誰が被せたか・・・気比神宮前の遊行上人
白鵬が好きになった。生真面目な努力の人と知ったからだ。知らない
間は、日本人力士ではない、強すぎて不遜に感じる、と毛嫌いしてきた
事を恥じている。
以下は80パーセント共同通信スポーツ部からのパクリ。
白鵬は192cm、158kgとバランスの取れた体格、組んでも突き押しでも
取れる万能の取り口。しかも横綱昇進後8年目で一度も休場がないのは
驚異的なこと。努力なしでは成せない偉業なのだ。
2000年秋、モンゴル人力士養成候補の一人として来日。当時175cm、62kg、
色白のほっそりした15歳の少年だった。
2か月間程どの部屋からも入門の誘いがなかった。「売れ残って」仕方なく
モンゴルに帰国する前日、可哀想に思ったモンゴル力士の先輩、旭鷲山が
自分の親方に掛け合って宮城野部屋へ。
その時帰国していれば平成の大横綱は生まれず、不祥事が相次いだ相撲界
を支える力士はいなかったはず。今、人気を取り戻しつつある相撲界はこの
奇跡的な白鵬の入門にどれほど感謝しても足りないくらいだろう。
宮城野親方は、白鵬の父親が1968年メキシコ五輪レスリングの銅メダリスト
でモンゴルの国民的英雄だったとも知らず、小柄で華奢な少年の将来を殆ど
期待していなかった。
白鵬は魚や野菜を食べる習慣がないモンゴル人ながら、ちゃんこを、時には
吐くまで食べて大きくなった。
彼は今でも相撲の稽古の基本、四股(しこ)やてっぽう、すり足などに、汗が
にじみ出るまで誰よりも時間をかける。そういう相撲の動作に合わせて仕上
げた体だから、怪我も少ないわけだ。
主な横綱の昇進後の休場数を見ると、大鵬が136日、千代の富士が137日、
休場が少なかった朝青龍でも76日、北の湖が107日。晩年は長期休場が続いた
貴乃花は201日もあった。その中で、横綱になってからの休場がゼロというのが
如何に凄い事なのか・・・努力の人なのである。
そんな白鵬も、稽古量が落ちた2011年~2012年には三場所連続で優勝を逃し、
年間優勝回数は2回と昇進後最低の回数だった。しかし、気合いを入れ直した
一昨年は4回、昨年も5回と賜杯をほぼ独占するような勢いとなった。
大型力士なのにスピードがあり、勝負所を逃さない勝負勘も抜群だ。さらに、
大鵬に似ているといわれるのが、相手の立ち合いの勢いを吸収してしまう様な
柔軟性。しかも下半身、特に膝が柔らかいので投げも効くし怪我もしにくい。
年齢も29歳と若く、まだ2~3年は元気いっぱいで取れるだろう。
年間勝利数は昨年も81勝9敗のトップで8年連続の首位。昨年の2位は
横綱の鶴竜で71勝、優勝1回。日馬(はるま)富士は休場が2度あったので
47勝、大関は稀勢の里が58勝で、豪栄道が53勝、琴奨菊が49勝だ。
年間6場所90日で勝ち越しの46勝以上を挙げた力士はたった9人。白鵬
が如何に傑出した存在かが分かる。しつこい様だが努力の人なのだ。
相撲の理想の取り口は、伝説の横綱・双葉山の「後の先」という境地。
立ち合いで相手の動きを見極めて一瞬遅く立ち、鋭い踏み込みで組み
止める相撲だ。測定では白鵬の立ち合いのスピードは、短距離のウサイン・
ボルト(ジャマイカ・世界記録保持者)に匹敵するそうで、父譲りのスピード
豊かな筋肉を持つ白鵬なら、この理想の境地に達することは可能かも知れない。
一時は八百長疑惑で衰退した相撲界だが、ここのところ相撲協会女性事務
職員のアイデアと頑張りで「お茶屋さん」任せから様変わりしている。一般
ファン、特に若年層や女性ファン取り入れに邁進した結果、親方が絶対権力
を持っていて後援者やタニマチ以外の一般客には冷たかった過去から脱却し
つつあるようだ。まだまだ先は長いが・・・。
それもこれも、白鵬という大横綱あらばこそ。それなのに対戦相手に送る
声援だけが聞こえ、負けて大喝采を浴びている。
平成の大横綱:白鵬はじっと耐えている。時には表情に「くそ、どうだ!」
という胸の内を出してしまうこともあるが、あくる日の新聞には「負けた相手
に礼を尽くせ」というバッシング記事が出る。
心身を呈して日本の相撲界活性化に貢献し続けている白鵬を、応援したい。
最後に
日本の相撲界は今や学生相撲からしか人材を得られない、という現状がある。
人数が極端に少ない中から人材は出にくい。輪島依頼、学生相撲から才能ある
力士は出ていないのだ。
この土壌を変えない限り、日本相撲はモンゴルの豊穣な人材に頼るしかないし、
実際彼らのお陰で「国技」などと豪語出来ているのだ。
相撲を愛する人たちは皆、モンゴルに足を向けてはならないと思う所以である。
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