となって倭迹迹日百襲姫命を驚かすが、それに気づかなかったことを恥じて自殺  
           渡来人である都怒我阿羅斯等(つのがあらひと 敦賀の語源)が気比海岸に現れて崇神天皇の愛弟子になる
     ・任那 ----朝鮮に戻りミマキのマナを与えられた都怒我阿羅斯等
     ・再来日----乙女に会うために再来@比売許曽神社
     ・出雲建----出雲の神主振根が弟を殺したために、朝廷軍(日本武尊)により殺される:古事記
           振根は吉備津彦と武渟河別に殺される                :日本書紀          
     ・百済の歴史----秦の始皇帝の命で徐福が来日 From遼東半島            
                  
        
 ・35 相撲の始まり  
     ・新羅 :素戔嗚命が造った?
     ・ヒボコ:朝鮮半島の新羅からの新羅人または渡来皇子(新羅王子の天日槍) :出石神社 
          弟・知古に譲る 
          各地をまわり、出石に居を構える
     ・垂仁天皇(活目入彦)の時代 
     ・垂仁天皇の后・狭穂姫と暗殺を依頼する兄狭穂彦が焼死
     ・山野辺の道・相撲神社で野見宿禰VS当麻蹴速 負けた当麻蹴速は殺される    
      野見宿禰:土師氏 出雲の神魂神社(かもす)で修業して奈良の都へきた   
      この時すまいの郷に埴輪がもうけられて土俵となった
     
         
 ・36 ヤマト姫と伊勢神宮     
     ・倭姫命生誕はBC17
     ・三輪山の大物主・クシヒコの魂が下りてきて妊娠
     ・樺井月姫はヤマト姫出産後に死亡    
   狭穂姫命(①内宮)
    ┣誉津別       :飛ぶ鵠を見て初めて言葉を発した
    ┃
    ┃薊瓊入媛
    ┃┣池速別命
    ┃┣稚浅津姫命
    ┃┃
    ┃┃真砥野媛
    ┃┃┃
   垂仁天皇 即位はBC28
    ┃┃┣倭姫命@BC17   :豊鍬入姫命を継いで斎宮(御杖代)となる
    ┃┃┃           伊勢神宮はBC2
    ┃┃┣迦具夜比売命(内侍)
    ┃┃樺井月姫(②内宮):大筒木垂根王の娘
    ┃┃
    ┃┣五十瓊敷入彦コ
    ┃┣12代景行天皇-13-130 
    ┃┣大中姫命 
    ┃┣稚城瓊入彦命
    ┃日葉酢媛
    ┃
    ┣鐸石別命 
    ┣胆香足姫命 
    渟葉田瓊入媛        

  

ミマキイリヒコ─┐
  (崇神天皇)  ├────イクメイリヒコ(垂仁天皇)
ミマキ姫────┘       ┃
                ┃
ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1] ─────── (1)ホンツワケ
                ┃
ツヅキ県主タルネ───┬─カバヰツキ姫[内宮2] ──── (2)ヤマト姫
           │    ┃
           └─カクヤ姫[内侍]          ┌ (3)ニシキイリヒコ
                ┃          ├ (4)ヤマトヲシロワケ(景行天皇)
タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3] ─────┼ (5)オオナカ姫
           │    ┃          └ (6)ワカギニ
           │    ┃           
           ├─ヌハタニイリ姫[典侍]───┬ (7)ヌデシワケ
           │    ┃          └ (8)イカタラシ姫
                                        ├─マトノ姫[内侍]
           │    ┃          ┌ (9)イケハヤワケ
           └─アサミニイリ姫[内侍]───┴(10)アサヅ姫
                ┃
オホクニサラズ──────カマハダトベ[内宮4] ────(11)イワツクワケ
                ┃
ヤマシロフチ───────カリハタトベ[??]  ─────┬(12)ミヲヤワケ
                          ├(13)ヰイソタリヒコ
                          └(14)ヰタケワケ
  

     
 ・37 埴輪の起源      
    ・石上神宮は兵器庫 ----是非が占われた@BC1     
          
    ・皇族死亡時に殉死が悲惨    
      垂仁天皇の詔 野見宿禰が埴輪を提案     
      出雲の土師氏     
    ・常世の国 クニトコタチ との教えが成立した国    
     見える世界と見えない世界 勾玉    
    ・    
 ・38 日本武尊      
    ・景行天皇の時代    
      18歳で皇太子    
      即位は81歳    
      妻は26人、子は81人    
    ・妃は播磨稲日大郎姫     
      21か月で生まれたその子が日本武尊(ハナヒコ)  
    ・景行天皇92歳で九州筑紫へ行く----熊襲説得     
    ・日本武尊25歳で九州遠征へ行く----熊襲征伐 この時にタケルを名乗る 
      帰京12年後(記紀ではすぐのように記載)に関東へ(兄に替わり)
      この時にヤマト姫から叢雲剣を授かる :族が仕掛けた草をなぎ倒したことから草薙の剣となる
      竹内宿禰が既に関東視察して景行天皇に報告
  
 ・39 ホツマ討ち(関東討ち)
    ・朝廷に従う証として家の前に家具を入れた籠を置くこと@12月8日 ----御事始め
    ・弟橘媛と出発するが、嵐の為船は沈没 弟橘媛は身を投げ暴風はすぐに止んだ
     あめつちいのり わがきみの いつをやまとに たてんとす   われきみのため たつとなり   ふねをまもらん」

 ・40 ヤマトタケル伊吹山へ
    ・

 

  
 
 
  
 



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ホツマツタヱ-アヤ-21~30 ニニギ、オキツヒコ、国家体制、降臨、海幸彦、豊玉姫、シマツヒコ・・・ 

2024年12月02日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

ホツマツタヱ-アヤ     
       
 ・21 ニニギノミコト御宮
     オシホミミの嫡男・アスカホノアカリ ----飛鳥を統治 
     オシホミミの次男・ニニギノミコト  ----水田開発@茨城・ 新治廃寺跡に巨大な宮 
       南・南大門、羅生門 ----重要視
       オコロ ----土竜のような火を吐く生物 龍になれない蛟:生島・足島の名を授かる Byニニギノミコト
             生島・足島神社@長野上田市 で守っている
        
