「どうか助けてください、ホームズさん。3日前のことです、ガイ・クラレンドンがハリデイ特約ホテルで殺されたのです。あろうことか、フランシス・ノーラン嬢が逮捕されて、中央刑事裁判所に拘留されてしまったのです。彼女に人を殺せるはずがありません。たとえ相手がクラレンドンみたいな悪党だったとしても、そんなことはできません」
「悪党だって?」ワトスン博士が口をはさんだ。
「あのクラレンドン青年のことで、悪い噂など聞いたことがないがね。財産家の子息で、クリケット・チームのウェスト・ロンドンじゃ名打者ですよ。それにフェンシングでは、国際試合でもいい成績をあげた、というじゃないですか」
「あいつは下劣な男です! カード賭博に目がないし、大酒飲みです。つきあっていた相手もイースト・エンドにいるようなゴロツキ連中でしたよ。それで父親も奴を勘当するはめになったのです。金めあての男だと、フランシスに忠告したんですが、きいてはもらえませんでした」
だしぬけに、ホームズはよみがえった。「ノーラン家のフランシスとロレッタ姉妹は、アバディーン汽船会社の初代社長マルカム・ノーラン卿の忘れ形見だ。マルカム卿夫妻は、ザグレブ・ヨブリンスキーなる自称無政府主義者に殺されたんだ。馬車で外出中、ヨーク公とまちがえられて、爆裂弾を投げこまれた。当時、4歳と5歳だったあの姉妹は、同じ馬車に乗っていたんだが、奇跡的に傷ひとつ受けなかった。当時のタブロイド新聞には、莫大な遺産相続のこととならんで、あの流血の惨事がくわしく報道 されたよ。ロックさん、あなたはフランシス・ノーラン嬢に結婚を申しこんだでしょう?」
「ええ、申しこみました」
「ノーラン嬢は、なぜ殺人容疑で逮捕されたのですか?」
「えー、それはですね…」ロックは口ごもった。見るからに落ち着きを失い、眼鏡をはずすと、苦しみをかくすようにレンズを拭いた。やがて押しころした声で答えたのである。
「発見されたとき、彼女はピストルを握ったまま、死体の上に倒れていたのです」
ホームズはうなずいて、殺された御者の記事の切り抜きを取りあげた。彼は、ノーラン嬢の無実をかさねて訴えるロックの話を聞いていなかった。
「申しわけありませんね、ロックさん」
やがて、ホームズは口をはさむと、「ぼく自身の手では調査できないのです。さしせまった別の事件が生じましてね」
立ちあがって帽子をとりにいくと、こうつけ加えた。
「でも、ご安心なさい、まかせられる人たちがいますからね」