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【日本の疲弊-72】尾崎秀実 : 近衛ブレーン、ソ連のスパイ、共産主義者、ゾルゲ事件で処刑

2024年04月08日 | 明治維新以降

尾崎秀実1901-1944 以下記載は尾崎秀実逮捕後の尋問調書(一橋大学所蔵)に基づく
 →近衛ブレーン、諜報活動、広報活動:中国、日本の共産化
  昭和研究会(近衛のシンクタンク)の中心人物
  朝飯会  (近衛のシンクタンク)の中心人物
  首相官邸に嘱託席を持つ ----近衛内閣の中枢情報取得 
  ソ連のスパイ      ----近衛内閣の中枢情報をソ連に漏洩(ゾルゲ団経由)
  昭和熟で若者に人気   ----ナショナリズムと称する
  共産主義者       ----東大大学院の助教授・共産主義者の影響か?

 

   1926 :朝日新聞社入社----当時のペンネームは白川次郎
   1927 :上海支局転任 ----中国共産党、東亜同文書院大学面々と交流
                       →1899:日本が南京に設立:南京同文書院
                        1921:上海に移設後、専門学校に昇格
                        1939:大学に昇格
   1928 :米ジャーナリストアグネス・スメドレー1892-1950と交流:反日運動家。反国民党
   1928 :スメドレーの紹介でリヒャルト・ゾルゲと会い、上海ゾルゲの一員となる
        支那、満州での日本軍の諜報活動
   1932-1:上海事変  ----日本軍は上海に上陸、中国軍と衝突
   1932-5:上海より帰国----諜報活動は新聞連合社の山上正義1896-1938
   1932-6:奈良公園でゾルゲと再会----日本での諜報活動開始:米共産党員・宮城与徳1903-1943が仲介
   1934 :朝日新聞新設の東亜問題調査会主要メンバ----会長は緒方竹虎1888-1956:副総理
   1935 :コミンテルン(国際共産主義組織)正式登録 
   1936-2:牛場友彦(ロックフェラー配下)の斡旋で「近衛文麿を囲む会:中心人物は蠟山政道」に入る
        226事件  
   1936-8:太平洋問題調査会IPR・ヨセミテ会議の日本代表団@ロックフェラー寄贈のヨセミテ国立公園  
         牛場友彦は近衛文麿の長男・文隆1915-1956を呼ぶ 
         尾崎は西園寺公一とも交流→松岡洋右→尾崎→ソ連共産党 
         風見章、ハーバート・ノーマン1909-1957(ソ連スパイ疑惑で自殺)出席
         尾崎の会議用書類には「中国共産党と国民党が団結して抗日に向かっている」@一橋大学図書庫
           →太平洋問題調査会IPRに対するFBI捜査資料が一橋大学図書庫にある
            これはジョセフ・マッカーシーの赤狩り成果
   1936-12:西安事件 張学良によって上司の蒋介石が監禁された事件
              蒋介石が共産党の息の根をとめようとしていた 
              このスクープを世界中に発信したのは松本重治は最初----世界の有名人  
   1937 :中央公論、文芸春秋に投稿した尾崎の記事はことごとく的中                       
        日中戦争の目的は「腐敗した蒋介石政権の打倒」と煽る        
        太平洋問題調査会IPRでの尾崎の会議用書類内容通り  
        情報通の尾崎に目を付けたのが近衛文麿  
        尾崎は朝日新聞論説委員・佐々弘雄とともに近衛文麿と面会@星岡茶寮(北大路魯山人ゆかり)  
   1937-4:尾崎は昭和研究会に入る  
        ところが尾崎と近衛文麿は親密ではないことになっている  
        昭和研究会中心人物の風見章も尾崎とはあったことは無いと証言  
        風見章は支那問題研究会を設置----大陸政策の立案機関:尾崎秀実が委員長 
   1937-6:第一次近衛内閣誕生:官房長官は風見章             
   1937-7:牛場友彦の斡旋で近衛内閣嘱託、朝飯会に参加----尾崎秀実の広報活動影響力が10倍増  
        ソ連コミンテルン、国際金融資本、近衛文麿の昭和研究会が団結  
        国民再組織問題対応----政党政治を無くして一党独裁対応:モデルはソ連共産党
   1937-7:盧溝橋事件勃発             
   1938-5:尾崎の推挙で中西功1910-1973が満州鉄道在籍@1938    
                →中西は共産主義者 中国共産党の工作員  
                 1929~反帝国主義活動                        
                 満州鉄道から陸軍へ派遣 
                 思想対策研究会@上海の出席(昭和研究会、蠟山政道、酒井三郎、松本重治)  
                 支那の統治が課題@支那事変真っ最中----国民党利用    
                 (日中戦争の目的は「腐敗した蒋介石政権の打倒」と煽る)                        
                 日中戦争遂行方針・体力・等々はソ連に筒抜け
                 1942:ゾルゲ事件で逮捕、死刑求刑 
                 1945:GHQにより釈放
                 1947:日本共産党から当選@第1回参議院選挙
                 1950:党中央と対立辞任                               
   1939-1:第一次近衛内閣総辞職                               
        支那研究室を設立:総辞職直前に犬養健(18969-1960 犬養毅の三男)とともに:風見章が資金提供                               
        共産主義者水野茂、西園寺公一、近衛文隆と連携                                
   1939-4:近衛発案で、南朝の北畠親房が「神皇正統記」執筆の地へ見学                               
        数多の共産主義者及び岸道三1899-1962(近衛内閣秘書官)が見学                               
        この時の尾崎秀実の助手は伊藤律1913-1989                               
                      →共産主義者                                
                       満鉄入社@1939                                
                       検挙@1939-11                                
        満鉄職員の内300人が共産主義者だったという                            
   1940-9:近衛文麿の別荘にて共産主義者が集合し、第二次近衛内閣談義                            
        新秩序を社会主義理念とする@コミンテルン・・・と尾崎は発言                            
                                        
