いのちの煌めき

誰にだって唯一無二の物語がある。私の心に残る人々と猫の覚え書き。

とし子さん

2023-04-06 20:21:00 | 日記
とし子さんは90歳代、女性。大柄でふっくらとしたお婆さん。眼鏡の奥の瞳は小さくて、笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。

とし子さんは若い頃、東京のカフェで働いていたそうだ。そこで、ご主人と知り合い結婚し、二人の娘さんを授かった。しばらくは一家四人で幸せに暮らしていたが、ご主人は肺病を患ってしまう。療養するも回復せず残念なことに、ご主人は早逝してしまった。

若くして、二人の子どもを抱えた未亡人となってしまったとし子さんだが、自身の実家には頼れない事情があった。それで、途方に暮れていたところ、亡くなったご主人のお母さん、とし子さんにとってはお姑さんにあたる人から、同居の申し入れがあった。とし子さんにすれば、渡りに船。思い切って、亡きご主人の故郷である見知らぬ土地へやって来た。

お姑さんは地域では、顔の利く人だったらしく、とし子さんにすぐ、銀行員の仕事を紹介してくれた。内勤の仕事だけではなく、外交の仕事もあり、それがなかなか厳しいものだった。それでも、子ども達を一人前にしなければ…という思いを胸に懸命に働いた。

にも関わらず、子どもさん達との縁は薄かった。長女さんは地元の名門校に入学したが、卒業前に川に身を投げて死んでしまった。もう一人の娘さんとも、何らかの心のすれ違いが生じたらしく、今は音信不通となっている。

とし子さんに「再婚をしたいと思ったことはないの?」と聞いてみると、「好きな人はいたよ。でも、奥さんのいる人だったからねぇ、どうしようもないわ」と俯いた。

とし子さんは、東京マラソン等のテレビ中継を見るのが好きだった。「マラソン、おもしろい?」と私が聞くと、「うん。東京の街並みが映るやろ、ああ、なんかここ見覚えあるなぁ…とか思い出すのよ。すっかり変わってる場所が多いけどなぁ…」と笑顔で答えてくれた。やっぱり、ご主人と過ごした東京での思い出は、とし子さんには特別なものなのだろう。

とし子さんはお家におられた時、よく一人で電車に乗って、隣り町までお出掛けをしたと話してくれた。とし子さんは足腰が弱くシルバーカーを使用していたので、私は少し驚いたが、とし子さん曰く、最寄り駅が自宅のすぐ側にあり、段差もほとんどないから、意外と簡単に行けたそうだ。
駅ビルにショッピング街があるそうで、いつも行くおうどん屋さんで一杯のおうどんを食べて、ベンチに座って道行く人々を眺めたりしながら少し時間を過ごし、それからまた、来た道を各駅電車で帰ってくる。何でもないそんな一日がとても楽しかったと話してくれた。

流れゆく車窓の景色を見つめながら、とし子さんは何を思っていたのだろう。



ゆたかさん

2023-04-05 02:22:00 | 日記
ゆたかさんは、60歳代。脳血管性の病気の後遺症で、片麻痺と言語障害がある。身体は大きい。整った優しい顔立ちをしている。食事や入浴の時間に離床する以外は、ほとんどベッドで過ごされている。

ゆたかさんは、他府県の病院から来られた。どういう事情があったのかは、私にはわからない。ただ、訪ねてくる御家族は一人もいなかった。

洗濯物を片付けるため、ゆたかさんのクローゼットを開けると、古い写真や卒業アルバム、使い古したノート等が乱雑に積み上げられていた。
若々しいゆたかさんが笑顔で写っていたのは、外国語大学の卒業写真だった。

かつては商社マンで、世界中を飛び回っていた人だと聞いた。アラビア語が堪能だったらしい。でも、今は日本語すら話せない。

食事介助につくと、私の手を握りしめて離さないことがあった。時には、その手に頬擦りをしてくることも…。私はゆたかさんが愛に飢え渇いているように思えた。

何カ国語も操った人から言葉を奪うとは、神様とは時に、なんと残酷なことをなさるのか。







てる子さん

2023-04-04 02:57:00 | 日記
てる子さんは90歳代、女性。歩行困難。移動時は車椅子使用。少しは自走も出来る。認知症はやや重度。会話は成立しにくく、大声をあげることが多い。気分がいい時は、大人の塗り絵をしていることもある。単純で簡単な図柄を好む。色使いは明るい。

