映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
【投稿】枯葉の寝床

文章教室に集う人は十人十色。前回までとガラリと変わった文章をどうぞ
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枯葉の寝床
k.sakaguchi
10年ほど前でしょうか、勤めていた会社のオーナーMは猟が趣味で、私と同僚のKを山に連れて行ってくれることになりました。猟の解禁は11月15日なので、たぶんその頃だったと思います。猟銃をかついだ、まるで猟師のような恰好のM、猟犬のチーコは右横に、K、私が後ろに続きます。笠置(かさぎ)の山の中、落ち葉を踏みしめながら歩くのはとても気持ちよく、2時間ほどで昼食となりました。食事後、Mとチーコは猟に出かけ、私とKは残ってあたりをぶらぶらすることに決めました。乾いた枯葉がたまっているいい場所を見つけごろんと横になり、私が「枯葉の寝床や」と言うと、Kは「それ何?」と不思議そうです。「森茉莉(もりまり)の小説やで」と言いましたが、Kは「ふーん」と言ったまま、うつらうつらし始めました。風もなく、日差しはやわらかく、至福の時間がすぎていきます。いつの間にか私も眠ってしまっていました。あきれたようなMの笑い声でふたりは目を覚まし、3人と一匹は帰路につきました。
「枯葉の寝床」は、森鴎外に溺愛されて育った娘、森茉莉の小説です。この本は読んでいなかったのですが、「枯葉の寝床」という題名だけが、どういうわけか私の頭にインプットされていて、「森茉莉」というと、仏(ふ)蘭(らん)西(す)(森茉莉はこう書きます)の郊外の森の中に置かれた、柔らかな陽を浴びた、枯葉の寝台が浮かんでくるのです。このたび、「枯葉の寝床」の小説の内容を調べたら、美少年小説のようで、私のイメージとはずいぶん違いました。
笠置(かさぎ)の山で、枯葉を集めて寝ころがった寝台は、私のイメージの、いい匂いのする、優雅な「枯葉の寝床」とはかけ離れたものでしたが、仕事に少し疲れたKと私に、ひとときの心地(ここち)よい夢の時間をくれたのです。
Kに、このときのことを覚えているかと電話しましたが、「笠置(かさぎ)に行ったことは覚えているけど、枯葉の寝床のことは全然。」と言うのです。私のイメージ先行の話などまったく興味がなかったのでしょう。ちょっとがっかりしましたが、Kの、「あの山歩きは楽しかったね」という言葉で許してやることにしました。 了
課題「枯葉」2009年11月18日
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K.sakaguchiさんは教室に入って来た時、定年後何か始めたくてと自己紹介されたと記憶している。黒っぽい服装で、目が大きく口数すくなく、ベールをかぶり水晶の玉を持ったらすぐ占い師になれそうな風貌。その後ブログのコメントなどで私との共通部分もわかってきた。これは、森茉莉やサガンや原田康子が好きというだけあって、お洒落で西欧的な生活感の無い、それこそ「いい匂いのする優雅な」作品になっている。淡彩のスケッチのような作品だ。関西弁が程よくちりばめてある。特に何か実質的な事件があったというのでもなく「枯葉の寝床」ということばが先にあって、出来たような文である。そして、彼女がまだ読んでいなかったこの小説もまた、生活感のない、想像が先にたってできたものだったのが妙に響き合っている。「私の美男子論」によるとこれは森茉莉が、アラン・ドロンとジャン・クロード・ブリアリの写真を映画雑誌で見て、「ドロンはブリアリを愛している」と直感した※所から創られたという。登場人物がすべてフランス人で、まるで後年の少女マンガを先取りしているようで、森鴎外の耽美主義が、長女に花開いたわけだ。次女の小堀杏奴(あんぬ)が書いた「晩年の父」は私が中学の時、感想文を書いたことがある。(手元に無いが学校文集にあるのでは)鴎外の大きな愛情を受けて育った娘達は、違った形でそれを表現している。
※これは真実だったそうだ!さらに、マネジャーのジョルジュやルキノ・ヴィスコンティとも親しかったとか。さすが「失われた時を求めて」のシャルリュスを演じた役者だ。
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枯葉の寝床
k.sakaguchi
10年ほど前でしょうか、勤めていた会社のオーナーMは猟が趣味で、私と同僚のKを山に連れて行ってくれることになりました。猟の解禁は11月15日なので、たぶんその頃だったと思います。猟銃をかついだ、まるで猟師のような恰好のM、猟犬のチーコは右横に、K、私が後ろに続きます。笠置(かさぎ)の山の中、落ち葉を踏みしめながら歩くのはとても気持ちよく、2時間ほどで昼食となりました。食事後、Mとチーコは猟に出かけ、私とKは残ってあたりをぶらぶらすることに決めました。乾いた枯葉がたまっているいい場所を見つけごろんと横になり、私が「枯葉の寝床や」と言うと、Kは「それ何?」と不思議そうです。「森茉莉(もりまり)の小説やで」と言いましたが、Kは「ふーん」と言ったまま、うつらうつらし始めました。風もなく、日差しはやわらかく、至福の時間がすぎていきます。いつの間にか私も眠ってしまっていました。あきれたようなMの笑い声でふたりは目を覚まし、3人と一匹は帰路につきました。
