映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
伊良子清白「漂泊」
2011年09月07日 / 詩
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蓆戸(むしろど)に
秋風吹いて
河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ
亡母(なきはゝ)は
処女(をとめ)と成りて
白き額月(ぬかつき)に現はれ
亡父(なきちゝ)は
童子(わらは)と成りて
円(まろ)き肩銀河を渡る
柳洩る
夜の河白く
河越えて煙(けぶり)の小野に
かすかなる笛の音(ね)ありて
旅人の胸に触れたり
故郷(ふるさと)の
谷間の歌は
続きつゝ断えつゝ哀し
大空の返響(こだま)の音(おと)と
地の底のうめきの声と
交りて調は深し
旅人に
母はやどりぬ
若人(わかびと)に
父は降(くだ)れり
小野の笛煙の中に
旅人は
歌ひ続けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかへり
微笑(ほゝゑ)みて歌ひつゝあり
この詩が冒頭にある『孔雀船』は明治39年(1913)作者29歳時の詩集。その後はほとんど詩作を断ち、医師として大分、台湾、京都を経て、三重県鳥羽で開業医となる。
私がこの詩に触れたのは、学生社の「日本名詩選」(小田切秀雄編)で、50年以上前、高校のときだった。今でも愛知の伊良子岬の名を見聞きすると、直ちにこの詩人を思い出す。中でも素晴らしいのは「亡き母」は乙女となり、「亡き父」が童子となり、「白き額、月に現はれ」「円き肩、銀河を渡る」の比喩。そして、最後、旅人が、みどりごの昔に帰るあたりで、実に人間を子ども時代に帰すことこそが詩の持つ最大の力だろうか。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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心うたれます。何度も読みたくなります。亡き父や母に会いたくなりました。みどりごの昔に帰って。
作者はわずか29歳で、亡き父母を慕っているのかと思うと、痛々しい感じがしますね。いくつになっても、父母は永遠のもの。現実に生きている母とは別に、永遠の母がいるような気がしています。
ひゃー、岬のほうは「伊良湖」でしたっけ、つい詩人の名につられてしまいました。芭蕉の句は初めて知りましたが、鷹が似合いそうな場所ですね。