映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
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折田魏朗氏と「かごしま戦後50年」
10月11日(火)
読み過ぎて目が疲れたので写真本でも見ようかと、図書館の棚に見つけたのが
「かごしま戦後50年」(1995年南日本新聞社)
1951年6月、タイのウドム・サン・カブサ氏から鴨池動物園に雌雄2頭のゾウが寄贈され、タイ子・ドムと命名された。船旅で疲れていたドムに獣医がブドウ糖?のすりこ木ほど太い注射をしたところ、痛かったのだろう、8年後、タイ子が死んだ際、葬儀にやってきた彼に、ドムが襲い掛かろうとしたそうだ。「象は忘れない」というアガサ・クリスティの小説もあるが、その獣医の名が折田魏朗氏。1977年から79年にシリアにいた頃、散々お世話になった。
「そうだ先生にお便りしよう、でも帰国してからすっかり御無沙汰だし、何と書こうか」
と考えながら、帰途についた。
→「まつもと荘事件とかごしま戦後50年」2011-10-16
→「砂漠の塩」 2007-01ー27
→「時の扉」 2010-09-04
読み過ぎて目が疲れたので写真本でも見ようかと、図書館の棚に見つけたのが
「かごしま戦後50年」(1995年南日本新聞社)
1951年6月、タイのウドム・サン・カブサ氏から鴨池動物園に雌雄2頭のゾウが寄贈され、タイ子・ドムと命名された。船旅で疲れていたドムに獣医がブドウ糖?のすりこ木ほど太い注射をしたところ、痛かったのだろう、8年後、タイ子が死んだ際、葬儀にやってきた彼に、ドムが襲い掛かろうとしたそうだ。「象は忘れない」というアガサ・クリスティの小説もあるが、その獣医の名が折田魏朗氏。1977年から79年にシリアにいた頃、散々お世話になった。
「そうだ先生にお便りしよう、でも帰国してからすっかり御無沙汰だし、何と書こうか」
と考えながら、帰途についた。
→「まつもと荘事件とかごしま戦後50年」2011-10-16
→「砂漠の塩」 2007-01ー27
→「時の扉」 2010-09-04
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
« 祝いの日 | 映画「君の名... » |
協力隊員としてシリアに滞在した者です(2007年春~2009年春)。
辻邦生氏の「時の扉」を検索していて貴ブログの記事を拝読しました。
すでにご存知かもしれませんが、折田先生は2008年11月に亡くなられました。
最後に近くにいた者として、お知らせする義務があろうかと思いコメントを残させていただきます。
コメント有難うございます。協力隊でシリアに滞在されたのですか。大使館も協力隊も今はひきあげてるのでしょうが、最後のころですね。折田先生が亡くなられたことは聞きましたが、最期をご存知と聞いて嬉しいです。ご病気だったのでしょうか。07年NHKBSの「遠くにありて日本人」で、令息の墓に花を投げるシーン、胸が詰りました。先生のご遺族は、お孫さんは健在でしょうか?
お孫さんとは何度か会いましたが、先生とのご関係は決してよいものではないようで、疎遠になっていたもようです。
お葬式にも列席させていただきました。先生のお墓は息子さんと同じ墓地ではありますが、同じお墓に入ることは叶いませんでした。残念なことです。
最期を詳しく教えていただき有難うございます。
帯状疱疹は痛いんですよね。ほかに病気は無かったとはいえ、それにかかられてさぞ苦しまれたことでしょう。先生はなぜか家族運に恵まれなかったんですね。でも代りに、周囲に貴方のような方がおられたことはせめてもの慰めです。先生の没後、シリアがこのような混乱状態に陥り、泉下でなげいておいででしょうね。先生の思い出を、語り合うことができれば供養になるでしょう。シリアと言えば折田先生です。シリア協力隊の同窓会なんて、一度持ちたいなあとときどき思いますが、単に思い出にとどめておく方が良いのかも知れません。
折田先生は、その痛みを「焼けた火箸を差し込まれているようだ」と表現していました。お孫さんのことなどを含め、晩年は心身ともに辛い毎日だったのではないかと思います。
シリア協力隊の同窓会というわけではないですが、私が帰国した頃だったので2009年か2010年あたりに、折田先生と縁のあった方が集まって先生の告別式を東京で行ったもようです。私も招待していただいたのですが、諸事情により出席しませんでした。
JICAシリア事務所より「アハバール・カシオン」という会誌(PDF)が出ていますがご存知でしょうか。メールで申し込めば送っていただけるようです。
ここに申し込み先のアドレスを記すのはよくないように思いますので、差し控えさせていただきます。もし、連絡先を知りたいということでしたら、その旨、本ページでお知らせください。手を考えてみます。
また、NHKBSの「遠くにありて日本人」のビデオはお持ちでしょうか。こちらもご入り用でしたらお知らせください。コピーをお送りすることができると思います。
長くなりました。
失礼いたします。
色々と有難うございます。
早速「アハバール・カシオン」を検索してみました。「折田先生を偲ぶ」の筆者・成瀬猛氏は77年の同年派遣です。彼の住んでいたラッカで、サッカーの試合を催して全日本チームはシリアに惨敗した思い出があります。ビデオは、残念ながらうちに機械がありませんので……。DVDなら見られるのですが。
なお、上田様の勤務しておられた?ICARDAアレッポ事務所は、一度先生に連れて行かれたことがあります。写真を見ると見覚えがありました。(私はジスルシュグール南方のジュ―リーンやシャトハに住んでて、週末にはアレッポに出たものです。)話が長くなってご免なさい。
成瀬さんのように、折田先生の薫陶を受けられて各界でご活躍されている方がたくさんいらっしゃるのでしょうね。
ビデオの件ですが、DVDでコピーできます。
ご希望でしたら次のアドレスまでご連絡ください。
mailboxピリオドuedaアットマークgmailピリオドcom
※ローマ字は半角、「ピリオド」は半角「.」、「あっとまーく」は「@」に変えてください。
失礼いたします。
大変有難う御座います。
(おそらくシニア隊員なので連絡網から外れていたのかと思います。)