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柿とわたしの関係

中海に面した漁港、松江市本庄町は、3人で年に1~2度行く場所だ。雪を頂いた大山が真昼の太陽に光って、写真に取ると殆んど見えない。道の駅でお昼を食べ、ふと目に付いた柿5kg(44個)を買ってきた。渋柿である。手分けして皮をむき、軒先につるした。2日経って「まだできてない?」と彼が言う。「まさか、最低でも2週間はかかるでしょう」ネットで検索すると1ヶ月とある。「えっ、そんなにかかるの」「素人とは困ったものだ」はわたしの独白。

私が生まれた宮崎郊外の山里の家には庭に2本の柿の木があって、私がやっと物につかまって歩けるようになった頃、空襲で焼け出された母方の祖父が鹿児島から疎開していたが、その祖父に柿が食べたいとねだったそうだ。食べ終ると、座卓を一巡りして、もう一つ、とせがんだと、母に聞いた。食意地の張った子と思われるかも知れないが、自分を弁護するならば、食料不足やストレスで母の乳が出なかったので、重湯の上澄みで育ち、家族写真で見ると、やせ細って目ばかり大きい私である。甘いものが払底していた時代、初めて知った柿の甘さに夢中になったのだろう。まさか、祖父が3人連続の女子であった私の誕生にガッカリしていたとはつゆ知らず、ただ無心に柿をほしがった私、そしてその求めに応じてもう一つむいてくれた80歳近い祖父。幾歳になっても、柿を見ると素通りできないという私の癖は、この頃に根ざしているらしい。

15-12-5「今年の柿」 
 14-12-2「柿日記」
 13-11-19「晩秋の景色」
 12-12-2「晩秋から初冬」
 11-11-27「干柿」
 10-11-24「柿と私の関係」
17-11-25「干柿」
18-11-04「干柿」

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