映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
【投稿】次の目標の人形
前回に続いて、「他人のなんとかですもう」を取ろうと言う魂胆。ブログ管理人としては、ネタに困っている時に飛び込むYMさんのメール添付作文を活用しない手はない。勝手に「投稿」と言うジャンルを設けてしまった。前回YMさんは、
「私の文章を高く評価していただくなんて、嬉しいです。 どうぞ、ブログに入れてください。私も、皆さんの意見を聞きたいです。」
とのことだったし、私も折角なら自分の感想を、YMさんだけでなく皆に読んでほしいという気持もある。今度の文章は、前回のように衝撃的ではなく、良く整っていて、いかにも子育ても一段落した主婦の穏やかな日常を思わせる。タイトルは原文が地味なので、見栄え良く「雛人形」に変えてみた。※※
※「YM」ではなく「YK」間違えてゴメンなさい。(12月16日記)
※※やはり元に戻した(1月2日記)
~~~~~~~~~~~
「次の目標の人形」
四十代後半には、二人の息子は社会人になり、学費の心配はなし、日本中バブル全盛期のときだった。しゃれっ気がない私、わが家には女の子がいないとなると、家の中は殺風景そのものだ。せめて、ひなまつりの間だけでも、お雛様を飾って、華やかな雰囲気に浸りたくなっていた。
近鉄奈良駅の「東向き商店街」を、ぶらぶら歩くと、奈良特産の一刀彫の雛が店先に、売っていた。うっとり見とれるが、私が欲しい大きさとみなりの雛は、手もでない金額だ。夫は、「二十万円もする雛を買って、年に一度だけ飾るとは。よく考えてみたら」。それもそうだと、分かってはいるが、私の心境を察してくれない、亭主だなあと、むかっとしながら散策した。
西国観音詣でをしている私たちは、京都清水寺へ詣でた。三年坂を歩いていると、実現できなかった雛人形が目に飛び込んだ。陶器だが、私好みの姿だ。家計の遣り繰りで貯めたお金で買えそうだ。これだったら、夫は文句も言わないだろうし、一対ともうせんと屏風を含めても充分にお金は足りる。一刀彫と比較はできないが、玄関口の棚に、どっしり飾った。訪ねてくる人は、口を揃えて「きれいな人形だね」と言ってくれる。やり遂げた満足感に浸ったものだ。
十年以上経過すると、あの感動が薄くなって、この三、四年は雛祭りの時季になっても忘れて、飾ってあげてない。
介護保険のお世話になる年齢が近くなってきた私だ。いずれは、私一人になるだろう。そのためにも、今度の目標は、話すロボット人形で寂しさを癒すのも、生きる術かもしれない。よし、努力するぞ。
課題―「人形」
提出日―平成二十二年十一月十七日
~~~~~~~~~~~~
我家には娘が3人いたのに、桃の節句の記憶がない。他の行事は、七夕もクリスマスも、誕生祝もちゃんとやっていたし、端午の節句には大小の鯉のぼりが2人の男子に対して3つ以上泳いでいたから、なぜ雛祭だけがこうも冷遇されていたのかと、よく考えた。南九州という土地柄か、ある親戚筋の男尊女卑思想を反映していたのか。2回ほど、一人娘の雛祭に招かれたことがある。豪華なひな壇や三色の茶飯などのご馳走が、羨ましかった。家に帰って「OOちゃんの家ではね」と興奮して話すと「OOちゃんの家の子になりなさい」と母に怒られたものだ。当時の親の理不尽な言慣わしだが、母も内心忸怩たるものがあったのかも知れない。
「私の文章を高く評価していただくなんて、嬉しいです。 どうぞ、ブログに入れてください。私も、皆さんの意見を聞きたいです。」
とのことだったし、私も折角なら自分の感想を、YMさんだけでなく皆に読んでほしいという気持もある。今度の文章は、前回のように衝撃的ではなく、良く整っていて、いかにも子育ても一段落した主婦の穏やかな日常を思わせる。タイトルは原文が地味なので、見栄え良く「雛人形」に変えてみた。※※
※「YM」ではなく「YK」間違えてゴメンなさい。(12月16日記)
※※やはり元に戻した(1月2日記)
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「次の目標の人形」
四十代後半には、二人の息子は社会人になり、学費の心配はなし、日本中バブル全盛期のときだった。しゃれっ気がない私、わが家には女の子がいないとなると、家の中は殺風景そのものだ。せめて、ひなまつりの間だけでも、お雛様を飾って、華やかな雰囲気に浸りたくなっていた。
近鉄奈良駅の「東向き商店街」を、ぶらぶら歩くと、奈良特産の一刀彫の雛が店先に、売っていた。うっとり見とれるが、私が欲しい大きさとみなりの雛は、手もでない金額だ。夫は、「二十万円もする雛を買って、年に一度だけ飾るとは。よく考えてみたら」。それもそうだと、分かってはいるが、私の心境を察してくれない、亭主だなあと、むかっとしながら散策した。
西国観音詣でをしている私たちは、京都清水寺へ詣でた。三年坂を歩いていると、実現できなかった雛人形が目に飛び込んだ。陶器だが、私好みの姿だ。家計の遣り繰りで貯めたお金で買えそうだ。これだったら、夫は文句も言わないだろうし、一対ともうせんと屏風を含めても充分にお金は足りる。一刀彫と比較はできないが、玄関口の棚に、どっしり飾った。訪ねてくる人は、口を揃えて「きれいな人形だね」と言ってくれる。やり遂げた満足感に浸ったものだ。
十年以上経過すると、あの感動が薄くなって、この三、四年は雛祭りの時季になっても忘れて、飾ってあげてない。
介護保険のお世話になる年齢が近くなってきた私だ。いずれは、私一人になるだろう。そのためにも、今度の目標は、話すロボット人形で寂しさを癒すのも、生きる術かもしれない。よし、努力するぞ。
課題―「人形」
提出日―平成二十二年十一月十七日
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我家には娘が3人いたのに、桃の節句の記憶がない。他の行事は、七夕もクリスマスも、誕生祝もちゃんとやっていたし、端午の節句には大小の鯉のぼりが2人の男子に対して3つ以上泳いでいたから、なぜ雛祭だけがこうも冷遇されていたのかと、よく考えた。南九州という土地柄か、ある親戚筋の男尊女卑思想を反映していたのか。2回ほど、一人娘の雛祭に招かれたことがある。豪華なひな壇や三色の茶飯などのご馳走が、羨ましかった。家に帰って「OOちゃんの家ではね」と興奮して話すと「OOちゃんの家の子になりなさい」と母に怒られたものだ。当時の親の理不尽な言慣わしだが、母も内心忸怩たるものがあったのかも知れない。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
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我が家は男尊女卑の逆で、カミサンは五月の鯉には無関心で、毎年雛人形だけを欠かさず飾っておりますが、子供等はまるで無関心です。亭主も全く気に留めておりません。
やはり育った環境に影響されるようですね。奥様を着飾らせ、楽しませるのも男の甲斐性という感覚もあるでしょう。また学問芸術に関心の強い家族では、本を買ったりするほうにかまけ、懐具合も手伝って、世間の行事にそっぽを向く場合もあるでしょうね。
とてもユニークな意見ですね。男性は表面に出さないが、女の子の持ち物や遊びに憧れることもある、それは当たっているかもしれません。だって男性は、女性という、自分と異質なものに惹かれるて恋愛とか結婚をするのですから。それにしてもYMさんの文章に早速コメントが来てうれしい限りです。