大声で、がなり立てるように話すので、てる子さんを嫌厭する人は多いが、目を見て、ゆっくり話し掛けると、会話は少し成立する。

てる子さんには婚姻歴はないようだ。「お父さん、お母さん、、」と言うことが多い。たぶん、てる子さん自身の親御さんのことだろう。お父さんお母さんは何をしていた人なのか、どういう人だったのか、そういうことを聞いても、今のてる子さんには、もう何も答えられない。ただ、田舎ではなく、どこかの地方都市で育ったようだ。「仕事は何かしていたの?」と問いかけると「もぎり…」と教えてくれた。入場チケットか、何か、、そういうものをもぎる仕事だったのかなぁ?年代が違い過ぎて、それ以上、私には詳しくわからない。

てる子さんは、大声をあげて、一見、何もわかっていない人のように見えるが、意外と他人の表情をよく見て、理解している。例えば誰が親切で優しいか、あるいは誰が意地悪なのか、そういうことはよくわかっていた。

てる子さんが大声をあげるのは、案外、自分を守っているからなのかもしれない。





光子さん

2023-04-03 20:59:30 | 日記
光子さんは80代、女性。京人形のような面差しのふっくらとした色白美人。おしゃれで、いつも綺麗な色の洋服を着ている。アクセサリーも大好きで、大きめのパールの首飾りをよく掛けている。
身体の麻痺はない。認知症の進行具合は中程度。徘徊の症状はあるが、おとなしい人だ。

旦那さんは光子さんより年上だが、お元気そうで、よく訪ねて来られる。会社経営をしておられる御家族は、今も裕福。でも、旦那さんは支配的。今でも、命令口調で光子さんにアレコレ指示を出したり、時には怒ったりもする。認知症の人に怒っても、実りはないんだけどね…。

光子さんは私と二人きりの時には、こっそり色々な話しをしてくれる。
子どもさんは二人いて、二人とも優秀な大学を出ていることや、自分は旦那さんの会社を手伝っていたのではなく、化粧品の訪問販売をしていたことなど。昔は、そういう化粧品がよく売れたそうだ。光子さんは商売上手で何千万も売り上げを上げたらしい(認知症の人の話しだから、本当かどうかは定かではない)。でも、まんざら全て嘘でもなさそうだと私は思った。「たくさん稼いだお金で、何をしたの?」と問うと、光子さんは「彼氏にあげた」と教えてくれた。

彼氏は、タクシーの運転手をしていた年下の男性。奥さんのいる人だけど、優しい人だった。化粧品の訪問販売の時、彼のタクシーを使うことが多かった。いろんな所へ、一緒に出掛けて楽しかったけど、代金はいつも光子さん持ち。それが、どの位の期間、続いたのかはよくわからない。ただ、最後は相手の奥さんが光子さんの家に乗り込んで来て、全てのことが白日の元に晒され、関係は終わった。

光子さんは、これらの話しを少しずつ教えてくれた。話した後「今日は、内緒の話し、いっぱいしたなぁ…」と小さく笑った。嬉しそうだった。



和子さん

2023-04-02 01:28:00 | 日記
和子さんは70代後半、女性。内縁の夫はずいぶん前に亡くなったそうで、子どもはいない。近くに住んでいる甥御さんが、時々、訪ねて来る。仕事はスナックを経営していたことがあるらしい。
腰痛で伏せったりする事はあるが、身体に麻痺などはない。認知症は少し始まっている。繰り返しの言葉が多い。先に記したけい子さんのお友達でもある。そうそう、あの他人の悪口が大好きな和子さん。いつも近くにいる人の会話や行動に、悪口のツッコミを入れている。

別に、私も悪口が大嫌いという訳ではない(苦笑)。時々、気の許せる友達と機密性の高い場所で、愚痴や悪口を発散させることはある。溜まったストレスを解放させるために、そういうことも時には必要だとも思ってる。
ただ、和子さんの場合はオープンスペースで、四六時中それをしてしまうから、ちょっと大変。

それともう一つ気になることは、和子さんには盗癖がある。認知症の進行に伴って起こる症状とは少し違うと感じる、たぶん和子さんの元からの悪癖だろう。和子さんの部屋のタンスの中には、盗んできたティシュペーパーやトイレットペーパー、プラスチックのコップなどが、びっしり詰まっている。始めてそれを目の当たりにした時、私には和子さんが何か…自分の満たされない心の隙間を埋めようとしているように思えた。

そう、満たされない気持ち。

心にポッカリ空いたその空洞を埋めるため、和子さんは悪口と盗みという方法を用いているのかもしれない。でもそれでは、いつまで経っても心の空洞は埋まらないだろう。

埋められるのは愛とか、思いやりとか、信頼とか、そういう暖かいものだと私は思う。