         高島の暦                           オコロ      @BC800
      
      
 ・22 オキツヒコ 火水土(ひみつ)の祓い    
     オキツヒコは竈神:台所の神   
     アメミヲヤ   :宇宙の創造神    
     ヤマサカミ   :自然八神
      
 ・23 縄文末期の国家体制:BC800 ニニギノミコトの時代
     BC800 各地の豪族(古代の指導者)が伊勢に集まって天照の話を聞いている  
         鏡   :  
         剣   :右目が斬る目 アマネヒトツノカミ 八重垣剣
         八重垣 :荒くれ者
         
    
 ・24 天孫降臨   
     ニニキネ@多賀城から天照がいる伊勢・伊雑宮へ行く   
     筑波山で灌漑農法(高所でも可能)で水田開発@各地    
     ニニギは兄・アスカホノアカリ →西宮 →丹後 → 北陸→ 琵琶湖西岸・音玉川で猿田彦と出会う    
     アメノウズメが食事の用意をして待っている猿田彦に会う@近江神宮 →多賀 →信濃 →諏訪 →富士山     
     手力王に灌漑用池を掘らせる=これが富士五湖    
     旅の途中で中国のウケステメに出会う    
       
    
 ・25 長男ホノアカリ、次男海幸彦ホノススミ、三男山幸彦ホホデミ、
     ニニギとコノハナサクヤヒメの子
     コノハナチルヤヒメの横やりでコノハナサクヤヒメは富士山麓で自殺を試みる
     兄弟の確執----ニニギの縄文の社
     海幸彦ホノススミ----鵜川宮@高島白髭神社
     山幸彦ホホデミ ----シノ宮@大津     
               ウツキネ命名:鵜川のウと被ることで揉める
               釣り針無くす:シオツチ爺と出会い九州へ
               九州で豊玉姫と出会い釣り針探す
               見つけた釣り針を海幸彦に返すが許してくれない
               鹿児島神宮の鯛車 :豊玉姫の父
               
      
 ・26 豊玉姫(鰐舟一族)の出産@鵜戸神宮
     山幸彦は琵琶湖へByニニギ          
     追っかけ豊玉姫は出港するが遭難するも出産@気比松原 
     葵桂 :葉の形はハート          
     出産時に裸を見られた豊玉姫は貴船の奥宮に隠れる 
     ニニギは葵桂を持って貴船に現れる →豊玉姫は山幸彦の元に戻る          
     ウガヤフキアワセズの宮 :多賀大社→九州へ 
               
      
      
 ・27 舟の一族とシマツヒコ         
     舟ができるまでの経緯 
     シコブチ        :筏の神がいる志子渕神社  →朽木:筏の産地           
     六船霊命                  
     シマツヒコ       :琵琶湖安曇川上流の朽木(流木に乗る鵜)をヒントに筏 @BC4000 
      ┗オキツヒコ     :鴨の足をヒントに櫂(かい)→鴨舟         
       ┗シガ       :舟に帆を付けた      →鰐舟        
        ┗⊡-⊡-⊡-⊡-金折命:住吉大社の神       →大型船製造(おかめ船)        
                  宗像も舟の一族      →出光が子孫?    
     貴船・奥宮 :神武天皇の皇母、玉依姫命が水源の地を求めて黄船に乗って、貴船川をさかのぼってこの地に上陸
      
      
 ・28 ホツマツタヱ総集編
     01-28文 :クシミカタマ著 6代大物主@金刀比羅宮 
     ・鈴の木の話 マサカキは暦に使用 →アススの木 
     ・天照の胎盤(胞衣)設置の話 @岐阜・恵那山 
      オオヤマスミ@血洗い池の話 
     ・神武東征の話 多賀で誕生→九州移動 
     ・ニニギの長男・ホノアカリ@飛鳥に子を授けようとするナガスネヒコは世継ぎの文を見てしまう 
      文はアマノコヤネの息子・オシクモの秘伝書(アマノタネコが三笠山に隠した)   
     ・ナガスネヒコ討伐のために神武東征が始まった @BC800  
     ・ナガスネヒコの子孫とアマノコヤネの子孫が1000年後に仇討ち@推古天皇 By日本書紀 
     ・アマノコヤネは遺言残して死亡@大原野神社 →大阪@枚岡神社に移設@中臣家神社  
      途中で猿田彦が「魂を宇宙に返す則」を教わっていないと、死体に懇願 →蘇って伝えた
     ・九頭竜:小頭の大蛇が竜に --- 天照妃モチコの恨み:瀬織津姫の子が天皇になった恨み  
          戸隠奥宮の手力王により大蛇は改心して人に尽くす竜 
     ・比沼麻奈為神社@丹後で豊受の神が死亡 ----元外宮  
          裏の峯山で天照が死亡 ----祠は猿田彦(元々琵琶湖高島白髭神社→ニニギに譲って伊勢へ)が掘った      
       
 ・29 タケヒト神武東征      
     ・ウガヤフキアワセズの妻ヤセヒメが死亡 
      生まれた子のお乳のため玉依姫@京都御蔭神社を頼る 
      玉依姫はニニギの子がいたが、ヤマクイの依頼で応じる ----五瀬命、神武     
     ・クシミカタマ6代大物主  
     ・東征途中の嵐で稲飯命、三毛入野命は海原入り  
     ・上陸後タカクラシタ高倉下と出会う@夢の中でフツヌシの剣    
     ・八咫烏と出会う 
      
 ・30 アマキミ都鳥 :ゆりかもめ 
     ・天皇アマスヘラギ 
     ・カスガ(アマノコヤネ:左大臣)コモリ(2代大物主の子:右大臣)   
     ・日本の体制----鏡剣の意味

 

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ホツマツタヱ-アヤ-11~20 三種の神器、こけし、伊勢、ノトコト、オノコロ・・・

