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「風雨強かるべし」

広津和郎著 岩波文庫 1954初刷(1984年第4刷)
初出1933-1934(昭和8-9年)報知新聞連載。

時代は、左翼が退潮期にある1930年代の東京。主人公、佐貫駿一は熊本の高校を出た、たぶん東大生である。親の遺産が少しあるのでガツガツしていない。病気のため研究会の仲間から離れている。当初の予想からは外れ、これは主に女性を通じて、時代を描いている小説だ。
 銀行家令嬢のヒサヨとマユミ・その義母である銀子、仲間の梅島ハル子。彼はなぜか出会うほとんどすべての女性に(男性にも)好かれる。それは、彼が繊細で純粋、思いやりがあるから(だという)。自分自身は臆病で、いつも安全地帯にいる人間だと思っている。このように常に自省を忘れないのである。
 この主人公は、たぶん、作者本人だとみていいのだろう。宮本顕治に「同伴者」といわれたそうである。著者によるあとがきが非常に簡潔で分かりやすい解説をかねている。新聞連載が始まってすぐ、警視庁と内務省から15項目にわたる禁止事項(その中には左翼の具体的な運動方法とか警察の留置場や取調べ模様が含まれていた)が言い渡されたという事実にはおどろいた。

さて銀子とマユミはしょっちゅうダンスホールに出入りしているが、この辺には斎藤茂吉夫人のフロリダ事件が重なって見える。→「茂吉彷徨」
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 「女はすべて被圧迫階級だ。無産者の女はもちろん、有産階級の女でも。誰やらのそういった言葉を駿一は思い出していた。たといそれが現在のブルジョワ娘の生活から一歩抜け出さうというだけの、そして自分の手で食べて行きたいという程度の単純なものであっても、しかしその底には封建的な家族制度の中で女が割当てられている被圧迫的な位置に反抗しようとする意志が動いているためであることが十分感ぜられる。その一歩を踏み出しただけでこんなに嬉々としているヒサヨが、彼には羨ましい気がした。」
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この部分では作者の生の声が突然聞こえてきたようで驚いた。あるいは、彼に限らず男性の小説家が好んで女性を描くのはこのような心情があるからかも。
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初めの方で銀子・マユミ・ヒサヨらと駿一が麻雀する描写がえんえん続くのに戸惑ったが、これは、作者が15項目禁止にあって、集めていた材料が使えなくなったので一か月ほど時間稼ぎをするためだったと、戦後に述べている。
 また、当時潜行していた河上肇博士の娘芳子が注油場で「ガソリン・ガール」として仕事中につかまったという記事が連載中に新聞に載ったが、それは終り近くの大事なハル子との邂逅場面に取入れられている。また、初めの方で脚気で寝ているハル子を駿一が世話するくだりでは、留置場の非衛生的な状況を間接的に示唆している。あれやこれやの禁止に抵抗して何とか真実を伝えようとしている、不自由な国での作家の工夫か。
 「風雨はまた募って来た。横降りの雨がプラットフォームの屋根の下まで、ざっ、ざっと音を立ててふっ込んで来た。そこここの柱には『風雨強かるべし』のあの赤い警戒板が物々しくぶら下がっていた。二等車の中はがら空きであった。」と最後の方に、小説のタイトルが登場している。

プロレタリア作家の立場から 徳永直の読後感
「党について運動についてこれ程の謙虚さと、美しい憧憬とで描き了せられた小説はめづらしいと思ひました。」(20-9-10追記)

→「茂吉彷徨」20-7-9
→「麦死なず」20-12-9
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