マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
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涼州詞(王翰)

2021年12月01日 | 漢詩の朗読

 

涼州詞 朗読改訂版

https://youtu.be/Nag6TjPs7uA

 

 

涼州詞  王翰 

(書き下し文)

葡萄の美酒 夜光の杯  

飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す

酔うて沙場に臥すとも 君笑うことなかれ  

古来 征戦 幾人か回る 

 

(意訳)

葡萄酒が注がれたガラスの盃は

別れの盃。

飲み干そうとすれば、

琵琶が馬上でかき鳴らされる。

酔いつぶれて砂の上に伏したとしても

どうか笑うてくれるな。

昔から、

辺境の地に遠征して帰ってきた者が

どれだけいるというのだ。

(自分も生きて帰ってこられる

わからない)

 

涼州とは、シルクロードに沿った

現在の甘粛省武威県あたりの古名であり、

北方民族との前線地であった。

涼州詞は、

辺境地帯の風物や出征兵士の情に題材をとった   

辺塞詩というジャンルに含まれる。

                          

 

 

出征する者の

悲壮な気持ちを詠じた詩と読み取れるが、

別の見方もある。

 

「涼州詞」という題の詩は、

王翰以外に何人もの詩人が書いている。

涼州詞という楽曲に詩をつけて歌っていたのだ。

王翰は官吏に登用されたこともある人物だが、

かなりの放蕩者だったという。

(それが悪いとは全く思わない。)

その彼が、

実際に辺境に出征したことなく作った詩である。

詩には、葡萄酒、夜光の杯、琵琶,沙上など

異国情緒あふれる事物が配され、

とてもエキゾチックで洒落た感じがする。

酒宴で歌ったら、

さぞ盛り上がったことだろう。

      

  

 

詩の中では、

一つの言葉に複数の意味を持たせると

表現する世界は広がる。

「琵琶」は楽曲を奏でているのか、

進軍の合図なのか。

「沙上」は文字通り「砂の上」なのか、

それとも「戦場」の意味なのか。

 

この詩は、万葉集の防人の歌のように

兵士の悲嘆のリアリティを表現するというよりは、

平安貴族が都で、

行ったことのない名所の絵を見て

素晴らしい歌を詠んだのに似ていると思う。

 

仮に、切実なリアリティがなかったとしても

王翰の「涼州詞」は名作であり、

私の大好きな詩である。

とりわけ「葡萄美酒 夜光盃」

という文字の配置が

素晴らしいと思うのだ。

 

涼州詞  王翰

(原文、白文)

葡萄美酒夜光杯

欲飲琵琶馬上催

酔臥沙場君莫笑

古来征戦幾人回

 

 


春望(杜甫)

2021年11月27日 | 漢詩の朗読

 

「春望」は、杜甫44歳、

安禄山の乱で賊軍に捕まって

軟禁された時の作(五言律詩)。

 

 

春望

 

春望   杜甫

(書き下し文)

国破れて山河在り

城春にして草木深し

時に感じては花にも涙を濺ぎ

別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火三月に連なり

家書万金に抵たる

白頭掻けば更に短く

渾べて簪に勝へざらんと欲す

 

(意訳)

戦火で長安の都は瓦解したが、

山河の自然は今までと変わらず、

季節もまた巡ってくる。

だが美しい花、楽し気な鳥のさえずりも、

今では悲しみの種でしかない。  

戦乱は3か月にもおよんでいて、

離れ離れになった家族からの手紙は

なかなか届かない。

老いと労苦で白髪は短く薄くなり、

(役職を表す)冠をとめるための簪(ピン)を

刺すことができなくなってしまった。

      

 

 

  春望 杜甫 

  (原文、白文)

  国 破 山 河 在

  城 春 草 木 深

  感 時 花 濺 涙

  恨 別 鳥 驚 心

  烽 火 連 三 月

  家 書 抵 万 金

  白 頭 掻 更 短

  渾 欲 不 勝 簪

 

 

杜甫(712年~770年)は

唐代の二大詩人のひとりで

詩聖と呼ばれる。

仕官した時期もあったが、

一生を通じてみると

放浪の時代の方が、圧倒的に長い。

 

 

 

松尾芭蕉は 奥の細道・平泉 の中で

この詩を引用している。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、

笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

   

     夏草や兵どもが夢の跡」

 

藤原三代の栄華の跡に立ち、

自然と比べて人間の営みの儚さを

句に詠んだのである。