2024年12月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

ホツマツタヱ-アヤ
 ・11 ミクサタカラ:三種の神器 より重要なオシテ文献?
    ・オシホミミ築城(政治の中心) 坂上田村麻呂拠点 仙台多賀城 
      →父が天照
      →祖母がイザナミ
      →曾祖父は豊受@伊勢外宮:多賀城界隈を統治 
      →オシホミミは琵琶湖西岸の多賀宮を仙台に移した
       アマノコヤネから三種の神器を受け取り移築
         八咫鏡は左大臣
         草薙の剣は右大臣
         オシホミミは勾玉
    ・天照が多賀に留学 
      金華山の金を使ってカラスが金箔で天照を迎えた
 ・12 こけしの起源
    ・アマガツ天児 ホウコ這子の話 
    ・オシホミミの妃・タクハタチチヒメ(豊受系統) 
      出産時に骨盤に入らない:魔がはいらないときにアマガツ・魔除けを用意
      用意したのは早秋津姫ハヤアキツヒメ(天照妃)
    ・アマガツの由来
      ハタレの乱(大将ハルナハハミチ @天照大神)の時に八咫鏡を用意して
      幼児を抱いて呼吸を乱すことで大将の忍術を回避
      邪心のない心こそ大事であるとして、その幼児を人形・こけしとした
      しおがまの神は魂が籠った人形を用意すべし Byアマノコヤネ
      マトリョーシカのルーツはこけしらしい

      アマテラスとハタレの乱
 
     
 

 ・13 伊勢の語源
    ・いも(妻)おせ(夫)を天照は説いた
      いもおせの道とは、夫は外、妻は内
    ・鈴鹿 鈴倉 アマノコヤネが多賀城でオシホミミに伝授
      宝の持ち腐れは人の嫉みをかうだけで苦しむこととなる
      大富豪になれば慈善のために使うべき
 ・14 ノトコト:祝詞
    ・宇宙を創造した神が「宇」を発す
      右渦巻は天から太陽、左渦巻は地から月
      
 ・15 清らかな食事
      
 ・16 子宮のなかは小宇宙
      
 ・17 人間の心を映し出す、ヤタノカガミ
      
 
    
 ・18 オノコロ     
    
 ・19 移動手段は馬
      
 ・20 ふるべの神示     
       

 

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ホツマツタヱ-アヤ-06~10 天照13人の妻@伊雜宮・・・

2024年12月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

ホツマツタヱ-アヤ
 ・06 天照13人の妻 @伊雜宮
    瀬織津姫を筆頭に、東西南北の豪族の娘がスケ/ウチ/シモの階級に別れて妃になっている 
 ・07 稲作による貧富格差は政治の誤りが原因
    イザナギの弟クラキネは娘モチコとハヤコ(素戔嗚命と不倫)を天照の后にした 
    皇室以外から皇后 ---- マスヒト(今の県知事)シラヒトコクミ(豪族)の賄賂政治 
    天照の素戔嗚命に対する諫め ----素戔嗚命暴れ、天照の岩戸隠れ
    ワカヒメの主人思い金が説得  
 ・08 ハタレの乱@天照大神 
    ・不平不満を持った人々の心 (八岐大蛇など)
    ・六集団ハタレ  
    ・狐顔の集団From九州 好物(揚げ鼠)を与えて捉え、天照は改心させる 
    ・五十鈴川=みもそ川(天照は上流で瞑想@瀧原宮) 
    ・魂返し----考案したのは瀬織津姫 アマノコヤネが実施 ;藤原氏の祖 ミカサフミ(哲学)を所持
 ・09 スサノオと出雲  
    ・瀬織津姫が八咫鏡を提案し、二見が浦に。
    ・瀬織津姫は罪を言い渡された素戔嗚命を救う ---- 各地を彷徨い、クシナダヒメの宿に着く
    ・素戔嗚命はクシナダヒメ(癒す五弦琴の名手)を救う ヒカワカミ
    ・八岐大蛇 八塩折之酒 天羽々斬 天の叢雲の剣→草薙の剣@日本武尊
 ・10 国譲り
    ・出雲繁栄のスサノヲの息子は大国主命:オオナムチは慢心
      天照の妃・モチコの子ホヒタナヒトが出雲へ諭す
      関東の武将鹿島神(武御雷)/香取神(フツヌシ)が出雲へ諭す
      大国主命(官職は大物主:右大臣、警察庁長官)の子・恵比須(クシヒコ@官職は事代主:長官補佐 釣り三昧@美保神社 )
      大国主命はクシヒコに諭されて国譲り
      大国主命は青森・岩木山神社へ ----ウツシクニタマノカミ
         出雲と岩木山は言葉が似ている By砂の器
         クシヒコは三輪・大宮神社
         四代目大物主:大国主命
         五代目大物主:クシヒコ
         六代目大物主:金毘羅さん

   
 

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ホツマツタヱ-アヤ01~05  東西(キツ)の名と穂虫去るアヤ・・・・

2024年12月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

ホツマツタヱ-アヤ
 ・01 東西(キツ)の名と穂虫去るアヤ    
    大阪の金崎さんが天照の姉・若姫をもらいうけて育てる
    穂虫の被害を泡唄で救った
    明石の住吉神社を守る西海家
    BC900 年中行事 赤飯、袴、年始の餅、端午の節句、七夕、菊と栗、
    BC2500 ひな祭り、酒波寺で結婚式
    年代 ---- 真榊の枯れ=20年から想定
    
 ・02 あめななよとこみきのアヤ
    BC2500 酒誕生の秘話----雀が米を竹に・・・発酵 スクナミカミ@井口
    神世七代(①国常立~⑦イザナギ、イザナミ) 
    桃ノ木の下で結婚式----夜月が盃に逆さに写るからさかづき
    
 ・03 イザナミが姫ひとりと男の子3人産んだアヤ
    神世七代(⑦イザナギ、イザナミ)  
    姫はワカヒメ@筑波山 拾ったのは住吉大社の金崎 :筑波山の歌姫明神に伝承 古事記には記載なし 
    天照は富士山麓・浅間神社で誕生         :湧玉池で洗う 古事記には記載なし
    
 ・04 天照の諱はワカヒト:500歳?長寿 2m以上の大男
    豊受は天照を東北・多賀城に呼ぶ---留学@黄金山神社(涌谷)黄金山産金遺跡
     →世の反乱(ハタレの乱)を治める@天橋立籠神社
    イザナギの姉・ココリ姫 ---赤ん坊の天照が「我はウヒルギ(大いなる太陽の魂男)なり」と泣いている
    天照が受けた教え---男の諱は4文字 女は3文字(子を産む)の理由
             ひと:1~10 ----宇宙をつかさどる
             ひこ:1~9
             ひな:1~7
     
