【以下高松市のHPより抜粋】 高松藩主松平家墓所は、江戸時代、初代松平賴重以下、幕末に至るまでの歴代藩主を葬った大名家墓所で、仏生山町の法然寺と、さぬき市造田の霊芝寺の2か所からなる。
法然寺の墓所は、初代賴重をはじめとして3代賴豊から8代賴儀までの7人の藩主、正室、一族からなる202基の墓が一体的に営まれたもので、全国でも有数の規模を誇っている。その様相は、初代藩主賴重を頂点とする生前の身分に応じて埋葬位置や墓の規模が明確に区分されるなど、階層関係の表現が顕著に認められる。
なお、墓所は、法然寺の柵門から入り南北両側の前池と蓮池跡との間を西へ向かって一直線に延びた参道の奥の般若台と呼ばれる丘の上に設けられており、これらの境内の空間構成は、初代賴重が帰依した浄土信仰における火や水の河に挟まれた白道を通り極楽浄土へ至るという「二河白道」の教えを具現化したものと考えられる。
※2代賴常及び9代賴恕の墓所は、さぬき市造田の霊芝寺にある。
※10代賴胤の墓所は、東京都の伝通院にある。
※11代賴聰の墓所は、当初東京の谷中に設けられたが、現在は当墓所に移されている。
初代松平賴重は徳川家康の孫にあたり、水戸光圀公は同母弟である。家系図を記してみるとその血統の良さがうかがえる。松平頼重は水戸藩 主・徳川頼房の長男であるが、諸事情あって幕府への届出が出されたのは弟の光圀が世嗣に決定した後であった。1638年に次男格として将軍徳川家光に御目見し、1642年、讃岐国高松に12万石で入封された。
徳川頼房1603-1661(常陸水戸藩初代藩主)
┣水戸光圀1628-1701
┃ ┗2代松平頼常1652-1704
┗讃岐高松藩初代・松平頼重1622-1695 妻:万姫 母:高瀬局
┣綱方1648-1670 光圀の養子
┣綱條1656-1718 3代水戸藩主 妻:季姫
┣頼章1661-1687 妻:七姫
┃┗3代頼豊1680-1735 妻:栴檀院
┃ ┗春姫
┗頼芳1667-1706 松平大膳家初代(妻:大高氏)
┗頼煕1700-1737松平大膳家2代(妻:佐野氏イヨ)
┗4代頼桓1720-1739 (妻:春姫 頼豊娘)
5代頼恭1711-1771 守山松平家からの養子(妻:細川氏娘・八代姫)
┃ 本草学者---平賀源内に命じて薬草を探させる
┃ 魚類などを描いた『衆鱗図』、鳥類図鑑『衆禽画譜』、植物図鑑『衆芳画譜』が知られる
愛物産家番付---江戸時代の博物学発展に寄与
┗小野蘭山:本草学者
┗富山藩主--前田利保:東大関
┗福岡藩主--黒田斉清:西大関
┃
┣6代頼真1743-1780 (妻:薫姫 徳川宗直10女)
┃ ┗8代頼儀1775-1829(妻:藤姫 前田家養女)
┃ ┗10代頼胤1811-1877 (妻:文姫 徳川家斉16女)
┗7代頼起1747-1792 (妻:述姫 徳川治保長女)
9代頼恕1798-1842 水戸徳川家からの養子 (妻:倫姫 頼儀娘)
┣頼煕1826-1846 (妻:有馬頼徳娘・謳)
┃
┗11代頼聰1834-1903 (妻:千代子 井伊直弼の次女)
┣12代頼寿1874-1944 (妻:昭子 徳川昭武の娘)
┗胖1879-1945 (妻:俊子 鍋島直大の娘)
┗13代頼明1909-1990 (妻:香枝子 酒井忠克の3女)
┗14代頼武1938- (妻:千代子 井伊直弼の次女)