・31 三輪神 欠史八代
・三輪氏 :ホツマツタヱを守っていた一族
3人の大物主 ②クシヒコ(恵比須様) ⑤フキネ ⑥ワニヒコ(クシミカタマ 子はアタツクシネ)
アタツクシネに大三輪の姓が与えられた
5世紀に蘇我氏によって追い出された
・神武の妃・吾平姫の子・タギシミミが妃・五十鈴姫の皇子(ヤスキネ)を殺害
・綏靖の妃・糸織姫 ココタエ;文献を守る役職
・安寧 懿徳
・32 富士山、琵琶湖名前の由来
・藤の花献上 By田子の浦住民
・孝霊天皇----三つ子を歓迎・間引き禁止
・富士山 ----はらみ山
・9代開花天皇----先帝の妃を妃にしようとしたが国の乱れになるとして大三毛主が諫めたが・・・
大物主が去り(右大臣不在)10代崇神天皇の時代に混乱
大三毛主は引退
・33 国の乱れ
・斎王・御杖代みつえしろ@伊勢神宮・斎宮 初代は崇神天皇の娘・豊鍬姫
・湯立神事 :世は平定 三輪山の味酒・うまさけ 酒の起源はBC2500--4代目ウヒヂ二、スヒヂ二の時代
高橋活日命が極める@BA1500?
杉玉@三輪山 ----茶色は酒の熟成時期を表す
松尾大社の神 :秦氏
・箸墓古墳 :倭迹迹日百襲姫命
大三毛主の孫太田田根子にクシヒコ(恵比須様:2代目大物主)を祀らせなさいとの湯立
・34 ミマキの御代 任那
・ミマキ----崇神天皇 タケハニヤス----崇神天皇の叔父の反乱を予見した倭迹迹日百襲姫命
クシヒコが白蛇となって倭迹迹日百襲姫命を驚かすが、それに気づかなかったことを恥じて自殺
渡来人である都怒我阿羅斯等(つのがあらひと 敦賀の語源)が気比海岸に現れて崇神天皇の愛弟子になる
・任那 ----朝鮮に戻りミマキのマナを与えられた都怒我阿羅斯等
・再来日----乙女に会うために再来@比売許曽神社
・出雲建----出雲の神主振根が弟を殺したために、朝廷軍(日本武尊)により殺される:古事記
振根は吉備津彦と武渟河別に殺される :日本書紀
・百済の歴史----秦の始皇帝の命で徐福が来日 From遼東半島
・35 相撲の始まり
・新羅 :素戔嗚命が造った?
・ヒボコ:朝鮮半島の新羅からの新羅人または渡来皇子(新羅王子の天日槍) :出石神社
弟・知古に譲る
各地をまわり、出石に居を構える
・垂仁天皇(活目入彦)の時代
・垂仁天皇の后・狭穂姫と暗殺を依頼する兄狭穂彦が焼死
・山野辺の道・相撲神社で野見宿禰VS当麻蹴速 負けた当麻蹴速は殺される
野見宿禰:土師氏 出雲の神魂神社(かもす)で修業して奈良の都へきた
この時すまいの郷に埴輪がもうけられて土俵となった
・36 ヤマト姫と伊勢神宮
・倭姫命生誕はBC17
・三輪山の大物主・クシヒコの魂が下りてきて妊娠
・樺井月姫はヤマト姫出産後に死亡
狭穂姫命(①内宮)
┣誉津別 :飛ぶ鵠を見て初めて言葉を発した
┃
┃薊瓊入媛
┃┣池速別命
┃┣稚浅津姫命
┃┃
┃┃真砥野媛
┃┃┃
垂仁天皇 即位はBC28
┃┃┣倭姫命@BC17 :豊鍬入姫命を継いで斎宮(御杖代)となる
┃┃┃ 伊勢神宮はBC2
┃┃┣迦具夜比売命(内侍)
┃┃樺井月姫(②内宮):大筒木垂根王の娘
┃┃
┃┣五十瓊敷入彦コ
┃┣12代景行天皇-13-130
┃┣大中姫命
┃┣稚城瓊入彦命
┃日葉酢媛
┃
┣鐸石別命
┣胆香足姫命
渟葉田瓊入媛
ミマキイリヒコ─┐
(崇神天皇) ├────イクメイリヒコ(垂仁天皇)
ミマキ姫────┘ ┃
┃
ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1] ─────── (1)ホンツワケ
┃
ツヅキ県主タルネ───┬─カバヰツキ姫[内宮2] ──── (2)ヤマト姫
│ ┃
└─カクヤ姫[内侍] ┌ (3)ニシキイリヒコ
┃ ├ (4)ヤマトヲシロワケ(景行天皇)
タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3] ─────┼ (5)オオナカ姫
│ ┃ └ (6)ワカギニ
│ ┃
├─ヌハタニイリ姫[典侍]───┬ (7)ヌデシワケ
│ ┃ └ (8)イカタラシ姫
├─マトノ姫[内侍]
│ ┃ ┌ (9)イケハヤワケ
└─アサミニイリ姫[内侍]───┴(10)アサヅ姫
┃
オホクニサラズ──────カマハダトベ[内宮4] ────(11)イワツクワケ
┃
ヤマシロフチ───────カリハタトベ[??] ─────┬(12)ミヲヤワケ
├(13)ヰイソタリヒコ
└(14)ヰタケワケ
・37 埴輪の起源
・石上神宮は兵器庫 ----是非が占われた@BC1
・皇族死亡時に殉死が悲惨
垂仁天皇の詔 野見宿禰が埴輪を提案
出雲の土師氏
・常世の国 クニトコタチ との教えが成立した国
見える世界と見えない世界 勾玉
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・38 日本武尊
・景行天皇の時代
18歳で皇太子
即位は81歳
妻は26人、子は81人
・妃は播磨稲日大郎姫
21か月で生まれたその子が日本武尊(ハナヒコ)
・景行天皇92歳で九州筑紫へ行く----熊襲説得
・日本武尊25歳で九州遠征へ行く----熊襲征伐 この時にタケルを名乗る
帰京12年後(記紀ではすぐのように記載)に関東へ(兄に替わり)
この時にヤマト姫から叢雲剣を授かる :族が仕掛けた草をなぎ倒したことから草薙の剣となる
竹内宿禰が既に関東視察して景行天皇に報告
・39 ホツマ討ち(関東討ち)
・朝廷に従う証として家の前に家具を入れた籠を置くこと@12月8日 ----御事始め
・弟橘媛と出発するが、嵐の為船は沈没 弟橘媛は身を投げ暴風はすぐに止んだ
「あめつちいのり わがきみの いつをやまとに たてんとす われきみのため たつとなり ふねをまもらん」
・40 ヤマトタケル伊吹山へ
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