 ・05 和歌の枕詞の語源、逸話
    花窟神社(花の窟神社)イザナミが亡くなった場所 
               日本一長いしめ縄神事 イザナミの鎮魂神事 
    イザナギの悲しみ しこめ 桃で退治
    反省の念で田を造り葦を引く ----あしひきの ヤマトにかかる枕詞
                    ぬばたまの 光
    黄泉平坂 日初様入口
    産田神社       素戔嗚命が生まれた

   
 

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2-ホツマツタヱ 5柱神 造化三神 鬼界カルデラ噴火

2024年12月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

5柱神:別天つ神
┣天之御中主神(高天原に最初に現れた独神)-□□□-天児屋根神(天岩戸で祝詞,邇邇芸命降臨時に同行)
┣高御産巣日神(天上界の創造神)
┃ ┣思金神(天岩戸踊り発案者)
┃ ┗万幡豊秋津師比売命
┃       ┣邇邇芸命*2
┃       ┣天火明命
┃天照大御神━正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
┣神産巣日神 (地上界の創造神)   
┣宇摩志阿斯訶備比古遅神        
┗天之常立神

   

 縄文時代:地球全体の寒冷化発生
 ◆この頃の東京湾 沿岸には多くの住居があった
     
     
     
  
 ◆この頃の埼玉沿岸には出雲族系(スサノヲ、オオナムチ、クシナダヒメ)の神社がある 
     
      
    ・BC5300 鬼界カルデラ噴火により火山灰が地球を覆う
          民族が大移動
          狩ができず農業
          この頃シュメール文明開化@メソポタミア
    ・BC5000 クニトコタチ:国常立 神世7代時代   
          縄文中期 BC5000年頃の実在の人物
          子は8人 :え へ た み と お か め ----八王子
          草木の種を持って全国に
    ・BC3600 龍体文字
    ・BC3500 カタカムナ文字   研究第一人者・楢崎皐月1899-1974 
    ・BC3500 三内丸山遺跡@青森
          栗の大木の神殿
          栗の栽培----品種改良して主食 :ホツマツタヱにも記載あり
          集落土器----中国土器よりも古い
                弥生時代の稲作よりも古い
    ・BC3350 原楔形文字 シュメール人@イラク・ウルク市で発見  
    ・BC3200 ヒエログリフ エジプト 
    ・BC3000 ヒエラティック エジプト
    ・BC2000 縄文後期 温暖化して日本各地に汽水域ができる
    ・BC1300 甲骨文字 黄河文明後期?   
    ・BC1200 葦発生+稲作の始まり
          関東以北、富士山近辺から西へ移動@伊邪那岐、伊邪那美以降の神
          天照大御神が8代として即位 :富士山麓で誕生・即位---伊雑宮で治世---大反乱発生 
    ・BC0650 デモティック エジプト
    ・BC0100 オシテ文字 大田田根子が「ホツマツタヱ:歴史書」に記す (景行天皇/日本武尊の命)
          @奈良桜井市三輪・大神神社      
    
 ・造化三神   
  アメミナカヌシ   
  タカミムスビ :家柄を継ぐ一族 ---- 5代目が豊受大神 @宮城多賀     
  カンミムスビ     

    

    

   
 ・豊受大神は男神 :天照の祖父----フトマニ、食、乗馬、医学、鉱物 伊勢外宮から先に参るべし
   ┗伊邪那美
     ┣月夜見 :BC1000 宮崎阿波岐原で誕生 江田神社 四国を統治
     ┣素戔嗚命:BC1000 熊野で誕生 熊野神社
     ┃ ┣オオナムチ   (官職:大物主) :全国を束ねる物部氏
     ┃ ┃ ┣タケミナカタ(国譲り反対 ⇔ 武御雷@稲佐の浜(相撲の起源) →諏訪へ逃亡
     ┃ ┃ ┗クシヒコ  (官職:事代主) :次の大物主 右大臣  
     ┃ ┃→この頃春日神(アマノコヤネ系:中臣氏・藤原氏の祖)は衰退    
     ┃ ┃  
     ┃ ┃国譲り(出雲から津軽)  
     ┃ ┃→鹿島・武御雷 の薦め  
     ┃ ┃    ┗娘
     ┃ ┃     ┣  
     ┃ ┃     アマノコヤネ(フツヌシの甥 天照に仕える@伊勢伊雑宮 藤原氏の祖で左大臣)   
     ┃ ┃       
     ┃ ┃→香取・フツヌシの薦め
     ┃ ┃→疫病蔓延→藤原氏が盛り返す  
     ┃ ┃→記紀編纂@藤原不比等      
     ┃ ┃  
     ┃稲田姫     
     ┃   
     ┣ヒルコ姫 ---- @筑波山 拾ったのは住吉大社の金崎      
     ┃   
     ┗天照大神(オオヒリメノムチ)---- BC1000 天照は富士山麓・浅間神社で誕生:湧玉池で洗う 
       ┃ ┣オシホミミ 
       ┃ ┃ ┣ 出産時も魔除けにアマガツ天児を用意した
       ┃ ┃タクハタチチヒメ     
       ┃瀬織津姫       
       ┃  
       ┗天忍穂耳命
         ┣
         ┗ニニキネ 
 ・古都
   ┣おきつぼ :琵琶湖 エノカミ
   ┣はらみつぼ:富士山 トノカミ
   ┗けたつぼ :東北
 ・鹿島神宮が関東?
   武御雷による朝廷への反乱(かしまだち)
   ひたかみ国とほつま国の争いを鎮め、鹿島の土地を譲り受けた
   フツヌシ(香取神宮)の甥アマノコヤネは武御雷の娘と結婚@鹿島神宮
 アマテラスとハタレの乱
  
 神武東征
         
    
          