「枯葉の寝床」は、森鴎外に溺愛されて育った娘、森茉莉の小説です。この本は読んでいなかったのですが、「枯葉の寝床」という題名だけが、どういうわけか私の頭にインプットされていて、「森茉莉」というと、仏(ふ)蘭(らん)西(す)(森茉莉はこう書きます)の郊外の森の中に置かれた、柔らかな陽を浴びた、枯葉の寝台が浮かんでくるのです。このたび、「枯葉の寝床」の小説の内容を調べたら、美少年小説のようで、私のイメージとはずいぶん違いました。
笠置(かさぎ)の山で、枯葉を集めて寝ころがった寝台は、私のイメージの、いい匂いのする、優雅な「枯葉の寝床」とはかけ離れたものでしたが、仕事に少し疲れたKと私に、ひとときの心地(ここち)よい夢の時間をくれたのです。
Kに、このときのことを覚えているかと電話しましたが、「笠置(かさぎ)に行ったことは覚えているけど、枯葉の寝床のことは全然。」と言うのです。私のイメージ先行の話などまったく興味がなかったのでしょう。ちょっとがっかりしましたが、Kの、「あの山歩きは楽しかったね」という言葉で許してやることにしました。 了
課題「枯葉」2009年11月18日
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K.sakaguchiさんは教室に入って来た時、定年後何か始めたくてと自己紹介されたと記憶している。黒っぽい服装で、目が大きく口数すくなく、ベールをかぶり水晶の玉を持ったらすぐ占い師になれそうな風貌。その後ブログのコメントなどで私との共通部分もわかってきた。これは、森茉莉やサガンや原田康子が好きというだけあって、お洒落で西欧的な生活感の無い、それこそ「いい匂いのする優雅な」作品になっている。淡彩のスケッチのような作品だ。関西弁が程よくちりばめてある。特に何か実質的な事件があったというのでもなく「枯葉の寝床」ということばが先にあって、出来たような文である。そして、彼女がまだ読んでいなかったこの小説もまた、生活感のない、想像が先にたってできたものだったのが妙に響き合っている。「私の美男子論」によるとこれは森茉莉が、アラン・ドロンとジャン・クロード・ブリアリの写真を映画雑誌で見て、「ドロンはブリアリを愛している」と直感した※所から創られたという。登場人物がすべてフランス人で、まるで後年の少女マンガを先取りしているようで、森鴎外の耽美主義が、長女に花開いたわけだ。次女の小堀杏奴(あんぬ)が書いた「晩年の父」は私が中学の時、感想文を書いたことがある。(手元に無いが学校文集にあるのでは)鴎外の大きな愛情を受けて育った娘達は、違った形でそれを表現している。
※これは真実だったそうだ!さらに、マネジャーのジョルジュやルキノ・ヴィスコンティとも親しかったとか。さすが「失われた時を求めて」のシャルリュスを演じた役者だ。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
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これは、教室に入って2年目の6月に書いたものです。最初は長すぎたり、情緒的過ぎたりでとても苦労しました。長すぎる文章を「字数制限があるのよ」と教えてくださったのはあなたでした。文章もひと味もふた味も違っていて「こんな人がいるんだ」と印象的でした。森茉莉については、「贅沢貧乏」「恋人たちの森」「森茉莉の世界」を読んでいて、「贅沢貧乏」は愛読書です。彼女のように贅沢には育っていませんが、分不相応にいい物を欲しがるところがあって、「宝くじがあたったらなあ」と買わない癖に思っている不届き者です。ちたぶん、母の贅沢ぐせの素質を受け継いでいるのかな。森茉莉は晩年かなり苦しい生活のようでしたが、それでも・・というところに共感しています。
教室に入って2年目の6月に書いたとしましたが、違いです。3年目の11月に書いたものです。スミマセン。経理をしていましたので、数字の間違いは許せません。
>自分のコメントに突っ込みを入れるとは情けない。とはさすが関西風ですね。さっそくの反応、有難うございます、張合いがあります。森茉莉の「贅沢貧乏」「気狂いマリア」を読むと、お嬢様育ちの人が、と痛々しい気もしますが、日本の制度では女性は老いて一人になったら皆貧乏と、決まっているそうです。男性とくっついていれば余裕のある生活が出来ても。まあ、それはさておき贅沢は文化の源、親から受継いだ贅沢感覚は形の無い財産ですね。
彼もゲイのはず。それらしき人がそのパーティに来てました。おもしろかったですよ。