   1940-3:汪兆銘(蔣介石の政敵)傀儡政権誕生@南京(上海は最大都市)                               
        汪兆銘に対する日本側の交渉人は犬養健                                
        汪兆銘と日本の基本条約:日華基本条約を尾崎秀実が入手し、ゾルゲ経由ソ連へ              
        ルーズベルト大統領批判 to 日本の支那侵略  
   1940-7:第二次近衛内閣:司法大臣は風見章   
   1941-2:対米問題会合@近衛の旧宅荻外荘(てきがいそう)----鬼畜米英を煽っていた頃                
        松岡洋右によるソ連を挟み撃ち戦略(独ソ戦開始@1941-6)に対して           
        尾崎秀実は妨害                                
   1941-8:陸軍動静諜報活動@満州  毛沢東に情報漏洩   
   1941-10:尾崎秀実は雑誌「改造11月号」に投稿           
         支那事変は永久戦争           
         疲弊の後は共産主義革命           
         朝日新聞、NHKだけではなく政治家も煽るべきである----衆議院では煽りが始まる   
   1941-10:-15日に尾崎秀実は逮捕されて訊問開始             
         特別高等警察による逮捕理由:治安維持法違反、国防保安法違反、軍規保護法違反、軍用資源保護法違反           
         内大臣・牧野伸顕(大久保利通の子)は近衛に言う「明治以来政府中枢に赤が!」近衛はすっとぼけた           
         近衛は平沼騏一郎第35代総理に証拠隠滅をはかり逃げる           
         -16 第三次近衛内閣総辞職           
         -18 ゾルゲ逮捕           
         犬養健(18969-1960 犬養毅の三男)は不起訴----吉田内閣では法務大臣           
         西園寺公一は禁固18か月、執行猶予2年、爵位継承権・相続権剥奪----閣僚級の待遇で中国に移住 
   1942-02:検事の訊問に答えた形式の「獄中供述書」は、その後の見通しをあまりにも正確に予測している           
         尾崎秀実の供述通りに日本は敗戦           
         東亜新秩序社会、実現の為のシナリオを以下のように述べる           
           →大東亜戦争が順調で停戦になると困る           
            拘置所の中から停戦阻止運動を行う           
            各国で共産化革命実施 世界完全計画経済による平和を目指す 
            しかし仲間の共産主義者、陸軍軍人のことは隠す
   1944-10:尾崎秀実検挙----数日後に「大戦を戦い抜くために」の論文発表@雑誌「改造」              
         支那事変は世界戦争、日本人は動揺することなく戦い抜く・・・と煽っている                                 
   1944-11:-7 尾崎秀実、ゾルゲ死刑@巣鴨                                 
   1945-08:敗戦以降の尾崎秀実の扱い                                 
         戦後GHQによる共産党開放 
         当時の共産党員の多くは東京大学の教授となる(ロックフェラー財団の後押し)                                  
         尾崎秀実ゾルゲ事件真相究明会----殉教者として英雄視                                 
           事績・伝記編纂目的だったが、日本共産党の政治局が究明会の活動を阻止  
           阻止はGHQのテコ入れか?               
           異母弟の尾崎秀樹1928-1999は各種関係文献書類を共産党に取り上げられたという  
           東京裁判での被告は日本陸軍であり共産党(扇動)ではない・・・のシナリオ                                 
         近衛文麿及び近衛文隆の毒殺死は証拠隠滅                    
                  
【陸軍中枢に侵入して軍部情報をゾルゲに漏らす】 
        梅津陸軍参謀総長1882-1949
        永田鉄山1884-1935:統制派の中心人物----相沢三郎陸軍中佐に殺害される   
        武藤章 1892-1948:皇道派の陸軍中将----軍を挙げてゾルゲに協力 A級戦犯で死刑
                   →尾崎秀実をゾルゲの指南役に朝日新聞経由で推薦(裏で繋がっているとも知らずに)
            
ゾルゲ事件(ソ連共産党のゾルゲ氏が日本の政治軍事最高機密を探った事件@1941-1942)で処刑     
 リヒャルト・ゾルゲ1895-1944
 以下の記載は「現代史スクープドキュメント」@1991-10-7 BS2放送
 ・ソ連のスパイ ソ連の英雄 父はドイツ人石油技師アドルフ 母はロシア人ニーナ
 ・来日前 ナチス党員(カモフラージュ)
 ・在日ドイツ大使・オイゲン・オットと親交、大使館では秘書役 
 ・1914 WW1参戦
 ・1918 ロシア革命に共感、ドイツ革命参加
 ・1919 ドイツ共産党入党
 ・1924 ソ連コミンテルンに招かれる@モスクワ
 ・1929 赤軍諜報局・国際スパイとなる
 ・1933 独ジャーナリストとして来日@東京麻布
      任務は「日本のソ連に対する攻撃等々に関する調査」 
      ゾルゲからの電報はソ連国防省に保管(ラムゼイ:ゾルゲの暗号名)
 ・1939 3月ドイツ・ベルリンから三国同盟締結の働きかけを大使館に依頼電文
      ゾルゲはそのすべてを掌握、内容をソ連赤軍に打電していた
 ・1939 6月ノモンハン事件
      ・ブランコ・ド・ヴーケリッチ1904-1945:は陸軍情報部の招待でノモンハン戦線視察 
      ・ソ連のスパイ・ゾルゲ諜報団員(他に宮城与徳、尾崎秀実、マックス・クラウゼンら多数)
      ・フランスのアヴァス通信社支局勤務(支局長はロベール・ギラン1908-1998)
        アヴァス通信社は日本の同盟通信社と同じビル(電通銀座ビル)に入居
        同盟通信社所属:松本重治、松方三郎、
      ・情報は通信士マックス・クラウゼンにより暗号化送信toウラジオストク
 ・1939 8月ソ連軍攻撃
                ・独ソ不可侵条約@松岡洋右
      ・12月大東亜戦争
 ・1940 6月ドイツがパリ占領   
      ・7月近衛内閣
      ・9月三国同盟締結@松岡洋右
      ・12月独は80個師団をソ連国境に配置Fromゾルゲunder独ソ不可侵条約   
      ・バルバロッサ計画(独のソ連奇襲)
 ・1941 3月独特使の発言をソ連に打電Fromゾルゲ
      ・4月日ソ中立条約(独の奇襲を察知したソ連は日本と独の挟み撃ちを警戒)
      ・5月バルバロッサ攻撃は6月15日の情報をゾルゲは得るFromベルリンのショル中佐
      ・スターリンはこの情報に懐疑的(電文に懐疑の記載あり)
        ドイツは英仏と戦闘中で、ソ連と戦うはずはない
        独ソ不可侵条約がある
        ソ連はドイツに石油、ゴム、穀物を輸出していた
        かくしてドイツは英からの経済封鎖を心配無用
        二重スパイ情報
      ・ソ連の犠牲者は400万人
      ・ゾルゲは日本の動向(北進有無)を探る(オットー独大使&尾崎秀実(スパイ名インベスト)) 
      ・6月松岡洋右は北進論
      ・尾崎秀実は近衛内閣に影響を与え(@朝飯会)、資源豊富な南に進むべきと。
        →BS2で牛場友彦談:「尾崎秀実の思うつぼだった」 牛場の差し金だろ?
      ・6月23日バルバロッサ作戦開始の翌日 陸海軍首脳部の方針を尾崎秀実は入手
        入手先は朝日新聞・田中慎次郎1900-1993
        尾崎秀実は西園寺公一に問いただし、ゾルゲに報告
      ・7月国策決定@御前会議:南進 仏領インドシナへ侵攻--最高機密
        スターリンにとっては最重要情報 対ドイツ戦:極東ソ連軍を西に配備・20個師団           
        日本軍仏印侵攻           
      ・10月18日 日米交渉失敗→近衛内閣総辞職→東条英機内閣成立
      ・ゾルゲ、宮城与徳、尾崎秀実逮捕    
      ・コミンテルン解散Byスターリン
 ・1964 スターリン批判のなかゾルゲにはソ連英雄の称号が贈られた@ソ連赤軍博物館  
               
