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私のおかあさん

1953年 講談社

「森永母を讃える会」が主催する全国小学校児童の作文図画コンクール
入選作の図画48点、作文63点を収録。
表紙は取れて紙は変色しているのをすこし前、実家で見つけた。

いま読み返せば、どれもこれも珠玉といえそうな内容だが、とりわけ
ずっと脳裏に残っている文章がある。

この男の子は、PTAで着飾って下らないおしゃべりに興じるよその母親達の姿に嫌悪感を覚え、家に走って帰ると、

「おかあさんは、前の畠で、生まれたばかりのあかちゃんをおんぶして、
おしごとをしていた。足もとで、弟と妹が、土をもって遊んでいた。
大きい妹が、すぐそばの池で、蛙をつっていた。
おかあさんの顔も、手も、足も黒く、おかあさんの着物は、やぶれたり、
よごれたりしていた。それでも、ぼくはうれしかった。

それから、みんなで、裏の山へかれ枝を拾いに行った。今日は、山道に、
さくらの花が散っていた。だれのかみの毛にも、花びらがいっぱい降りかかった。

「よい着物なんか、なくたっていいね。これで、けっこう美しいこと。
みんなで、このまま房州へ行こうかねえ。」とおかあさんはいった。

「この道を、こうして、東へ東へ歩いて行けば、汽車ちんがなくても、ひとり
房州へ行けるのです。おばあちゃんが、生きていなさるうちに、一度ねえ。」
おかあさんの目から、涙が、花びらのように散った。

大阪香里小5年 野上丹治くんの作。後から3行目が強烈だった。
「東へ東へ歩いて」とは貧しさの端的な表現で、子供の私にも、
この母親の郷愁と絶望が伝わった。

50余年も生き残る感動を与えた作者、後世おそるべし。
この名前を検索して見たら、1958年「つづり方兄妹ー野上丹治・洋子」と
いう本になり、映画化もされ、住井すえ氏に「橋のない川」を著す
インスピレーションを与えたそうである。

→「給食代が百円のころ」11-10-5
→「不思議なる人、わが母」11-2-23
→「よく眠る」 11-2-6
→「宙を飛ぶハサミ」 8-10-15
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (おキヨ)
2008-12-28 12:24:01
男の子の作文はまさに珠玉ですね。これは凄いです。
この本を大事にされている方も素晴しい!

表紙の絵いいですね。
子供の絵は凄いですよ。私は世界児童絵画コンクールを観るのが日本画壇展覧会を観るよりよほど好きですね。かなわないとそのつど感じます。それが高学年になって徐々に低くなりやがて消えてしまう。雑念が芽生えるせいです。当方雑念の最たる者〔悲〕

 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-12-28 15:01:53
私も佳作だったのですが、この文集を見て、これでは太刀打ちできないと思いました。絵は金賞をとった大阪学芸大付属小2年女子の絵です。まさに大阪人の顔ですね。(西川きよしに似ていません?)美化せず見たままの顔ですよね、それを提出させたお母さんもエラい。残念ですが表紙は取れてしまい、わかりません。
 
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