  ・ニニキネは高千穂に降臨したわけではない
  ・棚田はニニキネの提案
  ・ニニキネが最後に着いたのは日向(ひむか) ;古事記には記載なし
  ・コノハナサクヤヒメは富士山麓で殉死    :古事記には記載なし
  ・山幸彦は釣り針を求めて鹿島神宮へ。そこで豊玉姫と結婚
  ・生まれたのはウガヤフキアワセズ
  ・その子が神武天皇@琵琶湖の宮(多賀大社近辺)  後に日向へ
  ・当時東北-富士山麓-琵琶湖-日向の移動は馬
  
  ・一方 ニニキネの兄・飛鳥ホノアカリ@東北で誕生
  ・ホノアカリは鳥を見て遷都を提案するが、家臣や妻が反対 
  ・妻は離縁され、世継ぎが途絶えたので海幸彦の兄・ホノアカリの子が飛鳥ホノアカリ系に養子 
  ・これが国照ニギハヤヒである
  ・国照ニギハヤヒの家臣がナガスネヒコ
  ・ナガスネヒコは皇室の世継ぎの文を勝手に見る ---- これを知った神武天皇が東征
  ・ナガスネヒコの妹・ミカシアがニギハヤヒの妻となり、その子が物部の祖
  ・神武は瀬戸内海から大和川経由飛鳥に行く途中で兄が負傷 ---- 熊野経由変更
  ・道案内の八咫烏は賀茂系の人物の名
  ・ナガスネヒコは敗北して、ニギハヤヒは神宝(三種の神器と十種神宝)を神武に返上 
  ・十種神宝は飛鳥ホノアカリが東北で授かったもの

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1-ホツマツタヱとは日本最古の歴史書

2024年12月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

ホツマツタエ/ほつまの世界(ホツマツタヱ)/秀真伝
 ・歴史学会では認められていない
 ・記紀には書かれていない記録が多い
 ・BC5000 縄文海進 :温暖化で海水上昇
      出雲などは森林、東北へ移住
 ・BC2000 寒冷化  :貝塚文明消滅
 ・BC1000 温暖化  :日本中が葦沼地
 ・AD100 景行天皇の命により大田田根子が著す
      右大臣系統(物部氏系統)が主に著す
      記紀は左大臣系統が(藤原氏系統)主に著す
      この頃は渡来人が激増したヤマトの混乱期 :歴史書の編纂を重要視する(記紀編纂の動機と同じ)
 ・1770頃 写本が高島市で発見
       ホツマツタヱは宇和島藩が3代に渡って研究していた
       研究にあたって宇和島藩は琵琶湖西岸の高島から文献を取り寄せていた
       天の巻 :~天忍穂耳命
       地の巻 :瓊瓊杵尊~ウガヤフキアエズ
       人の巻 :神武~景行
 ・1966  再発見 By松本善之助1919-2003@古本屋
      昭和41年 ホツマツタヱ本(秀真政伝紀)を発見 琵琶湖高島に行く
      本の出処は四国宇和島の小笠原家
      ホツマツタヱ全巻が小笠原家に眠っていた
      全巻オシテ文字(古代文字)
              →カタカムナ By楢崎皐月1899-1974

 ・1976  高島の日吉神社神輿蔵から小笠原家が所有していた文献が発見された Byいぼさん 
       和仁估安聡(江戸時代の神道家 三輪大臣)がホツマツタヱを研究していた
        →1775 漢訳本を出す 伊勢神宮猿田彦神社に和仁估安聡の名が出てくる
 ・神代文字
   ホツマツタヱ(歴史)
   ミカサフミ (哲学)
   フトマニ  (占い)
 ・江戸時代に研究されている
      赤間神社の宮司(小笠原家の先祖)が江戸後期に研究

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古事記7 神々の系図  

2024年03月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

 

