以下に掲載する「竹」は、
わたしが18歳か19歳の時に書いた詩。
学生時代に書いたものは
社会人になるときすべて破棄したのだが、
頭の中にはしっかり残っていたので
再び文字にしてみた。
竹 MARI
わたしには、
人ヲ殺シタ覚エはないが、
人ヲ殺シタ恐レはある。
どうにかそれを紛らわせたく、
近所の老婆の家の窓辺に立った。
彼女は魔法使いだった。
わたしの訴えを聞いて、
白い布に呪文をいくつか書いてくれた。
わたしは一瞬、
心の隅でその魔力を疑った。
目と目が合った。
わたしは目を伏せた。
彼女は黙って裏山に入ると、
鉈で太い竹を一本、
バサリと切った。
切り口は冷たく天を突いた。
わたしは家に帰った。
夜、風が吹いた。
風は竹の切り口に当たり、
鋭く唸った。
それを聞いていると、
忘れていたあの恐れが
鮮やかによみがえってきた。
耳をふさいでいたが
耐えきれなくなったわたしは、
闇を犯して家を出、
竹藪に火を放った。
彼女の家がどうなったか、
わたしは知らない。
この詩を書いた当時、
三歳上のある先輩に見せたら
こんなことを言われた。
「魔法使いの老婆を信じられないのは、
それが自分自身だからである。
老婆を殺してしまったと
明言してないところが優れている。
それこそが
人ヲ殺シタ恐レに他ならないのだから」と。
驚いた。
作品とは、作者の手を離れて
鑑賞され解釈されるものだと知った。
彼は当時のわたしを
一番よく理解していた人かもしれない。
唐十郎の状況劇場に
連れて行ってくれたのも
その人だった。
その後、
鈴木忠志の早稲田小劇場を知り、
一人で何回も観に行った。
白石加代子主演の
「劇的なるものをめぐって抄」を
かぶりつきで見られたのは幸運だった。
夕暮れ時、
開演を待って列に並んでいると、
そばには壊れたビルの
高い壁だけが残っていて
ポッカリ開いた窓の向こうに空が見えた。
そして会場の隣の民家からは
夕餉のみそ汁の匂いが漂ってきた。
なんだか劇以上にシュールで、
忘れられない情景であった。
親はいい顔をしなかった。
文学や芝居なんぞに深く関わると
ロクなことにならない、と考える
真っ当な精神の持ち主だったのである。
やがて社会人になったのを機に、
わたしは書くことからも
アングラ劇を見ることからも
すっぱりと足を洗った。
それと前後して、
わたしの詩を読み解いてくれた人とも
疎遠になった。
多感と未熟と強い自意識の中で
のたうち回っていた学生時代。
あれから今日まで
よく生きてきたもんだ。
。