                      
    ゾルゲと近しいドイツ人
      在日ドイツ大使(オイゲン・オットー)
      ドイツ通信社総裁、
      ナチス諜報部長 
    ゾルゲと近しい日本人 
      軍人 :陸軍・武藤章中将(A級戦犯処刑)、海軍小林仁中将、山県有光陸軍大佐 西郷従吾陸軍大佐 
      外交官:松岡洋右、東郷茂徳、白鳥敏夫 
      政治家:中野正剛、近衛文麿
    諜報活動目的   
      対ソ政策、
      軍備動向、
      日独関係の諜報@1933~ 
    ナチス党員@1934-10月 
    機密情報を得る目的で尾崎秀実を任に充てる     
    日独伊三国同盟@1940の後はより多くの機密情報を得る 
    膨大な尋問調書によって昭和研究会メンバとの親密性はうかがえるが、 
    近衛文麿は「尾崎をほとんど知らない」と言っている----不可解      

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【日本の疲弊-71】昭和研究会 : 近衛文麿のシンクタンク・会員の多くは共産主義者

2024年04月08日 | 明治維新以降

昭和研究会@1933
  →近衛文麿のシンクタンク
   20%は朝日新聞関係者 
   共産主義者----ナショナリズム(平沼騏一郎第35代総理)からは批判される
   井川忠雄1893-1947(近衛文麿と懇意 昭和研究会初期メンバ 大蔵官僚 日米交渉) 
   蠟山政道1895-1980(近衛文麿と懇意 昭和研究会設立メンバ GHQより公職追放 お茶の水女子大名誉教授)
   有沢広巳1896-1988(陸軍の研究機関・秋丸機関所属 吉田茂のブレーン 東大名誉教授)
   朝日新聞、NHKと連携
   1940年解散

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【日本の疲弊-70】太平洋問題調査会IPR : 超共産主義者による研究機関

2024年04月08日 | 明治維新以降

太平洋問題調査会IPR@1925~純粋な平和裏な問題解決調査で始まる:初期メンバは新渡戸稲造1862-1933
 Insutitute of Pacific Relations

 主な会員
  オーエン・ラティモア1900-1989:1933に加入、中心的人物、蔣介石顧問 
  トーマス・ビッソン 
  ハーバート・ノーマン1909-1957:GHQ-天皇通訳 近衛文麿をA級戦犯指定 赤狩りで疑惑
  ギューン・シュタイン
 
 日本IPR理事には以下がいる
  渋沢栄一 1840-1931
  坂谷芳郎 1863-1941:曾孫は橋本龍太郎(第82代総理 不審死)の妻
  澤柳政太郎1865-1927:文部官僚
  高木八尺 1889-1984:戦争回避のため近衛文麿-ルーズベルト会談に尽力
  斉藤惣一 1886-1960:開戦前後に日中、日米関係改善に尽力
 ロックフェラー財団が寄付      
  →1925:ホノルル会議
   1927:ホノルル会議
   1929:京都会議 ---ロックフェラー3世1906-1978ソ連訪問
             ロックフェラー財団のシンクタンク
             日本展開催

   1931:上海会議
   1933:バンフ会議
   1933:オーウェン・ラティモアが中心的存在:超共産主義者
        →ハルノートの作成の仕掛け人
           →作成はハリー・ホワイト1892-1948----財務次官補ユダヤ人、ソ連のスパイ
   1934: IPR機関誌『パシフィック・アフェアーズ』の責任編集
   1936:ヨセミテ会議@カリフォルニア州ヨセミテ国立公園
       松本重治 1899-1989:母は松本正義(第6代総理)の四女
                   後輩:白洲次郎
                   同期:牛場友彦、尾崎秀実
                   先輩:蠟山政道 
       牛場友彦 1901-1993:近衛文麿の側近・秘書官 朝飯会発足
       西園寺公一1906-1993:西園寺公望第12代総理の孫 共産主義者
       尾崎秀実 1901-1944:ソ連のスパイ、朝日新聞記者、近衛内閣嘱託
       近衛文隆 1915-1956:近衛文麿の長男 陸軍中尉 ソ連により毒殺
       ソ連参加
   1941:蒋介石の顧問   

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【日本の疲弊-69】近衛文麿 : 国際金融資本&共産主義者達

2024年04月08日 | 明治維新以降

【近衛文麿1891-1945】----(第34、38、39代総理)

    

・後陽成天皇1571-1617
   ┣後水尾天皇--□--□--昭和天皇--明仁上皇1933- 
   ┗近衛信尋 --□--□--近衛篤麿 
  ┏━━━━━━━━━━━┛
 近衛文麿1891-1945:服毒自殺?
  ┃【近衛文麿の歴史年表】
  ┃・五摂家 近衛家第30代当主
  ┃・1912:東大文学部哲学科に進み、後に川上肇(京大の共産主義者、資本論に傾倒、逮捕、投獄)に学ぶ
  ┃・1913:京都では西園寺家(近衛家より格下)と懇意
  ┃・1919:パリ講和会議では西園寺公望に随行
  ┃
  ┃・太平洋問題調査会IPR@1925 
  ┃ Insutitute of Pacific Relations
  ┃ ~純粋な平和裏な問題解決調査で始まる:初期メンバは新渡戸稲造1862-1933
  ┃ FBIによる潜入捜査記録ではロックフェラー財団による支援で反米と断定
  ┃ 戦後の日本の行方を検討する会であると知り(騙された日本)多くが離散
  ┃ 戦争中(日本は不参加)には日本のグローバリズム化を各国は検討
  ┃  井上準之助      1869-1932:理事長、日銀総裁、大蔵大臣、血盟団事件で暗殺死
  ┃  渋沢栄一       1840-1931:理事
  ┃  オーウェン・ラティモア1900-1989:共産主義者、ソ連のスパイ、戦後は赤狩りの標的
  ┃  ハーバート・ノーマン 1909-1957:共産主義者、GHQ通訳、赤狩り旋風--ソ連のスパイ嫌疑で自殺
  ┃  鶴見祐輔       1885-1973:明政会(新自由主義)を結成
  ┃  牛場友彦       1901-1993:金融資本系 近衛内閣秘書官 東大-オックスフォード大学
  ┃  西園寺公一      1906-1993:共産主義者 ゾルゲ事件に連座して逮捕
  ┃  尾崎秀実       1901-1944:共産主義者、朝日新聞、ゾルゲ事件に連座して逮捕・処刑
  ┃
  ┃・東京政治経済研究所設立@1930(近衛のシンクタンク)
  