大山祇神 オオヤマツミ
┣神大市比売(稲田姫神の次に結婚)
┃ ┣大年神
┃ ┣宇迦之御魂神
┃素戔鳴尊 :朝鮮半島・曽尸茂梨に出向
┗足名椎命(出雲の斐井川)
    ┣7人の娘
    ┣稲田姫神        八岐大蛇の生贄になる寸前にスサノオノミコトに助けられる
 手名椎命 ┃(来訪神に仕える巫女)草薙剣をアマテラスに献上 倭姫→ヤマトタケル→尾張熱田神宮
      ┃          後に須賀に宮殿を造営 出雲の支配者となる。
      ┃      ┏建御名方タケミナカタ(出雲国譲に反対 諏訪湖に追放)⇔タケミカヅチ
      ┃      ┣事代主神(天武の守護神)
      ┃      ┣阿遅志貴高日子根神
      ┃石長比売  ┣下照比売命
伊邪那岐命 ┃ ┣□    ┃武神フツヌシ 高倉下献上の霊剣が神格化
    ┃     ┣□┗□□□-大国主神(大穴牟遅オオナムヂ→葦原色許男アシハラノシコオ→顕国魂ウツシクニタマ→オオクニヌシノミコト)
    ┃  ┃      ┃オオムナヂ :異母兄弟神(八十神)に仕える少年神→八上比売ヤガミヒメ(因幡国)を得る     
    ┃  ┃      ┃アシハラノシコオ:八十神を逃れて冥府王・スセリヒメと結婚
    ┃  ┃      ┣島根美保神社の神 
    ┃  ┃      高志(糸魚川付近)の巫女・沼河比売ヌナカワヒメと結婚
    ┣素戔鳴尊(スサノオノミコト)冥府,天照大神により高天原を追放後出雲国へ天降る
    ┃     ┣須勢理毘売命 スセリヒメ(地下冥府の王)
    ┃     ┃   ┣  
    ┃     ┃葦原色許男(八上比売ヤガミヒメ・蚶貝比売キサガイヒメ・蛤貝比売ウムガイヒメの霊力をもらう)→オオクニヌシ
    ┃     ┃ (カムムスヒの御子神・クスナビコナとともに出雲国を完成させる)
    ┃     ┗五十猛命(スサノヲと共に新羅へ渡る)   
    ┣天照大神 ━━┓(アマテラスオオミカミ) 太陽の神
    ┃(高天の原)      ┃八咫鏡を授ける
    ┣蛭子神    ┃(垂仁期に倭姫伊勢へ祀)        
 ┣淡島神    ┃ ↓        *2邇邇芸命ニニギノミコト(日向可愛山陵)
 ┃               ┃ ↓           ↓┣火闌降命ホスソリ(海幸彦)隼人始祖
 ┃建速須佐之男命┃ ↓      日向の襲┣彦火火出見命(山幸彦)高屋山上陵
 ┃ ┣大年神  ┃ ↓      (高千穂) ┃    ┣鵜草葺不合命(吾平山上陵)
 ┃ ┣宇迦之御魂┃ ↓           ↓┃  ┏豊玉姫┣神武天皇(四男)
 ┃┏神大市比売神┃ ↓        空国┃  ┣玉 依 姫
 ┣大山祇神━━   ┃ ↓(オオヤマツミ)   ━┓┃*1大綿津見神(日本神話で最初に登場する海の神)  
 ┃┃           ┃ ↓         ┃吾田┣火明命(尾張連始祖)
 ┃┣四対八神の神┃ ↓         ┣神吾田津姫・コノハナサクヤ姫(端陵)
 ┃鹿屋野比売神   ┃ ↓          ┗姉・磐長姫・コノハナチル姫(醜い為送り返される)
 ┃         ┃ ↓           ┣
 ┣大綿津見神*1   ┃ ↓          八島士奴美神(スサノヲの子)
 ┃         ┃石凝姥に作らせる 西都原古墳群・メサホ塚古墳がコノハナサクヤ姫陵? 
 ┃       ┃ ┣紀伊の日前神(天香山の銅で鋳造)
 ┃       ┃ ┗伊勢大神
 ┣月弓尊    ┃(ツキユミノミコト)    月の神 五穀の起源
 ┣大宜都比売神 ┃(オオゲツヒメノカミ)   五穀の神 保食神 豊受姫命 
 ┣迦具土神   ┃(カグツチノカミ)火神 母の陰部を焼焦がし誕生。十拳剣にて死す
 ┃┗建御雷之男神┃
伊邪那美命    ┃
(根堅洲国)   ┃甕襲ミカソの犬・足往が八坂瓊ヤサカニ勾玉を垂仁に献上→石上神社
         ┃  
┏━━━━━━━━┛
┗┓ 
 ┣天穂日命(アメノホヒ)出雲の祖。アマテラスの右のみずらに巻いた勾玉から成った。
 ┃         出雲平定の為にアマテラスに派遣されるがオオクニヌシに寝返る
 ┣天津日子根命 萬幡豊秋津師比売命(高木神の娘) 
 ┣活津日子命   ┣天火明命(アメノホアカリ)
 ┣熊野久須毘命  ┣瓊瓊杵尊(ニニギノミコト) 
 ┃        ┃  ┣火遠理命(山幸彦) 
 ┃        ┃木之花サクヤビメ ┣鵜葺草葺不合命 
 ┃        ┃        豊玉姫
 ┣天忍穂耳命(アメノオシホミミ)  スサノオガアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男
 ┣建甕槌命  (タケミカヅチノミコト) 迦具土神が十拳剣にて父に刺されたときに血から誕生
 ┃                 磐筒女(イワツツヒメ)の子
 ┃                 出雲・稲佐浜でコトシロヌシと闘争
 ┣布都御魂神 (フツノミタマノカミ)  迦具土神が十拳剣にて父に刺されたときに血から誕生
 ┗菊理姫神 (ククリヒメノカミ)  伊邪那岐命・伊邪那美命が喧嘩をしたときに調停する白山の神、農耕神
 *手力男神
 *
 *猿田毘古大神
 *天宇受売神(アメノウズメノカミ)  巫女の元祖 岩戸では陰部もあらわに踊ります サルタヒコの妻伝承あり

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大英博物館ミイラ展@神戸市立博物館

2022年02月10日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

今回来日したのは、紀元前800年ごろから後100年ごろにかけて古代エジプトの各時代を生きた、役職も死亡年齢も異なる6体のミイラ。それぞれをCTスキャンすることで見えてきた結果を紹介。関連する埋蔵品や発掘された資料もともに展示している。

 

 

Mummy-1

アメンイリイレトは、カシュタ王(前760~前747年頃)の娘アメンイルディスの所領を管理していた古代エジプトの都市であるテーベの役人で、その地域の名士であった。 アメンイルディスの死後1世紀以上後の時代の人物であり、その地位から得た富によって立派に埋葬された。

Mummy-2

ネスペルエンネブウは、銘文からはテーベでもっとも重要な宗教施設であるカルナク神殿の神官で、前800年ごろを生きた。ネスペルエンネブウのミイラのCTスキャンからは、数多くの護符や装身具が包帯のなかに配置されていることや、それらの種類・材料も明らかになった。これらは死者を保護し、永遠の命を得る手助けをすると信じられていた。

Mummy-3

ペンアメンネブネスウトタウイもまた神官で、前700年ごろの人物。その遺体の脳は取り除かれていないことがわかっている。時期や地域によってミイラづくりの技術が変化したのか。ペンアメンネブネスウトタウイの骨格はほぼ生前のままの状態で残っており、歯の虫歯の状態も知ることができる。

Mummy-4

タケネメトは今回の展覧会では唯一の女性のミイラだ。父は神殿の出入りを管理する門番、母は神官を務めた裕福な家の既婚女性であることがわかっている。古代エジプト人女性の副葬品には、化粧品や香油、香水が含まれていることが多く、来世の生活においても化粧と装身が必要とされていたことがわかる。アイライナーとして使われていた「コホル」の壺や塗るための棒、化粧箱や襟や首の飾り、バングルなどが展示されている。

Mummy-5

ファイユーム地方のハワラで出土したこのミイラは、CTスキャンにより3~5歳の幼児だと推定されている。ローマ支配時代の後40~55年ごろのもので、社会的地位の高い家族の一員だったと考えらており、頭部に肖像画が描かれている。子供のミイラとともに古代エジプトの子供たちが遊んだ玩具や身につけた装身具、子供の魔除けなども展示。

Mummy-6 (カメラ撮影可)

