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昔の動物園は
動物にとって残酷で劣悪な場所だった。
最近の動物園の展示スペースは
広さも環境もよく整えられて、
動物たちのストレスも少なそうだ。
見ていてつらくない。
「ぼろぼろな駝鳥」は、
昭和初期に書かれた詩である。
光太郎が何を思って書いたかは知らない。
が、そこにあるのは、
思うように羽ばたけない焦りと苦しみであり、
自分を含めた全状況への
怒りと絶望ではなかったのか。
ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)
ぼろぼろな駝鳥 高村光太郎
何が面白くて駝鳥を飼うのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
頸があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも喰ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
高村光太郎(1883年~1956年)は、
東京生まれの詩人、歌人、彫刻家、画家。
詩集「智恵子抄」が有名。
父は高村光雲、妻は高村知恵子。