  ┃  蝋山政道       1895-1980:共産主義者 昭和研究会設立構想 
  ┃  松本重治       1899-1989:共産主義者、金融資本系 里見甫(アヘン取引王)の部下 
  ┃  嘉治隆一       1896-1978:朝日新聞副主筆、満鉄、柳田國男と交流
  ┃  松方三郎       1899-1973:松方正義総理の子、満鉄、同盟通信社(1945解散)
  ┃
  ┃・昭和研究会@1933(近衛のシンクタンク) 
  ┃ 東亜協同体論や新体制運動促進などを主張 
  ┃ 20%は朝日新聞関係者
  ┃ 近衛文麿の議論ではなく、日本のあるべき制作を研究すべきと主張By関口泰 
  ┃ 政治家・官僚・右翼から「アカ」などの批判・攻撃受ける
  ┃  井川忠雄       1893-1947:大蔵官僚 日米交渉
  ┃  蠟山政道       1895-1980:お茶の水女子大名誉教授、設立メンバ
  ┃  有沢広巳       1896-1988:東大名誉教授、陸軍の研究機関・秋丸機関所属、吉田茂のブレーン
  ┃  風見章        1886-1961:近衛内閣秘書官長、戦後公職追放ByGHQ、尾崎秀実を尊敬、風見章日記、近衛内閣回顧録  
  ┃  笠信太郎       1900-1967:朝日新聞常務取締役論説主幹、CIA協力者、中心メンバー
  ┃  佐々弘雄       1897-1947:「赤化教師」として大学を追放、近衛の秘書、尾崎交遊メモ焼却、朝日新聞社副主筆 
  ┃  
  ┃
  ┃・朝飯会@首相官邸 : (近衛のシンクタンク)近衛新体制運動の推進者 
  ┃  牛場友彦       1901-1993:主催、金融資本系 近衛内閣秘書官
  ┃  尾崎秀実       1901-1944:主催、朝日新聞、共産主義者 ゾルゲ事件に連座して逮捕・処刑
  ┃  岸道三        1899-1962:主催、近衛内閣秘書官、日本道路公団初代総裁  
  ┃  風見章        1886-1961:共産主義者、近衛内閣秘書官長、「支那問題研究会」を発足
  ┃  西園寺公一      1906-1993:共産主義者 ゾルゲ事件
  ┃  松本重治       1899-1989:共産主義者、金融資本系 里見甫(アヘン取引王)の部下
  ┃  松方三郎       1899-1973:松方正義総理の子、満鉄、同盟通信社
  ┃  白洲次郎       1902-1985:吉田茂のブレーン
  ┃  佐々弘雄       1897-1947:「赤化教師」として大学を追放、近衛の秘書、尾崎交遊メモ焼却、朝日新聞社副主筆
  ┃  細川嘉六       1888-1962:尾崎秀実と「中国問題研究会」を発足、「共産党シンパ事件」で検挙
  ┃  平貞蔵        1894-1978:佐々弘雄と昭和塾設立、支那問題研究会に参加
  ┃  松方三郎       1899-1973:松方正義総理の子、満鉄、同盟通信社(1945解散)
  ┃  松本重治       1899-1989:金融資本系 里見甫(アヘン取引王)の部下 
  ┃  笠信太郎       1900-1967:朝日新聞常務取締役論説主幹、CIA協力者
  ┃  蠟山政道       1895-1980:お茶の水女子大名誉教授、設立メンバ
  ┃  犬養健        1896-1960:近衛内閣逓信参与官、犬養毅の三男、ゾルゲ事件容疑で拘引、公職追放
  ┃
  ┃・1934:訪米----ルーズベルト、ハルと会見 タカ派発言@記者会見
  ┃        蝋山政道(秋丸機関の研究リーダー)と共に渡米     
  ┃・1936:226事件で退任した岡田啓介の後任に推挙されるが断る(近衛は皇道派)
  ┃     NHK総裁--------ラジオ放送の中央集権化 死ぬまで 
  ┃            NHK,朝日新聞を利用して反米を煽る@1936以降
  ┃・1937:第一次近衛内閣を組織 風見章が内閣書記長官
  ┃・1938:陽明文庫建設 : 近衛家伝来の古文書収蔵(御堂関白記など約10万点)
  ┃・
  ┃・1940:7月荻窪会談@近衛文麿の自宅(戦争路線の方針決定、日独伊枢軸の強化、日ソ不可侵協定の締結を相談) 
  ┃・1940:7月第二次近衛内閣を組織 風見章が司法大臣
  ┃     【基本国策要綱】
  ┃     ・支那事変完遂(尾崎秀実推進)
  ┃     ・国防国家体制(共産主義志向、金融社会主義@ウオール街) 
  ┃     ・新体制運動(風見章、尾崎秀実)----解党運動、無政党時代となる
  ┃     ・新国民組織(大政翼賛会:公益のみを目的とする結社:風見章が主導)
  ┃     ・国家主義、全体主義、贅沢は敵
  ┃     ・鳩山一郎1883-1959第52代総理は近衛内閣を否定(近衛は国を亡ぼすぞ)
  ┃     ・西園寺公望はこの動きを嘆いて死亡@1940-11月
  ┃・1940:9月日独伊三国軍事同盟
  ┃     【当時の西欧背景】
  ┃     ・ドイツが西欧席巻で東南アジア植民地はがら空き状態
  ┃     ・ゆえに武力で石油奪取は容易
  ┃     ・米内光政、永野修身反対せず    :中立のアメリカを怒らせたくない
  ┃     ・しかし山本五十六は真珠湾奇襲を望む:中立のアメリカを怒らせることになる
  ┃・1941:6月独ソ戦
  ┃     ・松岡洋右外相は北進論
  ┃     ・近衛派は南進論→実現→日米対決 
  ┃・1941:9月御前会議
  ┃     ・戦争突入論
  ┃・1941:10月東条英機内閣
  ┃     【当時の日本の背景】
  ┃     ・東条英機 :和平派
  ┃     ・議員、民間:打倒アメリカ(朝日新聞、NHKに煽られている)
  ┃     ・近衛山本談:日本は悲惨な敗北を実感するだろう
  ┃     ・近衛文麿 :戦後に向けて平和主義者としての準備を行う(著書発行、側近も驚愕)
  ┃           『平和への努力 : 近衞文麿手記』@1946
  ┃           『近衛日記』@1968----風見章&白洲次郎と豪遊三昧を記す
  ┃     ・風見章日記:近衛の裏切りを知らずに?
  ┃            近衛文麿中心で(ソ連との)講和政権構築論@1945-8
  ┃・1943頃:自分は騙されただけだと主張(主犯は木戸、高松宮、海軍大将、平沼騏一郎などと・・・)
  ┃      ソ連参加の共産主義者が軍部(統制派)を焚きつけ、軍部は暴走したと各地に発信
  ┃・1945:2月「近衛上奏文」
  ┃     ・天皇に上奏:早期戦争集結を進言 共産化防止   
  ┃     ・陸海軍の首脳部を批判(軍部を逮捕失脚させるべき)→昭和天皇は実行せず
  ┃     ・敗戦後の裁判で近衛無罪の目論見があったのか? 
  ┃     ・12月16日自殺@萩外荘
  ┃     ・12月20日「日米交渉について(近衛文麿の平和論)」:朝日新聞で連載
  ┃・1945:8月 GHQ上陸 戦後レジウム
  ┃     ・王立国際問題研究所(国際金融資本のシンクタンク)は日本の占領政策を報告@1945-2
  ┃     ・戦後日本は、この報告書通りに新自由主義化すると推測
  ┃     ・その後、ナショナリズムの勃興を危険視している
  ┃     ・これを見抜いた三島由紀夫は日本を嘆いた
  ┃    【現在の日本】
  ┃     ・国家・国民に主権が無い
  ┃     ・安全保障、経済政策、社会政策に主権はない(米による年次改革要望書の通りに動く日本)
 