グレコ・ローマン時代(BC146年頃-AD330年頃)の若い男性のミイラが展示される。多くのギリシャ人がエジプトに渡来して定住したこの時代も、エジプト土着の埋葬の伝統は廃れることはなかった。CTスキャンでこの男性の頭部の奥に大きな木片があることがわかっており、ミイラ職人が脳を取り出すときにつかった道具の一部が残った貴重な資料となっている。このミイラにはエジプトの伝統的なマスクがあしらわれているものの、先の子供のミイラのようにプトレマイオス朝の末期に近づくにつれ、マスクの代わりに写実的な肖像画を描く時代が訪れる。

ディダスの娘アフロディーテのミイラマスク AD50年頃 @ハワラ地方

 

 

へび型の指輪・腕輪

 

男女のミイラマスク AD100年頃

 

 

BC100年頃 プトレマイオス時代の黄金のマスク

「このマスクをつけることによって、死者が神の力を得ることができる」という呪文が記されている

 

BC146年頃-AD330年頃 グレコ・ローマン時代

 

ホルネジイトエフの使者の書

 

第2会場として日本独自の特別展示も実施。日本とエジプトが合同で行っているサッカラ遺跡の調査の紹介を中心に、日本人が古代エジプトの存在をどのように知り、研究を続けてきたのかを資料や遺跡の再現で追うことができる。また、国立科学博物館が所蔵する猫のミイラが初公開されており、その匂いを再現した体験展示も行われているのでこちらも見逃せない。

 

ロゼッタストーン(レプリカ) : ナポレオンがエジプト遠征時に発見

 

ツタンカーメン黄金のマスク(レプリカ)

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石川-4 少名彦名神社

2021年11月14日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

『日本書紀』では少彦名命と記されており、少名彦名命と記された書物は存在しないようである。高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされ、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗り、波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。スクナビコナが登場するのは、『記紀』以外では、『播磨国風土記』や『伊予国風土記』、山陰や四国、北陸などの地方伝承。

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出雲王朝84-国引き神話の主役・三瓶山

2020年08月13日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

 建速須佐之男命の子・ヤシマジヌミには多くの島を領有する神霊という意味がある。これは出雲王朝が繁栄していたことを意味する。そしてヤシマジヌミがオオヤマツミの子・コノハナチルヤヒメを娶って生んだ子がフハノモジクヌスヌ。つまり出雲の土地の豪族と結婚することでその地位を固めている。因みに、コノハナチルヤヒメの姉妹コノハナサクヤビメは天照大神の孫にあたるニニギノミコトと結婚している。そしてフハノモジクヌスヌはヒカワヒメを娶ってフカフチノミヅヤレハナを生み、出雲国土を安定化させると、その子オミヅヌは国引きを行い国土拡大をはかり、韓や越といった王朝との交流を図ることで巨大な王国となった。尚、オミヅヌ(八束水臣津野命)については古事記や日本書紀には現れてこず、出雲風土記にのみ記されている。

 作られた出雲国は「八束水臣津野命」によれば「狭布の稚国」という失敗作であったという。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、島根半島を造ったという。その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山【現在の三瓶山】で、その綱は薗の長浜になった。この時、ミコトが引っ張った綱をかけた杭は伯耆の国の火の神岳、つまりは大山で、持って引っ張った綱は弓ヶ浜になったという。

 

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出雲王朝83-日本唯一残るたたら製鉄工場・菅谷高殿

2018年11月02日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

 奥出雲・吉田町でたたら製鉄が始まったのは鎌倉時代で、「野だたら」といわれる移動式の製鉄法が行われていた。近世に入るよ高殿を構えて操業が行われるようになり、企業だたらとして隆盛を極めるようになる。全国で唯一、今に残る「菅谷高殿」は1751年から170年間の長きにわたって操業が続けられ、大正10年にその火が消えたという。高殿式の製鉄が始まってから約300年、豊富な森林資源と、原料である砂鉄に恵まれた吉田町だからこそ製鉄の歴史的、文化的遺産の偉大さを体感することができる。たたら製鉄に従事していた人達の職場や、住んでいた地区を総称して「山内」と言い、たたら製鉄の技術者達の日常生活がここで営まれた。たたら製鉄の技術者達はもう一人もいないが、製鉄で山内が盛えた頃を偲ぶことのできる町並みが残り、昔からの伝統が受け継がれている。

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出雲王朝82-鉄の歴史博物館

2018年11月02日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

 弥生時代の終わり頃、青銅に代わって鉄をつくる技術が伝えられた。ここ奥出雲・吉田町には良質の砂鉄と木炭があったので、盛んに鉄づくりが行われた。砂鉄と木炭を使った独特の鉄づくりを「たたら製鉄」という。室町時代までは、「野だたら」といって、山の中ほどで、風のよく吹く所など斜面に炉を築いて鉄を作っていた。江戸時代になると、雨が降っても濡れないように高殿という建物を作り、その中で鉄を作るようになり、これを「永代だたら」という。吉田町の菅谷地区にある高殿は、その名残りである。たたら製鉄は、まる一日かけて炉を作ることから始まり、炉をかわかしたあと、木炭を入れ、ふいごで風を送って火をおこし砂鉄を入れ、最後に炉をこわして鉄を取り出す。

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出雲王朝81-神在月@神話の里・出雲

2018年10月16日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

 旧暦10月(平成30年の場合は11月17日から24日)は全国の八百万の神々が出雲の国に集まる月である。他の土地では神様が留守になるので神無月というが、出雲では神在月と呼ぶ。 神々が集う出雲の各神社では「神迎祭」に始まり、「神在祭」そして、全国に神々をお見送りする「神等去出祭」が行われる。

 出雲大社の西方1kmにある稲佐の浜で、神々をお迎えする神迎神事が行われる。夕刻7時、浜で御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬が2本、傍らに神々の先導役となる龍蛇神が海に向かって配置される。神事が終わると、神籬は両側を絹垣で覆われ、龍蛇神が先導となり、高張提灯が並び奏楽が奏でられる中、参拝者が続き、浜から出雲大社への「神迎の道」を延々と行列が続く。この後、出雲大社神楽殿において国造以下全祀職の奉仕により「神迎祭」が執り行われます。これが終わると、ようやく神々は旅(宿)社である東西の十九社に鎮まられる。神々の先導の竜蛇神は、豊作や、豊漁・家門繁栄などの篤い信仰があります。神迎祭終了後には特別拝礼、さらに神在祭期間中にも八足門内廻廊に竜蛇神を奉祭する。

