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ジグソーパズルと私

 こぼれたピース

先日、ジグソーパズル60点を処分した。

今から7年前、14歳の姪が米国の旅の土産にくれたのが初めである。当時64歳のわたしは、新しい遊戯をおっくうに感じ、1か月ほどは手を触れず放置していた。それから、おそるおそる始めた。どうやら一辺が直線のピースがカギであると見てえり分け、1週間でようやく外枠が完成したほどのスローペース。枠も台紙もなく、畳の上に並べることで始め、やがて新聞紙を敷いた。さんざん苦労し、Kが「あんたは力づくなんだから」と、言うように、強引に進めてあとから合わずに困ったり。合う場合は少しも無理なくするりと合うことも後になって発見する。最初のを苦心惨憺して仕上げてほっとした。当分やる気もしなかったが、しばらくするとまたやりたくなる。近所のおもちゃ店をのぞいたり、米国から知人が来るときき、図々しくも土産に頼んだり、1年前からは通販でまとめ買いすることにした。4点で1万円以内と割安である。

アルゼンチン映画「幸せパズル」や平石貴樹作「笑ってジグソー、殺してパズル」にあるが、本来は、大邸宅を持つゆとりある階層が、専用の部屋を用意して楽しむ遊びだったようだ。
アパート住まいの私は、壁に飾ったりすることは初めから考えず、その間だけの楽しみに限定し、終われば押入れにしまっていた。想像だがたいていの人は10回20回くらいで飽きて次の遊びに向かうのでは。しかし私は麻薬中毒のように、なかなかやまない。「七つ下がりの雨と四十過ぎの道楽はやまぬ」で病みつきというのか、思い悩む快感のとりこになったようだ。処女作は500片(で灯台の図柄)だったのが、300、130、108、とまずは易しく安いものに、次は1000から2000台へと難しいものにエスカレートし、ついに2016片の「流麗」にも成功したが、これは派手で細かいので楽だった。2542片の「サンフランシスコのケーブルカー」に挑戦したがそこで行き詰まってしまった。

初めて数日で7月の旅行に出たので一頓挫したのが尾を引き、帰ってきてもいつまでたっても動かない。一旦中止して、もっとやさしい別の1000片に取り掛かり、それが完了してから再度挑戦したが、前よりもっと進みが遅い。朝なあさな、少しも進まない図柄を見ていると、これが潮時かしらと感じる。大相撲で力士が引退を決めるときは、場所が始まって2、3日のこともある。いよいよ決断の時かもしれない。

引越しの際、いずれは処分すると常々思っていた。

というわけで、Kに宣言して、捨てる前に60点あまりを撮影した。Kはいずれ現像してアルバムに納めよう、モニターで見られるようにしようと、慰めつつ、本音は大喜びなのであろう、気の変わらぬうちにというのか、見てる間に折り畳んで資源ごみにしてしまった。


→「アメリカに旅立つ姪」9-7-20
→「ジグソーパズル」12-4-28
→「3点」13-11-10
→「十三仏」14-11-24
→「かぐや姫」15-12-31

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