  ┃     ・北方領土問題未解決
  ┃      理由:ソ連による侵攻はアメリカの後ろ盾によるもの:150隻もの船を貸与
  ┃         米海軍の歴史にある

  ┣文隆1915-1956:イヴァノヴォ収容所で死去  
  ┃  ┗東隆明1944-:作家、脚本家、演出家、作詞家、俳優
  ┃ 
  ┣温子1918-1940  
  ┃      ┣細川護熙1938-:朝日新聞→第79代総理
 近衛千代子  細川護貞1912-2005
  
   

    



白洲次郎1902-1985は近衛のブレーン、ロックフェラー系国際金融資本
  →
吉田茂1878-1967と共にジャーディン・マセソン商会の駒
                →ウイリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンの親戚が設立
                 
前身は東インド会社(Byユダヤ系大富豪コーエン家)
                 
アヘン密貿易商
                 長崎支店長がトーマス・グラバー1838-1911
                 横浜支店長が吉田茂の父・吉田健三1849-1889
                 現在でも影響力絶大:セブンイレブン、ピザハット、KFC、イケア、スタバ
                
   妻は正子(貴族院・樺山愛輔1865-1953の娘) 
   妻は西園寺公一1906-1993の友
      →西園寺公望1849-1940の孫(第12,14代総理 失脚@1937)
       近衛ブレーン
       共産主義者
       ゾルゲ事件で逮捕----処刑は免れた
       戦後は中国に家族で移住
       文化大革命を礼賛
・ジョン・ケズウイックと懇意
      →ユダヤ系ハンブローズ銀行会長
・尾崎秀実1901-1944は友
      →近衛ブレーン
       昭和研究会の中心人物
       朝飯会の中心人物
       首相官邸に席を持つ
       ソ連のスパイ 
       昭和熟で若者に人気----ナショナリズムと称する
       共産主義者----東大大学院の助教授が共産主義者
            
  
     ゾルゲ事件(ソ連共産党のゾルゲ氏が日本の政治軍事最高機密を探った事件@1941-1942)で処刑 
          →ゾルゲ1895-1944:ソ連のスパイ ソ連の英雄 母はロシア人 
           対ソ政策、軍備動向、日独関係の諜報@1933~ 
           ナチス党員@1934-10月 
           機密情報を得る目的で尾崎秀実を任に充てる 
           情報源----山県有光:陸軍大佐 西郷従吾:陸軍大佐 武藤章:陸軍中将(A級戦犯処刑) 
           日独伊三国同盟@1940の後はより多くの機密情報を得る 
           膨大な尋問調書によって昭和研究会メンバとの親密性はうかがえるが、 
           近衛文麿は「尾崎をほとんど知らない」と言っている----不可解      
           
・風見章1886-1961は友
      →朝日新聞出身 
       信濃毎日新聞時代に「資本論」を執筆@1927-1928----共産党宣言→近衛文麿が賛同 
       庶民派の議員から一躍抜擢
       支那問題研究会委員長(尾崎秀実を引っ張る)----対中政策立案
       近衛内閣の書記官長(官房長官より権限上)、 
       第二次近衛内閣では司法大臣(憲法などは知らないと発言) 
       独裁政党創設を依頼される By近衛文麿
       共産主義者(隠していたが・・・)
       ゾルゲ事件で証人尋問
       「風見章日記」を残す
          →支那事変拡大
           日本での革命志向
           石原莞爾への誹謗
           独裁体制志向
・松本重治1899-1989
      →ジャーナリスト
       共産主義者
       近衛文麿の協力者
       母は総理松方正義1835-1924(第6代首相)の娘 
       ロックフェラー財団の中心人物@日本
       一高時代の同期----牛場友彦(近衛の側近)、岡崎嘉平太(ANA社長)、尾崎秀実(ソ連スパイ))
       本業では里見甫1896-1965を手伝い満州国通信社(国通)の設立に貢献
            →ジャーナリスト、実業家
             関東軍と結託してアヘン取引組織創設@1939(里見機関 三井物産の下)
             アヘン王         
             関東軍は極秘に満州産アヘンを生産         
             膨大な利益は関東軍の戦費          
             汪兆銘の南京国民政府にも出費         
             アヘン活動を通して笹川良一、児玉誉士夫との人脈形成         
             満州鉄道、中華航空の顧問@1943        
             A級戦犯容疑で逮捕--巣鴨入所--東京裁判で証言--釈放

・牛場友彦1901-1993は近衛のブレーン
  →近衛内閣秘書官
   朝飯会を発足(近衛内閣の政策研究会:会員には共産主義者多数)
   尾崎秀実を近衛文麿に紹介
   牛場3兄弟
     →牛場信彦1909-1984----外務事務次官:ロックフェラー財団との関係深い
      牛場大蔵1913-2003----慶応大学医学部教授

コメント

【日本の疲弊-68】ロックフェラー家 : 世界を制覇:共産主義政権への多大な寄付の目的は何?