 全国の神々は旧暦10月11日から17日まで7日間、出雲の地で神事、すなわち人には予めそれとは知ることのできない人生諸般の事などを神議りにかけて決められるといわれている。男女の結びもこのときの神議りであるという。神々が滞在される7日間、稲佐の浜に程近い、出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上の宮(仮宮)」で、縁結びや来年の収穫など諸事について神議りが行われる。また、御宿社(神々が宿泊する宿)となる出雲大社御本殿の両側にある「十九社」でも連日お祭りが行われる。この祭事期間、神々の会議や宿泊に粗相があってはならぬというので、土地の人は歌舞を設けず楽器を張らず、家を建築せず、ひたすら静粛を保つことを旨とするので、「御忌祭」ともいわれている。

 神等去出祭は旧暦10月17日 夕刻4時、出雲大社境内にある東西の十九社にあった神籬が絹垣に囲まれて拝殿に移動され、拝殿の祭壇に2本の神籬、龍蛇、餅が供えられ祝詞が奏上され、その後、1人の神官が本殿楼門に向かい門の扉を三度叩きつつ「お立ち~、お立ち~」と唱える。この瞬間に神々は神籬を離れ出雲大社を去られる。出雲大社の神在祭が終わると、引き続き松江の佐太神社で神在祭があり、斐川町の万九千神社より神々はそれぞれの国へ還られるという。出雲大社では、旧暦26日にも神等去出祭を執り行います。この祭典は、神様が出雲の地を去られたということを大国主大神に報告する儀式で、本殿前で神官一人が行う小祭である

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草薙神剣とゆかり深い熱田神宮

2018年07月17日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

 熱田神宮は、三種の神器・草薙神剣の御鎮座に始まる。景行天皇の御代に、息子の日本武尊は神剣を火上山に留め置かれたまま能褒野でなくなられた。尊の妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田にお祀りになられた。それ以来、伊勢神宮につぐ格別に尊い宮として篤い崇敬をあつめ、親しまれてきた。ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代としてよらせられる天照大神のことである。

 熱田神宮といえば、源頼朝の正妻・由良姫が熱田神宮の宮司・藤原季範の娘であったことでも知られる。藤原季範の子・範忠や祐範は熱田神宮の神官となっており、熱田神宮の大宮司家であった。当時の熱田大宮司家は、男子は後に後白河院の北面武士となるものが多く、女子には後白河院母の待賢門院や姉の統子内親王(上西門院)に仕える女房がいるため待賢門院や後白河院・上西門院に近い立場にあった。1156年に起きた保元の乱においては、由良御前の実家・熱田大宮司家は義朝の軍勢に兵を送って援護したという。また、由良御前の子である源頼朝は1158年、熱田大宮司家と縁の深い統子内親王の立后にあたり皇后に仕える「皇后宮少進」に任命され、1159年2月に統子内親王が女院号宣下されると頼朝はその蔵人に任命されている。そして間もなく由良御前は死去する。

 ちょうどこの頃前後して、源義朝は 常盤御前という雑仕女と出会う。いわずと知れた源義経の母である。近衛天皇の中宮九条院(藤原呈子)の雑仕女、つまり呈子の身の回りの雑用係り。都の美女千人の中から選ばれた美女ではあったが素性は不明で、身分は極めて低い。源義朝の妾となり、今若、乙若、そして牛若(後の源義経)を産んでいる。1160年に始まった平治の乱では、源義朝が平清盛と戦って敗北し、子供たちをつれて清盛の元に出頭して、母と子供たちの助命を乞うことで有名である。常盤の美しさに心を動かされた清盛は今若、乙若、牛若を助命するということになっているが、これは疑わしい。平治の乱に参加した頼朝でさえ助命されている。比較にならないほどの、なんの血統もない常盤御前の子なら、ましてである。殺されるはずはない。 常盤御前は、清盛に請われて妾となり一女(廊御方)を産んだ後、一条長成という中流貴族に嫁し、一条能成の他何人かの子を産んでいる。その一人は牛若丸とともに、鞍馬寺で一緒に過ごしており、後に義経とともに都落ちをしている。このとき常盤御前は、鎌倉方によって逮捕され、保身のため追討使に義経の情報を漏らしている。 その後、義経の弟と一緒に平穏な晩年を過ごしたようであるが、はっきりした事は不明。

為義1096-1156    伊藤祐親・娘                    
 ┣義朝1123-1160  ┣息子  ┗行宗
 ┃   ┃          ┃     ┗養女(姉の娘) 
 ┃   ┃        ┃      ┣
 ┃   ┣源義平     ┃     左金吾(刀禰弾正介の嫡子)
 ┃   ┣源頼朝1147-1199(乳母比企の局)   
 ┃   ┣義賢      ┃      ┣比企能員 畠山重忠・娘
 ┃   ┣範頼      ┃      ┣丹後局   ┣
 ┃季範┣範頼      ┃      ┗長女┗島津忠久 1180-1227
 ┃┣由良御前      ┃       ┣
 ┃┗祐範        ┃      藤九郎盛長
 ┃           ┣大姫1178-1197       
 ┣頼賢         ┣頼家1182-1204(乳母は比企一族 北条氏により暗殺)       
 ┣頼仲        ┃  ┣一幡(藤原氏に敗れる)    
 ┣為宗         ┃  ┣公暁(乳母は三浦一族)     
 ┣為成         ┃  ┃   (三浦義村は実朝・義時暗殺を計画)   
 ┣為朝1139-1170   ┃比企能員(よしかず)娘・若狭局     
 ┗為仲         ┃      
             ┣実朝1192-1219(乳母は北条・阿波局 三浦氏に暗殺される)      
             ┣三幡      
             ┃        
      ┏北条政子1157-1225尼御台     
      ┣北条宗時          足利家時(報国寺開基)    
    北条時政          ┣
      ┣阿波局      ┏娘      
      ┣鏡子     ┏常葉時茂      
      ┣百合子 ┏重時1198-1261
      ┣江馬四郎義時1163-1224     
    牧の方    

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