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【松江】木幡久右衛門(13代)

第13代【こわた・きゅうえもん】1867-1909は松江市宍道町出身、私立松江図書館の創設者である。           山陰ケーブルビジョン『先人の足跡』より

漱石と同年生まれのせいか、口ひげ・書物愛・自転車への興味は共通している。
違うのは、漱石は江戸の町方名主の出、彼は地方の豪農(名字帯刀)の出であること。
全国に図書館が30しかなかった1900年、松江初の図書館(のちの県立図書館)を作って自家の蔵書をそっくり寄付した。帝国議会への出馬を勧められたが、その費用と労力を図書館設立に注ぐことを選んだ。私も感銘を受けた松江の読書環境の良さは、このような先人が作ってきたのだろう。

理由はイマイチ解らないが、伝書鳩と共に自転車で図書館に出勤し、鳩を飛ばして家に安着(?)を伝えた。また、1904年夏にはカメラを携え、山口・岡山・九州・京都・大阪までも自転車で旅行したそうだ。
 
かと思えば、14年の歳月と巨額を投じて皇太子をお迎えするための「飛雲閣」を建てた。
そして皇太子行啓(1907)の2年後、腸チフスで他界した。享年42。昼食を差し上げるだけだったが、神経をすり減らし、チフスに勝てなかったのでは、と孫の修介氏は語っている。当時の松江での皇室の存在感がしのばれる。

徳川時代の藩を「譜代」「外様」「親藩」に分けると松江は「親藩」である。そのせいか、あるいは単に他の土地についての私の無知ゆえか、身分のある人に宿をしたり、接待することがことさらに名誉とされる土地柄だ。その証拠の手紙などが、大切に保存され、折にふれて展示されている。また大工の数が人口比で日本一だそうだ。14年もの長期間、建築に凝ったのはそのせいもあるかもしれない。
「飛雲閣」や「八雲本陣」(木幡家住居&松江藩主の宿。後には旅館、2年前から記念館)などである。二つを比べると飛雲閣の方が建築としては格上だとのことだ。

※ネット検索したら、彼の亡くなった明治42年(1909年)に大阪の西区靭(うつぼ)で木幡久右衛門という人が木幡計器製作所を創業している。これは本人か、それとも同名異人だろうか。
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