マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
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ラスト・ムービースター(映画)

2021年11月29日 | 本や映画

 

 

ラスト・ムービースター

(2017年、アダム・リフキン監督作品)

 

 

若い頃にハリウッドで一世を風靡した

映画俳優ヴィック・エドワーズは、

年取った今、ひっそりと一人で暮らしている。

話術の巧みさは相変わらずでも、

顔のシワや杖をついて歩く姿は

見るからに老いぼれだ。

が、好みの女性に反応するのを

まだ忘れてはいないチョイ悪ジジイであり、

ユーモアのセンスも健在。

ある日、

招待された有名映画祭に行ってみると、

実際は紛らわしい名前の

ショボい手作り映画祭だった。

主催の若者たちに大いに腹を立て、

反発するヴィックだが・・・

  

 

 

 

主役ヴィックのキャラクターや経歴は、

主演のバート・レイノルズの

ほぼ等身大らしい。

過去の並外れた栄光、結婚と離婚の繰り返し、

困窮や仕事の浮き沈み・・・。

 

高齢のレイノルズにとって

数十年ぶりの映画主演は、

心身への大変な負担であったと同時に 

計り知れない喜びであったと思う。

この「ラスト・ムービースター」は、

高い評価を受けている。

 

 

 

彼は映画が公開された翌年、

82歳で亡くなった。

つまり、晩年  

アイデンティティともいえる大仕事に

全力投球してから、

1、2年で死んだことになる。

 

 

いいなあ・・・・

 

だから、

この映画へのわたし(70歳)の感想は、

次の二言に尽きる。

おもしろかった。

うらやましい。

 

 

高齢の方には、この思い

わかっていただけるかと。

 

 


春望(杜甫)

2021年11月27日 | 漢詩の朗読

 

「春望」は、杜甫44歳、

安禄山の乱で賊軍に捕まって

軟禁された時の作(五言律詩)。

 

 

春望

 

春望   杜甫

(書き下し文)

国破れて山河在り

城春にして草木深し

時に感じては花にも涙を濺ぎ

別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火三月に連なり

家書万金に抵たる

白頭掻けば更に短く

渾べて簪に勝へざらんと欲す

 

(意訳)

戦火で長安の都は瓦解したが、

山河の自然は今までと変わらず、

季節もまた巡ってくる。

だが美しい花、楽し気な鳥のさえずりも、

今では悲しみの種でしかない。  

戦乱は3か月にもおよんでいて、

離れ離れになった家族からの手紙は

なかなか届かない。

老いと労苦で白髪は短く薄くなり、

(役職を表す)冠をとめるための簪(ピン)を

刺すことができなくなってしまった。

      

 

 

  春望 杜甫 

  (原文、白文)

  国 破 山 河 在

  城 春 草 木 深

  感 時 花 濺 涙

  恨 別 鳥 驚 心

  烽 火 連 三 月

  家 書 抵 万 金

  白 頭 掻 更 短

  渾 欲 不 勝 簪

 

 

杜甫(712年~770年)は

唐代の二大詩人のひとりで

詩聖と呼ばれる。

仕官した時期もあったが、

一生を通じてみると

放浪の時代の方が、圧倒的に長い。

 

 

 

松尾芭蕉は 奥の細道・平泉 の中で

この詩を引用している。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、

笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

   

     夏草や兵どもが夢の跡」

 

藤原三代の栄華の跡に立ち、

自然と比べて人間の営みの儚さを

句に詠んだのである。

 

 


弁天娘女男白浪

2021年11月25日 | 歌舞伎のセリフの口演

 

河竹黙阿弥作の歌舞伎

「弁天娘女男白浪(べんてんむすめ めおのしらなみ)

浜松屋見世先の場。

 

 

白浪五人男 の中でも、

弁天小僧菊之助が主役の場面は人気が高く、

「弁天娘女男白浪」という題名で、

独立した芝居として上演される。

 

 

呉服屋の浜松屋の店先にやって来た

振り袖姿の美しい娘と供侍。

二人は店に難癖をつけて

金をゆすり取ろうとするが、

別の侍の一言で、事は露見する。

美しい娘は実は男で、

盗人の弁天小僧菊之助だった。

 

正体がばれると、

振袖を脱いでどっかり胡坐、

キセル片手に緋襦袢を片肌脱ぎ、

刺青見せてのタンカが

そりゃもう痛快。

娘と供侍は白浪五人男のうちの二人であり、

別の侍に化けた日本駄右衛門と三人で、

さらなる大仕事のために

仕組んだ芝居だった。

 

弁天娘

 

弁天小僧菊之助のセリフ

知らざあ言って聞かせやしょう

浜の真砂と五右衛門が

歌に残せし盗っ人の

種は尽きねえ七里ヶ浜

その白浪の夜働き

・・・(中略)・・・

名さえ由縁の

弁天小僧菊之助たァ

おれがことだ

 

 


草枕(夏目漱石)

2021年11月22日 | 小説の朗読

 

 

夏目漱石の「草枕」の冒頭は有名で

よく暗唱などもされるが、どうせなら

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、

人の心を豊かにするが故に尊とい。」

までが読まれることを願う。

そうしないと、

一番大切な部分が欠けてしまうかと。

 

草枕(夏目漱石)

 

草枕 (夏目漱石作)

 山路を登りながら、こう考えた。    

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、

詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。 

やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、

越す国はあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。 

 越す事のならぬ世が住みにくければ、

住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、

束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職が出来て、

ここに画家という使命が降る。

あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、

人の心を豊かにするが故に尊とい。

 

 


野ざらし紀行・富士川

2021年11月20日 | 古典の朗読

 

 

急流で有名な富士川のほとり。

旅の途中の芭蕉は、

3歳くらいの捨て子が泣いているのに出会い、

食べ物を与えて去る。

詠んだ句は

  猿を聞く人 捨て子に秋の 風いかに

 

「いかにぞや、汝、父に悪(にく)まれたるか、

母にうとまれたるか。

父は汝を悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ、

唯これ天にして、汝が性のつたなきを泣け。」

 

野ざらし紀行・富士川

 

何があったのだ。

おまえは父に憎まれたのか、母に疎まれたのか。

いや、父はおまえを憎んでいるのではない、

母はおまえを疎んでいるのではない。

これは天の定めであり、

自分の生まれつきの悪さを泣くしかない。

(誰にもどうしようもないのだ)