マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
写真やイラストはフリー素材を拝借しています。

徒然草・神無月のころ

2021年12月11日 | 古典の朗読

 

 

徒然草・神無月のころ~

(大意)

10月ごろ、栗栖野の先の山里に

ひっそりと住む人の

庵を訪ねたことがある。

そこで、

苔の細道も静かな庵のたたずまいも

なんと風情のあることかと感じ入った。

が、庵から離れた庭に 

蜜柑の実がいっぱいなっている木があり、

取られないようにと

厳重に囲われているのを見て、

せっかくの興も

いささか冷めてしまった。

こんな木、なければよかったのに。

 

 

徒然草・神無月のころ

 

 

(原文)

徒然草(第11段) 神無月のころ~

神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、

ある山里に尋ね入る事侍りしに、

遥かなる苔の細道を踏み分けて、

心ぼそく住みなしたる庵あり。

木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、

つゆおとなふものなし。

閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、

さすがに、住む人のあればなるべし。

かくてもあられけるよと あはれに見るほどに、

かなたの庭に、大きなる柑子の木の、

枝もたわゝになりたるが、

まはりをきびしく囲ひたりしこそ、

少しことさめて、

この木なからましかばと覚えしか。

 

 

 

オチというか

作者の言いたいことはよくわかる。

同感である。

が、わたしはそれよりも、

苔の細道や

ひっそりとした庵の描写の方が好き。

短い文章なのに

情景がありありと浮かぶのだ。

 

 

 


徒然草・堀池の僧正

2021年12月08日 | 古典の朗読

 

 

徒然草・堀池の僧正

(大意)

良覚という名の偉いお坊さん(僧正)は、

とても怒りっぽい人だった。

住んでいる僧房の傍に

榎の大木があったので、

人は彼を「榎木の僧正」と呼ぶようになった。

けしからんと思って

その木を伐り倒させると切り株が残り、

今度は「切杭の僧正」と言われることに。

ますます腹を立てて

切り株を掘って捨てさせると、

その跡が大きな穴になったので

とうとう「堀池の僧正」と

呼ばれるようになった。

 

 

 

最初の「榎木の僧正」って、

そんなにひどいあだ名なのかなぁ・・・.

僧正はいい年した大人なんだから、

からかい半分のネーミングに

いちいちオーバーリアクションせずとも

よいものを。

無論、

読むにはその方が面白いけれど。

 

 

徒然草・堀池の僧正

 

 

著者の吉田兼好(兼好法師)は 

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての

官人、歌人、随筆家。

「徒然草」は、

清少納言の「枕草子」

鴨長明の「方丈記」と並んで

日本の三大随筆の一つ。

 

・枕草子(春はあけぼの~)は →こちら

・枕草子(九月ばかり~)は →こちら

・枕草子(五月ばかりに~)は →こちら

・方丈記(行く河の流れは~)は →こちら

 

 

   

「堀池の僧正」は、

中学の古文の教科書で初めて読んだ。

実話らしいが、一読して

フィクションなら未完だと思った。

で、ひそかに教科書の隅に書き加えた。

以下、

原文と私の落書きを追加したもの。

(緑字は原文、赤字は私の加筆

 

  腹あしき人 = 怒りっぽい人

  きりくひ (切杭) = 切り株

 

堀池の僧正

公世の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは

極めて腹あしき人なりけり。

坊の傍に大きなる榎の木のありければ、

人、榎木の僧正とぞ言ひける。

この名 然るべからずとて、

かの木を切られにけり。

その根のありければ、

きりくひの僧正と言ひけり。

いよいよ腹立ちて、

きりくひを掘りすてたりければ、

その跡 大きなる堀にてありければ、

堀池の僧正とぞいひける

その堀を埋めたりければ、

埋め立ての僧正と言ひけり。

 

 

 

半世紀以上前を振りかえり、

書き加えたわたし、案外さえてた?

