高知城から南西に400mくらい歩くと、そこは坂本龍馬生誕の地です。 龍馬の実家である「才谷屋」の東へ300m、さすがに龍馬ゆかりの場所というだけあっていつも人でいっぱいのようでした。 1835年に坂本八平と幸の次男として、ここ高知城下に誕生します。 曽祖父の代に豪商の坂本家本家から分家した龍馬の生家は、その後に郷士となり豪商としての裕福な暮らしを保つことになります。 土佐藩は、豊臣時代の領主・長宗我部家の領地だったのが、徳川時代に関ヶ原の戦いの功績により山内家の所領に変わった土地であったため、旧主に仕えた者に対する頭巾、下駄の禁止など徹底的な弾圧政治が行われた。 特に郷士は徹底的に虐げられており、上士に対する単なる身分差以上の憎しみや怒りが、後に土佐藩の郷士たちが志士となっていく背景となっている。 龍馬は5人兄弟の末っ子で、兄・権平と、姉・千鶴、栄、乙女という兄妹がいた。 特にすぐ上の姉の乙女は、「坂本のお仁王様」と呼ばれ、泣き虫だったという幼少期の龍馬を積極的に鍛えたという。 12歳になってやっと通い始めた楠山庄助の塾では、落第生として閉め出され、13歳の頃には母の幸が病死したため継母の伊予や乙女が龍馬を育てていくこととなる。 14歳なった龍馬は、高知城下の日根野弁治道場に入門し、下士の習う小栗流和兵法を学び始める。 幼少期の勉学とは違い、剣術はみるみる上達していった。 19歳で「小栗流和兵法目録」授与され、剣術で頭角を現した龍馬は、江戸へ出立することになる。