「ニクソン訪中」のカードをきることで、アメリカは中国との関係正常化に着手した。しかし、ようやく米中の戦略思考が一致しはじめたころ、両国の協調外交はとつじょ終わりをつげることとなる。
1974年8月、ウォーターゲート事件によってニクソン大統領が辞任。これは中国にとって理解不可能な事態だった。
同年11月、合衆国議会はトルコに対する禁輸措置、情報機関(CIA)に対する公開捜査を可決。さらに1975年のはじめにはカンボジアに連立政権を樹立する米中共同の取り組みの阻止に動いたため、今度は逆に中国がソ連から包囲されてしまうことになる。
かんぜんに梯子を外された状態になった中国は、さいしょ「これはアメリカの謀略なのではないか」と疑い、のちにはアメリカを「裏切りよりも悪い、無能だ」と批難した。
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