映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
福永武彦「廃市」
2015年08月17日 / 本
1970年 新潮日本文学49 (初出「婦人之友」1959年7月~9月号)
小説の舞台は福岡県の柳川だが、以下の表現は、そのままOO市にあてはまると思う。
>何かといえば集まって酒を飲む旧弊な因襲的な空気が圧倒的に強い
>熱心なのは行事だとか遊芸だとかばかり、本質的に頽廃しているのです。
>生気というものがない。あるのは退屈です。倦怠です。無為です。ただ時間を使い果して行くだけです。1日1日が耐えがたいほど退屈なので何かしらうさばらしを……
>昔ながらの職業を持った人たちが、昔通りの商売をやって、段々に年を取って死に絶えて行く街。
>若い人はどんどん飛び出して行き・・・あとに残ったのはお年寄ばかり
>いずれ地震があるか火事が起るか、そうすればこんな町は完全に廃市になってしまいますよ。
最後は余分だと思ったが、考えて見れば、OO市は市内に原子力発電所がある。
「北朝鮮のミサイルが飛んできてーー湖に落ちるんでは……。」これがその地で受ける冗談なのだ。
こういう自虐癖は至る所に顔を出す。
著者は頽廃を断罪するようなセリフを小説の登場人物に吐かせているが、彼自身が頽廃に強い魅力を感じるからこそ、それに引込まれることに警戒していたのかも。常に病身であり生死の境目に生きていた作者の、かろうじて生の世界に踏みとどまろうとする必死の試みが、「滅びる者を滅びるに任せよ、私は生きていく」と言う語り手の姿勢に現れているかのようだ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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柳川は本当はこんな陰気な町じゃないと、現地の人たちは憤慨しているらしいです。でも私の住んでいる町は、こういう特色があるんですよ。やはり、土地の人たちは廃市なんて縁起でもないというかもしれませんが。
サガンや村上春樹の好きなあなたが、こういう暗さを好んだのは判る気がします。そして今はもっと暖かく明るいものを求めるというのも……。