お盆後半を酷暑の伊勢で過ごしたせいもあって、帰敦してからは過ごしやすい日が続いた。ミンミン鳴いていた蝉の声が「ツクツクホーシ」に変わり、秋の虫が盛んに鳴き、就寝時の扇風機もアイスノン枕も必要なくなり、蚊取り線香も焚かなくなった。朝一番のお茶も、温かい煎茶に戻り、冷たいスープや、冷やした野菜の煮びたしがお腹に堪(こた)える。夏は終わったのだ。四季ある国は素晴らしい。地球は壊れ続けているが、まだ間に合うということか・・・。そして町は、祭りで賑わっている。
高校陸上部の後輩が、素晴らしい門を手作りしてくれた。一本の古材木を、スライスしたり細く切ったりして組み合わせ、1本も釘を使ってないという。我が家全体がズッシリと重い存在感を示すようになった。門が変わっただけなのに凄いことだ。家の顔が変わると、こうまで印象が違うのか・・・。
で、星ムクドリが以前「やってみて下さい」と渡してくれたDVDで、顔のマッサージを始めた。このところ神経の疲れが激しいらしく、札幌の兄並みに目の下の膨らみが増し、一日の終わりにはハッキリと隈が現れるのだ。我ながらギョッとすることもしばしば
顔は看板。少しでも引き締まれば、人間そのものの印象も多少良くなろう。
半信半疑で始めてみたが、これが実に気持ちいい 目の錯覚か、あごのラインだけは引き締まってきた、気がする。目の隈は相変わらずだが、継続は力なり。今のところ朝晩欠かさずやっている。食事も睡眠もかなりランダム(無作為=いい加減)になっている昨今、これだけは習慣にしたいものだ。
ある夕暮れ時、「おひとりさまの老後」(上野千鶴子:著)という本を、忙しい中友人が持って来てくれた。「面白いよ」と言う彼女には今のところ家族がいるのだが、独り身の私には切実な題(テーマ)だ。この人生結局自分独りが背負うもの。と覚悟はあれど、何とか希望の持てる老後の展望が欲しい。老後という言葉につい弱気になるのは、病もボケも予測がつかないからだ。意志だけではどうにもならない怖さ・・・。
今夜も深夜1時に起きてパソコンに向かっている。たまに早く寝るといつもこうだ。美容と健康に良くないと知りつつ、思うに任せて生きる強気の私もいる。
夜が白々してきた。ままよ、もう一仕事しよう。“おひとりさま”の時間は自由なのだ。いくら老後を心配しても、こうケセラセラでは、やっぱり私の「おひとりさまの老後」は、あまり期待出来そうもない。
高校陸上部の後輩が、素晴らしい門を手作りしてくれた。一本の古材木を、スライスしたり細く切ったりして組み合わせ、1本も釘を使ってないという。我が家全体がズッシリと重い存在感を示すようになった。門が変わっただけなのに凄いことだ。家の顔が変わると、こうまで印象が違うのか・・・。
で、星ムクドリが以前「やってみて下さい」と渡してくれたDVDで、顔のマッサージを始めた。このところ神経の疲れが激しいらしく、札幌の兄並みに目の下の膨らみが増し、一日の終わりにはハッキリと隈が現れるのだ。我ながらギョッとすることもしばしば
顔は看板。少しでも引き締まれば、人間そのものの印象も多少良くなろう。
半信半疑で始めてみたが、これが実に気持ちいい 目の錯覚か、あごのラインだけは引き締まってきた、気がする。目の隈は相変わらずだが、継続は力なり。今のところ朝晩欠かさずやっている。食事も睡眠もかなりランダム(無作為=いい加減)になっている昨今、これだけは習慣にしたいものだ。
ある夕暮れ時、「おひとりさまの老後」(上野千鶴子:著)という本を、忙しい中友人が持って来てくれた。「面白いよ」と言う彼女には今のところ家族がいるのだが、独り身の私には切実な題(テーマ)だ。この人生結局自分独りが背負うもの。と覚悟はあれど、何とか希望の持てる老後の展望が欲しい。老後という言葉につい弱気になるのは、病もボケも予測がつかないからだ。意志だけではどうにもならない怖さ・・・。
今夜も深夜1時に起きてパソコンに向かっている。たまに早く寝るといつもこうだ。美容と健康に良くないと知りつつ、思うに任せて生きる強気の私もいる。
夜が白々してきた。ままよ、もう一仕事しよう。“おひとりさま”の時間は自由なのだ。いくら老後を心配しても、こうケセラセラでは、やっぱり私の「おひとりさまの老後」は、あまり期待出来そうもない。
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