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今年の柿


11月24日に本庄の道の駅で買ってきた。Lサイズ5キロ33個(+2個)
翌日剥いてつるした。
昨年のいまごろはもう出来ていたが、今年はいつまでもあたたかく
天気予報では冬が来ないという話も出ていたが、きのうなど立派な冬で
新大橋を渡るとき風で飛ばされそうになった。

過去の柿の記事

 14-12-2「柿日記」
 13-11-19「晩秋の景色」
 12-12-2「晩秋から初冬」
 11-11-27「干柿」
 10-11-24「柿と私の関係」
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2015-12-05 11:27:19
 美味しそうですね。昔、親たちが干し柿つるして、孫たちのくる日まで、早くなれと眺めていたと、そんな話をしていた事が昨日のように思い出します。
 
 
 
いい色ですね (川風)
2015-12-05 16:35:49
今年は作りませんでしたが、暖かい日が続き、カビたりして捨てたことがあります。冷たい風が吹きますように。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2015-12-06 10:46:57
kazukokawamotoさま
私達より上の世代では今のようにお菓子が豊富に出回ってはなく、柿は貴重な甘味でしたよね。
 12年前の11月初め、私が文章教室の前に通っていた講座の思い出です。幕末維新「天誅組」史跡を訪ねるツアーでした。五條から天川にバスで行きましたが、途中の村が全部?柿農家だったのか、斜面が見渡す限り柿畑でした。その景色が夢のように思い出されます。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2015-12-06 10:51:04
川風さま
寒い日があるかと思えばいやに暖かい日もあるし、この冬は油断がなりません。川風さんも干柿をされたことがあるのですか?通風に注意して、あとはかびないように祈ろうと思います。
 
 
 
Unknown (kazukakawamoto)
2015-12-06 13:00:23
主人の里が、その天川出身です。山奥の集落。一面に山林と農家の家庭。次男なので、都会へ就職。今は廃屋「50年」前の景色ですね。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2015-12-06 23:17:44
kazukokawamotoさま

バリバリの都会つ子の貴女にとっては、ご主人の故郷は珍しいことばかりだったでしょうね。細い一本道を走る路線バスの窓からは南北朝時代の南朝の跡も見えたりして、ドキドキするくらい神秘的な行路でした。「天川殺人事件」なんて映画もありましたね。
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2015-12-07 11:14:41
何でも、みな珍しくて、とどまう事ばかりでした。環境と習慣が違っていました。主人が亡くなってからほとんど行きません。奥深い山奥一人では行かれません。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2015-12-09 11:46:59
kazukokawamotoさま
まるっきり違う環境と習慣で育った二人が夫婦になったのは、遺伝学からは良いことかも知れませんが、適応するのは大変だったことでしょう。思い出すと、茨木の自宅からは、朝7時半に出て電車を乗り継ぎ夜7時半に帰るという、ちょっとした遠出でした。まだ50代でしたからできたことでした。
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2015-12-09 22:05:18
 吉野の手前、下市駅から一日の、朝と夕方しかないバスで便利が悪いです。今はどこの家もある、マイカーで行き行きしますが、50年前は大変でした。あまり馴染みがありません。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2015-12-10 21:34:46
kazukokawamotoさま、雅子さんと一緒で、9日は私の誕生日です。貴女からのコメントが贈物のように思えました。有難う。
 
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