マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
写真やイラストはフリー素材を拝借しています。

雨にも負けず(宮沢賢治)

2022年01月16日 | 詩の朗読

 

 

「雨にも負けず」の原文は

手帳にカタカナでメモ書きしてあったもので、

賢治の死後に発見された。

ここでは、読みやすいように

ひらがなで表記した。

「ヒドリ」は「日照り」とした。

 

雨にも負けず(宮沢賢治)

 

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体を持ち

欲はなく 決して瞋らず 

いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに

よく見聞きし 分かり そして忘れず

野原の松の林の蔭の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり 

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

 日照りのときは涙を流し

 寒さの夏はおろおろ歩き

 みんなにデクノボーと呼ばれ

 ほめられもせず 

苦にもされず

 そういうものに 私はなりたい

 

 

 

宮沢賢治(1896年~1933年)は

岩手県花巻市生まれの

詩人、童話作家、農村指導者、宗教者。

「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」

「春と修羅」など多数の著作があるが、

生前はほとんど無名であった。

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ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)

2021年11月16日 | 詩の朗読

 

昔の動物園は

動物にとって残酷で劣悪な場所だった。

最近の動物園の展示スペースは

広さも環境もよく整えられて、

動物たちのストレスも少なそうだ。

見ていてつらくない。

 

 

「ぼろぼろな駝鳥」は、

昭和初期に書かれた詩である。

光太郎が何を思って書いたかは知らない。

が、そこにあるのは、

思うように羽ばたけない焦りと苦しみであり、

自分を含めた全状況への

怒りと絶望ではなかったのか。

 

ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)

 

 

ぼろぼろな駝鳥   高村光太郎

何が面白くて駝鳥を飼うのだ。

動物園の四坪半のぬかるみの中では、

脚が大股過ぎるぢゃないか。

頸があんまり長過ぎるぢゃないか。

雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。

腹がへるから堅パンも喰ふだらうが、

駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢゃないか。

身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。

瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。

あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。

これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。

人間よ、

もう止せ、こんな事は。

 

 

 

高村光太郎(1883年~1956年)は、

東京生まれの詩人、歌人、彫刻家、画家。

詩集「智恵子抄」が有名。

父は高村光雲、妻は高村知恵子。

 

 


千曲川旅情の歌2(島崎藤村)

2021年10月15日 | 詩の朗読

千曲川旅情の歌2

 

千曲川旅情の歌2 島崎藤村

 

昨日またかくてありけり

今日もまたかくてありなむ

この命なにを齷齪(あくせく)

明日をのみ思ひわづらふ

 

いくたびか栄枯の夢の

消え残る谷に下りて

河波のいざよふ見れば

砂まじり水巻き帰る

 

嗚呼古城なにをか語り

岸の波なにをか答ふ

過し世を静かに思へ

百年もきのふのごとし

 

千曲川柳霞みて

春浅く水流れたり

ただひとり岩をめぐりて

この岸に愁を繋ぐ


千曲川旅情の歌1(島崎藤村)

2021年10月13日 | 詩の朗読

 

千曲川旅情の歌1

 

 

千曲川旅情の歌1   島崎藤村

 

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす繁縷は萌えず
若草も籍くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

 

あたたかき光はあれど
野に満つる香りも知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

 

暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

 

 


ラップで白秋「紺屋のおろく」

2021年09月25日 | 詩の朗読

「紺屋のおろく」は、

北原白秋が少年時代を過ごした

柳川を書いた詩集「思ひ出」の一篇。

合唱曲や長唄になっているようです。

 

 

はじめは普通に朗読するつもりでした。

けれど、

何度も口ずさんでいるうちに

自然とラップになっていました。

で、

ラップで白秋「紺屋のおろく」

 

 

ラップで白秋「紺屋のおろく」

 

紺屋のおろく   北原白秋

にくいあん畜生は紺屋のおろく、

猫を擁えて夕日の濱を

知らぬ顔して、 しゃなしゃなと。

   

にくいあん畜生は筑前絞り、

華奢な指先濃青(こあお)に染めて、

金の指輪もちらちらと。

 

にくいあん畜生が薄情な眼つき、

黒の前掛け、 毛繻子か、セルか、

博多帯締め、からころと。

 

にくいあん畜生と、擁えた猫と、

赤い入り日にふとつまされて

潟に陥って死ねばよい。 

ホンニ、ホンニ・・・

 

 

 

おろくは紺屋の娘ではなく

紺屋の後妻なのです、おそらく。

あるじとは年の離れた仇っぽい若妻。

色街にいた女かもしれません。

その少年は、おろくの色気に

強く惹かれているけれど、

振り向いてなどもらえないと

よくわかっています。

だからこそ

「赤い入日にふとつまされて・・・」、

手の届かぬものに焦がれて死ねばよい、

自分と同じ苦しみを味わうがいい、

とつぶやくのです。