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映画「お菓子放浪記」

2011 日本 105分 原作 西村滋 監督 近藤明男 島根県民会館にて3月11日鑑賞
出演 吉井一肇 いしだあゆみ 林隆三 遠藤憲一 高橋恵子 竹内都子 尾藤イサオ

原作「お菓子放浪記」は青少年読書感想文コンクールの課題作品にもなったロングセラー。1976年理論社刊の自伝的小説で、同年木下恵介監督でTBS連続ドラマにもなったとのことだ。

西村滋氏は1925年生まれで、6歳で母、9歳で父に死別し、孤児院や感化院を転々とした。戦争中、お菓子どころか食物がない中で、本を眺めてはエクレールはどんなものか想像していた。それは、この歌が好きだったから。

お菓子と娘 
   西条八十(1923年)

お菓子の好きなパリ娘
二人揃えば いそいそと
角の菓子屋へ「ボンジュール」

選(よ)る間もおそしエクレール
腰もかけずにむしゃむしゃと
[略)
行くは並木か公園か
空は五月のみずあさぎ
[略)
ラマルチーヌの銅像の
肩で燕の宙がえり

去年の震災前には映画はすでに完成していた。上映委員会は全国を上映して回り、1年後のまさに3月11日に、松江に来た。始まる前に、1分間の黙祷があった。そういえば、三鷹に住んでいたころは、何かと言うと市の防災無線から大音量の放送が流れ「黙祷!」と命じられた。なぜか関西に来てからは無い。私は最近になって立ったり座ったりが不自由なので、起立・着席と号令されて従うには抵抗があった。※

さてこの映画で印象に残ったのは、水路を船で行くシーン(↑)と、浮浪児や売笑婦との交流、仰向けに水に浮かび歌いながらオフェリアのように流れていくシーン、のど自慢で「お菓子と娘」を歌うボーイソプラノの美しさだ。一方、世相の描写は、当時を知る人が少ないとはいえ、もうちょっとどうかならないものか。とくに「白い悪魔」(ホワイト・サタン)と言うあだ名をもつ施設職員は、白粉を塗ったようで、顔も表情もせりふも仕草も漫画的。また傷痍軍人が「哀れなOOにお恵みを」と言うのはまるで外国の童話から取ったよう。私がよく見たかれらは傷病兵の白衣に軍帽をかぶり、松葉杖をついて義足や片脚で立つか、地面にひざと両手をつき、頭を下げ、そばではアコーデオンが軍歌を奏でたりするもので、「お恵みを」などと言う文句は使わなかった。また、この映画だけではないが、日本映画特有の、声を張り上げてそれが裏返ったりする発声は、聞き苦しいし、第一に声帯を痛めるのではないか。ボイストレーニングに留意してほしい。

全国のお菓子組合?が協賛しており、確かに、お菓子は平和・友愛の象徴かも知れないなあと思う。

※エキストラで出演した石巻の人々の半数が津波でなくなっていたと知っていたら、もっと素直に哀悼を形に表せたかもしれない[3月13日記)

→西條八十「女妖記」11-4-2
→「父の肖像Ⅱ」11-4-9
→清水義範「わが子に教える作文教室」2010-7-2
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