2024年04月08日 | 明治維新以降

【ロックフェラー】
・ドイツ南西部ロッケンフェルト出身の一族
  ・プロテスタント(バブテスト)
  ・1720年代に北米移住
  ・ユダヤ人・スファラディ―ではない
  ・麻生家との親交は半世紀以上
   
ロスチャイルド家との比較■
ロックフェラー家  VS  ロスチャイルド家 
・スターリンを援助    レーニン&トロツキーを援助
 ユダヤ人を粛清
・            明治政府の資金源(英ロス)
              長州人はロスチャの代理人
              松方正義(元総理、日銀創設)と親交
・            江戸幕府の資金源(仏ロス)    
・             日露戦争の資金源(英ロス)
              高橋是清(日銀総裁)はユダヤ人担当
              井上準之助はWASP担当  
・独ナチスを支持     英チャーチル(番頭)を支持
 ユダヤ人を粛清        
・米エクソン石油     英仏シェル石油
  スタンダード石油    ブリティッシュ石油(BP)
  日本に石油調達@WW2    
      
・毛沢東支持       蒋介石&宋姉妹を支持
・戦後          戦後の日本復興支援
  三菱財閥と親交     三井財閥と親交
  戦後の財閥で無傷    財閥解体で資産激減
  昭和期に急成長     中共国交樹立支援
                                         (佐藤栄作、田中角栄)
・清話会を支持       宏池会を支持 
  岸信介 福田赳夫                    吉田茂 池田勇人
  小泉純一郎 安倍晋三             宮澤喜一 岸田文雄
・米情勢
 共和党        民主党
  保守         リベラル
  反移民派       移民派
  (本来の米奪取)   (移民票集め)
  反戦争・和平外交   戦争で金儲け
 (反ディープステート)(ディープステート:戦争ビジネス)   
  WASPユダヤ人が支持  多くの米ユダヤ人が支持
 (英系プロテスタント)
  好景気        不景気
  クーリッジ政権    ルーズベルト政権
  (移民迫害)     (ニューディール)
  アイゼンハワー政権  トルーマン政権
  (ベトナム戦争)   (朝鮮戦争)
             ケネディ政権
             (暗殺)
  ブッシュ政権     クリントン政権
  (湾岸、イラク戦争) (オスロ合意)  
  トランプ政権     バイデン政権
  (暗殺未遂)     (企業癒着)
  (米基地撤廃)
  (日本独立to安倍元総理)
  (米2兆$削減)
    JPモルガン
             (ロスチャイルド代理人)  
       
・環境                
  地球温暖化無関係   地球温暖化(ロックフェラー潰し)
             SDGs                
             ウラン&プルトニウム制覇    
  
ジョン・D・ロックフェラー1世1839-1937
  ・父親は偽医者:苗字を変えながら偽薬を売って各地を転々とする
  ・プロテスタント
  ・ユダヤ人ではないようだが、ロスチャイルド家的な思考
  ・石油王:南北戦争1861-1865後に石油が発見
  ・1870 スタンダード社設立:個人資産額27兆円
  ・1882 石油流通に目を向ける(世界の70%):精製工場、鉄道独占、タンカー、パイプライン投資
  ・1890 シカゴ大学設立:シカゴ学派、核分裂反応実験
  ・1897 2世に移譲
  ・1897 マッキンリー第25代大統領:金本位制制定 ⇔ ブライアン:金の十字架演説で有名
       ロックフェラー財団の後ろ盾で勝利 
        
・ジョン・D・ロックフェラー2世1874-1960 
  ・統一キリスト教提案
  ・1901 マッキンリー大統領暗殺事件
  ・1901 ロックフェラー医学研究所設立
        ----野口英世1876-1928部長:朝日新聞の広報 近年多くの業績が否定された
  ・1903 一般教育財団設立(対黒人----民主党の票)
  ・1907 政府はトラスト法違反でスタンダード社を提訴@セオドア・ルーズベルト第26代大統領
  ・1907 ロックフェラー衛生委員会設立→WHO ビルゲイツ財団は傘下 疫病撲滅活動  
  ・1911 スタンダード社分割
  ・1913 ロックフェラー財団設立 :公益性を持って無税・非課税
        初代会長はロックフェラー2世
        本部はニューヨーク
        世界最大の民間助成財団
        NGO,NPO
        チフス対策のDDT散布方式発明、黄熱病撲滅
        コロナ研究
        ロックフェラー財団の主な寄付先
          ・外交問題評議会   :トランプ氏の言うディープステート----米国の全ての高官を輩出、外交政策を立案する
          ・王立国際問題研究所 :ロスチャイルド系のシンクタンク
          ・太平洋問題調査会IPR:ソ連のスパイ、共産主義者による反日、親中活動機関
                      日本IPR理事には以下がいる
                      渋沢栄一 1840-1931
                      坂谷芳郎 1863-1941:曾孫は橋本龍太郎(第82代総理 不審死)の妻
                      澤柳政太郎1865-1927:文部官僚
                      高木八尺 1889-1984:戦争回避のため近衛文麿-ルーズベルト会談に尽力
                      斉藤惣一 1886-1960:開戦前後に日中、日米関係改善に尽力
          ・ブルッキングス研究所:民主党のシンクタンク
          ・世界銀行      :ブレトンウッズ体制@1945----1$360円 崩壊は1971@ニクソン大統領
                       →ソ連のスパイ・ホワイト(ハルノート創案者)が創設
          ・ハーバード大学   :共産主義の養成機関----ルーズベルト政権@1933の閣僚多数
          ・エール大学     :秘密結社:スカル&ボーンズ
                       →ラッセル兄妹創始@1832
                        ラッセル商会:拠点は上海 アヘン貿易
          ・オックスフォード大学図書館
          ・東京大学図書館   :共産主義者多数輩出
          ・人口問題評議会   :人口削減計画
          ・モンサント     :多国籍のバイオ科学メーカ 遺伝子組み換え種子シェア90% 除草剤メーカ
        
  ・1913 FRB(連邦準備制度)設立@ウイルソン第28代大統領 
        実質株主はロスチャイルド家、ロックフェラー家
        第28代ウイルソン大統領:民間の銀行は作らないが公約だったが・・・無視
        第37代ニクソン大統領 :台湾を消す→保守の仕事ではない
        第40代レーガン大統領 :保守主義者ではなかった
  ・1914 中国医療財団設立:辛亥革命で中華民国誕生直後
  ・1918 ジョンズ・ホプキンス大学内に公衆衛生保健学校を設置      
  ・1921 北京連合医科大学創設、開校
        宣教師派遣 300以上の病院に資金援助、
        医学教育徹底
        医療伝伝道事業を一強化
        農業改革
        揚子江経済開発
        明朝陵墓の修復
        目的は中国市場なのに、中国に進出してきた日本は邪魔
   ・1931 満州事変
   ・1932 満州国建国
        
・以下のエリートが米を動かすシナリオ作成 演者はルーズベルト、チャーチル
   ・バーナード・バルーク1870-1965 ユダヤ系USA官僚、政治家、投資家 戦争は公共事業である
   ・ポール・ウオーバーグ1868-1932 ユダヤ系投資銀行家
   ・ヘンリー・スティムソン1867-1950 陸軍長官、国務長官、原爆製造使用決断 
   ・エドワード・ハウス大佐1858-1938 ウイルソン大統領顧問


・ジョン・D・ロックフェラー3世1906-1978
   ・日本文化愛好家
   ・中村天風1876-1968(思想家、大日本帝国陸軍諜報員)と親交
   
・ジョン・D・ロックフェラー4世1937-
   ・ICU(国際基督教大学)で三年間学ぶ
   ・米上院議員 民主党
   ・麻生太郎と会談

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【日本の疲弊-67】ジャーディン・マセソン商会 & 吉田茂 アヘン貿易で財を成した健三は吉田茂の父

