最近、私がよく読ませて頂いてる方のブログで親の呪縛って言葉が出てきたら、
そのフォロワーさんたちもそういう事について書くから、
ちょっと自分の事も考えてみた。
父親から面と向かって「お前は要らん子だ」と言われ続けたのに、どうして私は平気だったんだろう?
何も恨めしく思わなかったし、
そういう事を本人を前にしてずけずけ言う父親が
私は好きだった。
父は姉や弟にはいろいろと期待をかけて煩く言ったり、
ご褒美などもたくさん与えていた。
それは私達が成長してからも同じだった。
それがあまりにも当たり前に日常的に行われていたから、
私は、羨ましいという気持ちは全くなく、
姉や弟は大変だなぁと思っていた。
何か事があれば、全部「お前が悪い」と
私のせいにされたが、
まあ、少しは反論したけれど
いじけたりはしなかった。
どうしてだろう?
どうして私は父親を憎いと思わなかったんだろう?
ずっとそればかりを考えたり
思い出そうとしていたら、
ひょいと思い出したのは、
父親との大喧嘩だった。
それは、テレビのチャンネルの奪い合いだった。
その頃、父が帰宅するのはたいてい遅かったような気がする。
私達(母と子どもたち)は夕食をすませて子ども向けの番組を観ていた。
何だったか覚えてないけど。
帰ってくるなり父は当然のように、いきなりチャンネルを切り替えた。
いつもそうだったから、他の家族は「またか」という感じでいたのだろう。
ところが、私はよほどテレビに見入っていたのか、
父親にすごい剣幕でくってかかった。
みんなが楽しみにして観ている番組なのに何で途中で勝手に切り替えるんだ、みたいな事をまくしたてたと思う。
父親も負けてはいない。
俺が買ったテレビだ、お前たちの好きにさせる必要はない、みたいな。
売り言葉に買い言葉の応酬があって。
父は、もう誰もテレビなんか見るな、みたいな事を言って、
いきなりテレビの足(当時のテレビには4本の足が付いていた)をはずすと
それをゴミを捨てるシューターに放り込んだ。
当時アパートの3階に住んでいた。
テレビ本体を壊さなかったのは父親の怒りがその程度だったという事だろうな、と今は思える。
足だけを捨てるのが子どもっぽくて可愛い。
その後の事はよく覚えていないけど、
私は謝らなかった。
父も謝らなかった。
それほどの言い争いをしたのに何を見ていたのかはさっぱり思い出せない。
その時、私は『父は私と同じ種類の人間なんだ』と感じた。
自分本位でわがままで子どもと対等に喧嘩をする、そんな一人の人間として父親を見ていた。
不思議なことに奇妙な連帯感みたいな気持ちが生まれた。
私は親から何も期待されなかったおかげで、
随分とやりたい放題させてもらった気がする。
ただし、経済的には何も援助してもらえなかった。
働けとも言われずに、
公立高校、国立大学に進ませてもらったし。
当時は国立大学の授業料が半期で9000円だったから
奨学金をももらっていたから家からの援助は無くてもよかった。
自宅から通えたので、家賃と食費はただで済んだ。
その事はすごく感謝している。
姉や弟には私には内緒でそうとうのお金を与えていたらしい。
父が亡くなって、母も認知症になって、それからずっと後に姉や弟から聞いた話だ。
それを聞いた時も、姉や弟が可哀想になっただけで、
姉弟を羨ましいと思う気持ちも、親を恨む気持ちも起きなかった。
期待を掛けられるという事は
期待を裏切らないだけの事を成しとげない限り褒めてもらえない訳で。
事実、2人は親を満足させるために相当の努力を強いられたらしい。
親の呪縛があったのは、姉や弟だった。
私は2人のおかげで、
本当に自由にさせてもらった。
小さい頃から「この子はやりたいようにしかやらない子だから」「この子は一人で生きていける」「どうせ親の言う事なんか聞かない」と言われ続けた。
一人で生きていかなければならないと、小学生の頃から覚悟を決めていた。
独り立ちをするように仕向けられていたのかなと思わないでもないが。
今は、やりたいようにやらせてもらって幸せだったと両親に感謝する気持ちしかない。
自分一人で生きていけるよう自分で考える、
こんな呪縛なら有り難いな。
ちょっとは良い子にしていてあげてたら良かったかな?
でも、また父と大喧嘩してみたい。と思う。
そのフォロワーさんたちもそういう事について書くから、
ちょっと自分の事も考えてみた。
父親から面と向かって「お前は要らん子だ」と言われ続けたのに、どうして私は平気だったんだろう?
