安寧天皇陵は神武天皇陵の西側、畝傍山を隔ててすぐのところにあります。 綏靖天皇が即位した年に五十鈴依媛命を皇后に立て、磯津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)を産み21歳の時に皇太子となる。8年後に綏靖天皇が崩御すると磯津彦玉手看尊が即位して安寧天皇となる。都を葛城の高丘宮から浮穴宮に移したという。即位3年後に事代主神の孫・鴨王の娘・渟名底中媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)を皇后とし息石耳命(おきそみみのみこと)と日本彦耜友尊(やまとひこすきとものみこと(後の懿徳天皇),磯城津彦命(しきつひこのみこと)を産む。記紀には事績に関する記載はない。