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ある餅つきの風景

師走のある朝、私は餅つきが始まるのを今か今かと待っている。
だが、庭には蒸籠(せいろ)が湯気を立てているだけで、人影がない。
昼も近くなってからようやく、あたりがにぎやかになり、人々と道具が現れる。

杵を持った3人の男たちが臼を囲んで、蒸しあがった餅米をこね、
互い違いにつき始める。恐ろしいような勢いである。
やがて、つき手1人に介添えの女性1人の、なじみの形へと移る。
白、草、粟、黍(きび)の餅が諸蓋(もろぶた)の上でとり粉を浴び、あるものは
伸し餅になり、大小2組の鏡餅は、床の間と診察室に飾られる。

小餅を丸めるのは私たち、母と子供らの役目だ。
午前の診療を終えた父も加わる。なかなか上手に丸く出来ない。
特に好物の餡(あん)餅は難しく、餡が真ん中に来ない。
「父ちゃんが1番うまいね」と意外な発見に私が目を丸くすると、
「父ちゃんは餅屋の息子だから」と、母が言う。
私はその後何日か、冗談だと分るまで信じている。

40代の両親と、中学生を頭にした5人の子供たちの食欲が
最も盛んだったのも、そのころだったろうか。私の記憶では、
自宅での餅つきは、その年が最初で最後だった。

父はとっくに亡くなり、母ひとりを家に残して子供等は全国に散らばっている。
正月が終るまでに、1キロの餅で足りる今の暮らしから振り返れば、
豊かではないが活気に満ちていたあの時代の餅つき風景がそこには見える。
                   
【八木先生評】
大勢の家族での餅つき。昔の家庭には活気がありましたね。
核家族に欠けているものが、それです。

文章教室 課題「餅」2006年1月17日制作 2月1日返却
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「正直ばあさん」=おキヨ様のブログで昔ながらの餅つき→お裾分けの微笑ましい記事を見て、そうそうと、古い文章を思い出しました。今は次姉が母と同じ敷地内に暮すようになり、多少賑やかになりました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (おキヨ)
2008-12-29 01:47:00
私の名前がありましたのでまたコメント残しますね♪

物資の乏しいあの頃人の心が最も豊かだったような気がします。と言っても私のほうがさらに時代がさかのぼりますけど。。。
やはりご兄妹がちりじりになりましたか。うちも8人のうち郷里に残っているのは2人だけです。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-12-29 19:07:07
おキヨ様、コメント有難うございます。貴女は私の長姉と同じくらいですが、8人兄妹と聞くと、やはり時期が少し前ですかしらね?青森も鹿児島も、ここ島根も、人材を育てる一方で、その殆んどがよそに出てしまうようです。それは仕方無いことかも知れませんが、東京の周辺だけが巨大になり続けるのは、困ったことですよね。
 
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