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映画「バビロンの陽光」

2010 イラク・英仏蘭・パレスチナ・エジプト・UAE 原題 Son of BABYLON
監督 モハメド・アルダラジー 出演 ヤッセル・タリーブ シャザード・フセイン

1月の名画劇場のときは見られず、3月遅れでレンタルで見ることに。

時は2003年、イラク、フセイン政権の崩壊後。湾岸戦争に出たまま行方不明の息子(父親)を探す女性とその孫。場所はイラク北部からバグダッドを経て南部ナーシリーヤまで。女性はズダ袋一つ、少年は縦笛一本だけもって、苦しい旅を続けるというロード・ムービー。

荒涼・広漠の大地に2人が立つ画面に、いい映画だと言う予感がした。彼らの旅は徒歩が基本、通りかかった車を片端から止めるが、つれなく走り去られる。ようやく見つけたおんぼろバス、料金前払いである。交渉しないと、言いなりに高値をふんだくられるし、故障で路上におっぽり出されても、しつこく請求しないと返金もない。この地域ではトラブル=トラベル=旅の語源が生きている。

シリアに住んでいたころ、夫の同僚のクルド人がうちを訪ねて来たことがある。がっちりとした大男で仕事のできるエンジニアだった。彼に詩の本をもらったが、一見アラビア語に似ているものの、文法がまるで違うようで、読めなかった。1979年、「アル・クルディー=クルド人」という名のシリア国籍の一家が警察につかまり、帰国ほやほやの私に通訳が回ってきた。在日シリア大使館は木で鼻を括ったような対応。それはシリア人とは名ばかりでよそ者のクルド人だったからか。私の通訳がなかなか通じなかったのは、一つは彼らにとってアラビア語は外国語だったこともあるわけだ。

監督のインタビューがDVDに付いていた。
イラクの現状を世界に知らせたいという熱意溢れるコメントであった。かれ自身、米軍やアル・カイダにたびたび拘束され、撮影も機材不足で、多くの困難があったが、それを克服しても描きたいことがあった。表現の原点とはこういうことかもしれない。アメリカ映画で描かれる中東は、あくまで外国人の目で見たもの。そこに住んでいる者が描く世界は、貧しさと苦難、真実の叫びと涙が心を打つ。老女も貧しくも犯しがたい気品があり、少年も大人顔負けの達者さはあるが涙ぐましいまでに健気だ。30年以上前シリアで会った、一家の稼ぎ頭の男の子たちを思い出した。

監督は映画が好きで、気に入った映画は5回は見るし、そのたびに新たな発見があると言う。それを聞いてますます気に入った。「皆さんもDVDで5回、10回と見てください」と言っているがレンタルなのでそうも行かず2回見ただけでこの記事を書いた。
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