2024年04月08日 | 明治維新以降

【ジャーディン・マセソン商会】
   ・ウイリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンの親戚が設立
   ・ウイリアム・シャーディンの姪の子がケズウィック家の創始者
   ・
前身は東インド会社(By ユダヤ系大富豪コーエン家)
   ・アヘン密輸貿易商社
   ・カール・マルクスの曾祖父が英ユダヤ系大富豪コーエン家
   ・平戸に商館を設置
   ・長崎に商館を設置:トーマス・グラバー1838-1911が支店長
   ・横浜に商館を設置:吉田健三1849-1889が支店長
     現在でも影響力は絶大で以下が関連企業

       マンダリンホテル
       セブンイレブン
       ピザハット
       ケンタッキー・フライド・チキン
       イケア
       スターバックス

1859 トーマス・ブレーク・グラバー1838-1911は上海(共同租界)へ行きジャーディン・マセソン商会入社

1859 横浜にマセソン商会横浜支店(英一番館と呼ばれた)開設     
    元首相・吉田茂の養父・吉田健三1849-1889が支店長就任@1868
  【吉田茂1878-1967とは】 
    ・実父  :竹内綱(旧土佐藩士)
    ・義祖父 :大久保利通
    ・孫   :麻生太郎、寛仁親王妃信子
    ・1890 :現在の数十億円ともいわれる遺産を相続
    ・1907 :東京帝国大学を卒業、外務省 
          ・広田弘毅1878-1948は同期(第32代総理、A級戦犯で死刑)
          ・牧野伸顕(大久保利通の子、外務大臣)の娘・雪子と結婚
    ・1919 :パリ講和会議@1919随行
    ・1936 :近衛文麿とともに広田弘毅を総理に推す
    ・1945 :近衛上奏文漏洩で逮捕   
    ・1945:8-14【ポツダム宣言』     
    ・1945:9-02【ポツダム宣言受諾調印@ミズーリ】
         ・日本に責任ある政府ができた場合、占領軍は速やかに撤退
         ・日本の主権は奪われない
          ところがGHQ,マッカーサーは軍政を敷くと通告@1945-9-3
          その意味は①日本政府(司法立法行政)解体して軍が統治 ②公用語は英語 ③日本円廃止 ④逆らったら懲罰
        【重光葵外相1887-1957】
         ・ポツダム宣言違反!道義にも反すると批判
         ・これによりマッカーサーは理解し応じたが、ソ連は応じず
         ・重光葵は東京裁判前日に逮捕、巣鴨プリズンに収監される(『巣鴨日記』を残す)
         ・完全な植民地化、民族性喪失は免れたもののGHQにとっては邪魔な存在
         ・一方、米にとって吉田茂路線は言いなり(吉田ドクトリン)、だから長期政権であった
        【占領書記のGHQ方針】
         ・日本の弱体化
         ・共産主義勢力との闘いが課題
         ・朝鮮半島でのソ連との闘いが不可避
         ・かくして日本を自立させる方針に転換

    ・1946 :総理就任
    ・1950:6【ダレス国務長官が日本に対して再武装再軍備を要求】
         ・共産主義に勝のが目的
         ・吉田茂は再軍備拒否、アメリカ軍駐留を希望----ダレスは驚愕と後に述懐している
         【朝鮮戦争勃発@1950-6】 : 米VSソ連  
         ・日本は朝鮮特需で景気上昇する
         ・吉田茂はダレス案:再軍備を承諾----5万人規模の軍隊を約束しながら無視

    ・1951  鳩山グループとの抗争や度重なる汚職事件を経て、支持は下落
    ・1952:4-19【サンフランシスコ講和条約調印】
         ・日本の独立を約束:連合軍兵は撤退
         ・つまり米兵は撤退する(朝鮮戦争目的)
         ・ところが、吉田茂が米兵駐留を継続要望・依頼(ソ連の脅威)
        【旧日米安保条約@1951】 
         ・吉田茂と池田勇は独断で極秘調印
         ・これは米軍の無期限日本駐留依頼(公には誰も知らない)
          →米兵駐留を継続(好きな場所に・・・)
         ・英軍は撤退
         ・米軍は対米反乱軍を征圧可能(キッシンジャー発言@北京)
         ・武器弾薬の管理は米軍:反乱を起こせない
         ・治外法権
         ・内閣支持率は戦後最高の58%@朝日新聞
        【吉田茂は米と果敢に渡り合って日本に主権を取り戻したのか】By山岡鉄秀
         ・吉田茂は英語が出来ない=渡り合えない
         ・復興繁栄に寄与した  =虚構・嘘 
         ・何故そう云われたのか =日本統治するのに便利 
         
    ・1954:6【自衛隊結成】
         ・ダレス国務長官の要望でとうとう結成@吉田5次内閣
         ・米兵駐留は継続(ソ連の脅威)By吉田茂
         ・GHQは軍隊結成を望むが、吉田は警察予備隊とする
         ・法律的には警察 : 今の矛盾はすべて吉田茂の判断が原因
         ・集団的自衛権は持っているが集団的自衛権の行使は不可 : 意味不明
         ・鳩山内閣@1954-12
         ・石橋内閣@1956-12
         ・岸内閣 @1957-02

    ・1954:【造船疑惑】
         ・
贈収賄事件----総理退任
         ・引退後も自邸には政治家が出入りし、「大長老」と呼ばれ、政界の実力者として影響力を持つ
    ・1957:【『回想十年』を執筆】
           ・ハウス大佐(ウオール街の代理人、米中央銀行制度FRS設立、国際連盟設立)の忠言
           ・日本は敗戦後グローバリズムの傘下となった
           ・訪米して最初の訪問先はロックフェラー邸
           ・チャーチル、アイゼンハワー、マッカーサーからの令状を披露
           ・近衛は「天皇の戦争責任を負うべき」と言っていた@書記官長記載
           ・陛下自決により皇室は救われるとの発言あり@この記載は出版されているらしい
    ・1960:1-19【日米安保条約】
         ・新安保条約とも言う:旧日米安保条約の改定調印By岸信介総理
         ・米軍駐留期限は10年:米軍の駐留継続を承認
         ・そもそも吉田茂の米軍駐留希望継続に対して野党は猛烈に反対
         ・自民党の強硬裁決は、条約違反であり「安保闘争:条約破棄運動」を招
         ・採決を巡る大規模なデモ隊が国会周辺で吹き荒れ、三島はそれを記者クラブのバルコニーから眺めている
        【日米地位協定】
         ・旧日米安保協定の詳細(行政協定)を引き継ぐ
         ・米軍の取り扱い
         ・基地の範囲
         ・野坂参三1892-1993:自衛戦争は否定できない
         ・吉田茂 :自衛戦争を肯定することは戦争を誘発する
         ・日米合同委員会 : 米軍トップ&日本の官僚 
                  