などと思ったのも束の間、

TVアニメ日本昔話で 

同じことをやっていたと知る。

しかもアニメでは、

埋め立てた後に立札を立て、

「立札の僧正」にまでなっていた。

わたし、完敗。

お呼びでない。

これくらいのこと、みんな考えるんだよね・・・

というお話でした。

 

 


平家物語・敦盛最期

2021年12月06日 | 古典の朗読

 

 

 

小学唱歌「青葉の笛」の一番は、

この「敦盛最期」を歌にしたものである。

 

♪青葉の笛  作詞 大和田建樹

一谷の軍(いくさ)破れ

討たれし平家の

公達(きんだち)あわれ

暁 寒き 須磨の嵐に

聞こえしはこれか

青葉の笛

 

 

 

 

平家物語・敦盛最期

一谷のいくさに敗れた平家は

海へと敗走する。

源氏軍の熊谷次郎直実

(くまがえのじろう なおざね)は、

波打ち際で、豪華な装束の敵武者を組み伏せる。

そして首を切ろうとしてよく見ると、

わが子と同じ年頃の美しい若者であった。

助けたくとも源氏軍がそばまで迫っており、

直実は、覚悟を決めている若武者の首を

泣く泣く切り落とす。

 

 

後にわかったのは、

討たれた若者は

平経盛の子息の敦盛(あつもり)

弱冠十七歳。

錦の袋に入れた笛を腰に差していた。

それを見て、

暁に敵陣から聞こえたのは

この笛の音だったと直実は知る。

小枝(さえだ)という名のその笛は、

鳥羽の院から笛の名手の平忠盛へ、

その後、同じく名手である孫の敦盛へと

受け継がれたものであった。

 

 

平家物語・敦盛最期

 

敦盛の装束、武具、騎馬の立派さや、

直実との今わの際の一問一答が

哀れを誘う。

 

 

 

坂東から来た歴戦の荒武者と

いくさに慣れない若者とでは

所詮、勝負にならない。

敦盛は、逃げられたかもしれないのに、

わざわざ引き返してきた・・・

 

 

 

この後、

直実は武家に生まれたことに

無常感を持つようになり、

遂には仏門に入った。

 

 


野ざらし紀行・富士川

2021年11月20日 | 古典の朗読

 

 

急流で有名な富士川のほとり。

旅の途中の芭蕉は、

3歳くらいの捨て子が泣いているのに出会い、

食べ物を与えて去る。

詠んだ句は

  猿を聞く人 捨て子に秋の 風いかに

 

「いかにぞや、汝、父に悪(にく)まれたるか、

母にうとまれたるか。

父は汝を悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ、

唯これ天にして、汝が性のつたなきを泣け。」

 

野ざらし紀行・富士川

 

何があったのだ。

おまえは父に憎まれたのか、母に疎まれたのか。

いや、父はおまえを憎んでいるのではない、

母はおまえを疎んでいるのではない。

これは天の定めであり、

自分の生まれつきの悪さを泣くしかない。

(誰にもどうしようもないのだ)

 

 


な~んちゃって講談・扇の的

2021年11月07日 | 古典の朗読

 

 

平家物語の「扇の的」は、

色彩豊かな絵面やドラマチックな展開で、

読む人聴く人をワクワクさせる。

 

華麗な装束の騎馬武者が居並ぶ浜辺、

青い海原に白い波がしら、

旗指物をひるがえす平家の小舟の群れ。

鏑矢の唸りは大気を切り裂き、

扇の赤と金とが夕日に映え、

風や波しぶきまで感じられるような

この血沸き肉躍るお話を、

「フツーに朗読」しても

なんか面白さがよく伝わらない気がする。

 

幸いというか、わたしは未だかつて

アナウンサーでも声優でも俳優でもない、

ましてや朗読のプロでもない。

そして、

自分のブログだから好き勝手ができる。

で、

「ねえねえ、こんなに面白いのよ」

とばかり好き勝手に語った

な~んちゃって講談「扇の的」です。

(扇子で見台をパパンパンとやりたかったけれど

音録りがむずかしくて断念。)

思いが伝わるかどうか・・・

まあ、どうか一席おつきあい下さいませ。

 

なんちゃって講談・扇の的