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おとなしい父

1964年私が19歳の春、大阪の大学に入った日、父の旧知の事務長に会えと言われて会いに行くと開口一番「〇〇さん(父のこと)は実に大人しいかたで」と言われ、失笑した。

父はもの静かではあるが、万事に自分流の信念を持っており、容易に自説を曲げないので、家族から見るととてもおとなしい人には見えなかったからだ。
父とかれとは多分、熊本の高校で知り合ったのだろう。あるいは博多の大学か。
父は、幼時から母親の薫陶のもと、手伝いも勉強も良くし、評判の良い優等生タイプだったのが高校・大学生になっても、そのまま初心で生真面目な面を失わなかったのだろう。
それに九州では、宮崎県人は一体に温順に見えていたとも考えられる。
あるいは若い時は年長者に対し従順だったのが、環境が変わり年齢も上がるにつれ自然に変わって来たのかも知れない。
日本語の歴史の中で、もともと「大人し」は肯定的な意味で、「源氏物語」にもそういう使い方がされていたようである。

大人しい=大人らしい。つまり子供のようにはしゃがず泣いたり怒ったり騒ぎもせず、年齢の割に思慮深く、人を思いやり適切な判断のもとに行動する・・・なかなか魅力的である。

ついでだが、私も時々「大人しい」と言われる。

13歳の時は伯父に、28歳の時はおでん屋のおかみに、「大人しいねえ!」と嘆息交じりに言われた。どちらも場所は大阪だったのが、何かを示唆しているようでもある。ここ松江でも、結婚後の親戚まわりをした時、ある女性に「大人しいので驚いた」と言われたが、当地の女性は世評と違い?、みな運転もし、共働きもして、非常に生活力があるので、夫の陰に隠れるような嫁さんだとかえって目立つのである。

娘時代は母親に「いいから黙っていなさい!」と言われるほど反応が早く、余計な一言を発する癖があった。
父は「剛毅朴訥、仁に近し」とか「言挙げせず」とかいう表現で自分の無口さを弁護していた。私も見かけでない真の意味での「大人しい人」になれればそれに越した事はない。

「神経質」 18-2-13
「必要な言葉」 18-1-18
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