何も恨めしく思わなかったし、
そういう事を本人を前にしてずけずけ言う父親が
私は好きだった。
父は姉や弟にはいろいろと期待をかけて煩く言ったり、
ご褒美などもたくさん与えていた。
それは私達が成長してからも同じだった。
それがあまりにも当たり前に日常的に行われていたから、
私は、羨ましいという気持ちは全くなく、
姉や弟は大変だなぁと思っていた。
何か事があれば、全部「お前が悪い」と
私のせいにされたが、
まあ、少しは反論したけれど
いじけたりはしなかった。
どうしてだろう?
どうして私は父親を憎いと思わなかったんだろう?
ずっとそればかりを考えたり
思い出そうとしていたら、
ひょいと思い出したのは、
父親との大喧嘩だった。
それは、テレビのチャンネルの奪い合いだった。
その頃、父が帰宅するのはたいてい遅かったような気がする。
私達(母と子どもたち)は夕食をすませて子ども向けの番組を観ていた。
何だったか覚えてないけど。
帰ってくるなり父は当然のように、いきなりチャンネルを切り替えた。
いつもそうだったから、他の家族は「またか」という感じでいたのだろう。
ところが、私はよほどテレビに見入っていたのか、
父親にすごい剣幕でくってかかった。
みんなが楽しみにして観ている番組なのに何で途中で勝手に切り替えるんだ、みたいな事をまくしたてたと思う。
父親も負けてはいない。
俺が買ったテレビだ、お前たちの好きにさせる必要はない、みたいな。
売り言葉に買い言葉の応酬があって。
父は、もう誰もテレビなんか見るな、みたいな事を言って、
いきなりテレビの足(当時のテレビには4本の足が付いていた)をはずすと
それをゴミを捨てるシューターに放り込んだ。
当時アパートの3階に住んでいた。
テレビ本体を壊さなかったのは父親の怒りがその程度だったという事だろうな、と今は思える。
足だけを捨てるのが子どもっぽくて可愛い。
その後の事はよく覚えていないけど、
私は謝らなかった。
父も謝らなかった。
それほどの言い争いをしたのに何を見ていたのかはさっぱり思い出せない。
その時、私は『父は私と同じ種類の人間なんだ』と感じた。
自分本位でわがままで子どもと対等に喧嘩をする、そんな一人の人間として父親を見ていた。
不思議なことに奇妙な連帯感みたいな気持ちが生まれた。
私は親から何も期待されなかったおかげで、
随分とやりたい放題させてもらった気がする。
ただし、経済的には何も援助してもらえなかった。
働けとも言われずに、
公立高校、国立大学に進ませてもらったし。
当時は国立大学の授業料が半期で9000円だったから
奨学金をももらっていたから家からの援助は無くてもよかった。
自宅から通えたので、家賃と食費はただで済んだ。
その事はすごく感謝している。
姉や弟には私には内緒でそうとうのお金を与えていたらしい。
父が亡くなって、母も認知症になって、それからずっと後に姉や弟から聞いた話だ。
それを聞いた時も、姉や弟が可哀想になっただけで、
姉弟を羨ましいと思う気持ちも、親を恨む気持ちも起きなかった。
期待を掛けられるという事は
期待を裏切らないだけの事を成しとげない限り褒めてもらえない訳で。
事実、2人は親を満足させるために相当の努力を強いられたらしい。
親の呪縛があったのは、姉や弟だった。
私は2人のおかげで、
本当に自由にさせてもらった。
小さい頃から「この子はやりたいようにしかやらない子だから」「この子は一人で生きていける」「どうせ親の言う事なんか聞かない」と言われ続けた。
一人で生きていかなければならないと、小学生の頃から覚悟を決めていた。
独り立ちをするように仕向けられていたのかなと思わないでもないが。
今は、やりたいようにやらせてもらって幸せだったと両親に感謝する気持ちしかない。
自分一人で生きていけるよう自分で考える、
こんな呪縛なら有り難いな。
ちょっとは良い子にしていてあげてたら良かったかな?
でも、また父と大喧嘩してみたい。と思う。
2週間ぶりでPC開けて読みました(^^;
chonさんの面目躍如!な文章ですね。いいな~(拍手)
お父さまとの大喧嘩なんて、もう生き生き、そのまま眼に浮かんじゃう。
「親の呪縛」に私は苦しめられた(勝手に苦しんだ?)方だと思うので余計に
chonさんの姿はすがすがしく見えます。
「ひとりで生きていかないと」って、小学生の頃から
「覚悟を決めてた」っていうのは私も同じなんですが
私はchonさんみたいにたくましくなれなかったな~。
「呪縛」の有無が、それに関係してたのかな・・・って
ちょっと考えました。