    ・1970:【期限の10年後】
         ・6月、再び「安保闘争」が起きる:条約破棄されなかったから当然の結果
         【三島由紀夫自殺迄の動き】
         ・7月、『武士道と軍国主義』『正規軍と不正規軍』という防衛に関する文書を政府へ「建白書」として託す
             中曽根に阻止されて閣僚会議に提出されずに葬られた
         ・9月、評論『革命哲学としての陽明学』を発表
         ・11月25日、三島東部方面総監部の総監室を「楯の会4名」と共に籠城
         ・自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自殺
         ・この日は吉田松陰が刑死した日
         

    ・近年 :【松下政経塾で語られること】
         ・吉田茂晩年の談を引用して語られる
         ・戦後の日本に起きたことは明治の日本においておこったことの再現と語る                 
         ・明治の日本において始められたことの完成であったと。
         ・戦後の日本人は敗戦と占領を、民主主義と経済発展と捉えたという。
         

            

1867 グラバー商会(ジャーディン・マセソン商会長崎支店)設立
    ・幕府・西南雄藩に艦船・武器を供給
    ・長州ファイブの英留学手配
    ・神戸・大阪・函館にも支店開設
    ・幕末の夜明けは英仏のロスチャイルド家の指南を受けて行われた
    ・因みに戊辰戦争、西南戦争の武器はすべてジャーディン・マセソン商会が手配(米南北戦争で使用されたもの)

1868 吉田健三1849-1889がマセソン商会横浜支店長就任
    ・ウイリアム・ケズウイックの英軍艦で密航

    ・自由民権運動を支持(板垣退助、後藤象二郎、竹内綱(旧土佐藩士 吉田茂の実父)などを支援)
    ・明治新政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績
    ・吉田健三が40歳で急死(病死は疑わしい)したとき吉田茂は約50万円の個人遺産を相続した
    ・企業物価指数から当時の50万円は、いまの20億円(約4000倍) → アヘン利権、戦争利権の温床

大久保利通1830-1878:暗殺
  ┣大久保利和1859-1945(岩倉使節団 日本鉄道創設)
  ┣牧野伸顕 1861-1949(岩倉使節団 外務大臣)
  ┃ ┣牧野伸通1891-1956
  ┃ ┃ 1907農商務大臣
  ┃ ┃ 1913外務大臣
  ┃ ┃ 1919パリ講和条約大使(随行員に近衛文麿)
  ┃ ┃ 1925内大臣
  ┃ ┃ 1932暗殺未遂@515事件
  ┃ ┃ 1936暗殺未遂@226事件
  ┃ ┃ 1945GHQ評価高@リベラル
  ┃ ┃ 
  ┃ ┃ 

  ┃ ┣雪子1889-1941 
  ┃ 峰子  ┣健一(作家)
  ┃     ┣和子1915-1996
満寿子1840- 78 ┃ ┣麻生太郎1940-(第92代総理)
        ┃ ┃ ┣彩子
        ┃ ┃千賀子1950-(父:鈴木善幸第70代総理)
        ┃ ┣信子1955-
        ┃ ┃ ┣彬子女王1981-
        ┃ ┃ ┣瑤子女王1983-
        ┃ ┃寛仁親王1946-2012
        ┃ ┃(父は三笠宮崇仁親王、祖父は大正天皇)
        ┃麻生太賀吉1911-1980(麻生セメント会長:父・太吉は九州炭鉱王)
   士子   ┃ 
    ┣吉田茂1878-1967(養子:父は竹内綱(板垣退助の腹心)母は妾)
   吉田健三            ┣
(マセソン商会横浜支店長) 喜代1904-2003(芸者)
 ユダヤ系資本

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福祉に尽力した渋沢栄一

2020年03月29日 | 明治維新以降

 20年ごとに見直される紙幣、2025年の新紙幣10000円に選ばれたのは渋沢栄一。彼は日本資本主義の父と呼ばれた人物である。そんな渋沢栄一が近年企業の中間管理職から脚光を浴びているという。経済人以外に社会福祉事業の創始者という一面を持つ。貧しい人々の救済のために奔走したが、貧民は経済発展の邪魔になるという批判の中で苦労した。1867年渋沢栄一は徳川昭武を中心とするパリ万国博の使節団員としてパリへ赴いたのは28歳の時であった。武蔵の豪農の出であったが才覚を買われていたのである。到着したパリは大いなる経済発展を遂げており、その発展の源泉をパリで出会った銀行家から学んだという。フリュリ・エラーるは渋沢を銀行や株式取引所に案内し資本主義のシステムを教えた。人々から集めた金を投資にあてて、儲けた利益を人々に還元する仕組みを使えば巨額の資金を調達できるというフランス発展の原動力を学んだ。かくして渋沢栄一はこのシステムを日本で作ろうと決意した。

 この頃日本では鳥羽伏見の戦いが勃発、これに勝利した薩長が中心となって明治政府が樹立。帰国した渋沢栄一は明治六年、民間人の立場で、銀行を設立する。明治五年鉄道が開設し、東京は大きく変貌しようとしていたが、一方で取り残された不労者が街にあふれていた。当時の東京の人口は50万人、その60%以上が貧民だったのである。渋沢はこの状況を改善しなければと考えたのである。当時の東京府知事・大久保一翁から七分積金の運用依頼を受ける。これは松平定信の寛政の改革で行われた政策の一つで、町内会の積立金の七分に相当する米を徴収し備蓄し、災害時にこの米をお救い米として放出するものである。この引き継ぎ米が170万両。これを貧しい人の為に使うべく東京養育院(病人、浮浪者を閉じ込めていた施設)の改革に精力を注いだ。近代的な設備を設置、職業訓練所としての技術を学ばせた。

 この頃、岩崎弥太郎は海運業を独占し権勢を振っていたが、渋沢の手腕を見込んで実業界の独占繁栄を持ちかけた。ところが渋沢は独占事業という私利私欲に真っ向から反対したのである。また、税金を使っての養育院の運営は中止という決断に迫られていた。惰眠増加の根源を断ち切ろうと田口卯吉などは批判したのである。この頃政府は富国強兵を推し進めていた。紡績造船を強化し列強国に対抗しようというものである。彼らにしてみれば養育院の維持費は無駄だという。渋沢栄一は建議書を以て政府に対抗するが、1884年養育院は廃止に追い込まれたため、民間資金での経営継続を申し出た。その資金は社交の場として完成した鹿鳴館にてチェリティーバザーを開き、その利益(現在の約1億円)や三井、大倉など財界人からの寄付によった。かくして渋沢は社会福祉事業の資金を着実に確保し、聖路加国際病院、日本結核予防協会、理化学研究所なども運用していった。やがて70歳となった渋沢は経済界から引退するが、社会福祉活動は終生続け、救護法を実施し後の生活保護法を導き、92歳で逝く。

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