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加賀屋を盛り立てた広岡浅子ゆかりの地・肥後橋

2020年06月04日 | 国内旅行散策

 テレビドラマ 『あさが来た』 のモデルとなった広岡浅子1849-1919は、のちに大同生命の二代目社長となることから、大阪メトロ肥後橋駅の西側にある大同生命ビル本社にはメモリアルホールがある。訪れたときはコロナ騒ぎで休館となっていた。

 広岡浅子は三井高益(京都 ・油小路通出水の小石川三井家6代当主)の四女として生まれた。17歳のときに大阪の豪商・加島屋の第8代広岡久右衛門正饒の次男・広岡信五郎と結婚する。明治維新の動乱で家運の傾いた加島屋を救うため、夫の広岡信五郎と共に、加島屋の立て直しに奔走する。1884年頃から炭鉱事業に参画すると、筑豊の潤野炭鉱を買収、開発に着手。1888年には加島銀行を設立。1902年には大同生命創業に参画する。実業家として活動するかたわら、菊池侃二大阪府知事に女子大学設立の必要性を訴えるなかで、牧師・宮川経輝と出会うとキリスト教に執心するようになり、クリスチャンの新渡戸稲造とも交流を深める。やがて成瀬仁蔵とともに日本女子大の創設に貢献した。

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