二本足の學者を目指して

賢を見ては齊しからん事を思ふ

平成三十年一月十一日(木)先月の食事――ラーメン雷鳥(サンダーバード、茅場町)でつけ麺と油そば

2018-01-11 13:20:21 | Have a meal
 先月の食事――ラーメン雷鳥(サンダーバード、茅場町)でつけ麺と油そば


つけ麺


油そばと半ライス
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平成三十年一月八日(月)合理精神と個人主義――夏目漱石「私の個人主義」

2018-01-08 17:18:34 | 文學、精神、そして魂
 合理精神と個人主義――夏目漱石「私の個人主義」

 近代化の特徴とは、合理精神と個人主義にあると云はれる。近代の合理精神が齎したのが、近代以降の科學であり、この事に就いては、誰しもが、それがどのやうなものか理解も出來、イメージも出來る事と思ふ。が、個人主義に就いては、どうであらうか。どうにも今日の日本に於ては、何か自分勝手なものの考へ方、利己的と云つた風に捉へられてゐるやうだ。

 個人主義は、英語にすれば、Individualismであらうか。これは、<1 independence and self-reliance. 2 a social theory that favors the idea that individual people should have freedom of action rather than be controlled by society or the government.>(「Oxford American Dictionary & Thesaurus」)とある。日本人が明確に個人主義と云ふ言葉を意識して用ゐてゐるとは思へないが、大方、2の意味に近い意味で用ゐられてゐるのが、現状であらう。

 漱石は、個人主義と云ふ言葉を説明する時、自己本位と云ふ言葉を好んで用ゐた。その事は、「私の個人主義」を讀めば分る。1は自立や獨立獨歩と云ふ意味だが、そのやうな個人が自由を尊重するのは當然として、だからと云つて、他人の自由や個性を輕視してはならない、と漱石は云ふ。自分勝手に振舞ひ、世間樣に迷惑をかけてはならないと云へば、如何にも日本的な云ひ方になるが、まあ、さう考へても、間違つてはゐない。だが、漱石の云ふ個人主義とは、迷惑をかけ「ない」と云ふやうな消極的な考へ方ではなく、飽く迄、個人の個性が、個人主義と云ふ個人と個人とを尊重する關係の中で、有用に機能しなければならないと云ふ積極的な考へ方だと私は思ふ。

 そして、そのやうな自己本位である爲には、理非を重んずるべしと漱石は云ふのであり、道理を重んずる事こそが、漱石が、主に若い人々に求めた大事であつた。だが、その道理の後ろ楯とは、何處に求められるのか。話は飛躍するが、封建道徳も、(クリスト教が根柢に存在してゐる)西洋學問も信ぜられない漱石は、道義の文士たらんとするが爲、道理の後ろ楯の不在に惡戰苦鬪する事となつた。
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平成三十年一月五日(金)近代日本の宿命に就いて語らうと思へば

2018-01-05 17:04:28 | 文學、精神、そして魂
 近代日本の宿命に就いて語らうと思へば

 漱石の「こゝろ」を讀んでゐる人がゐたので、「こゝろ」の「先生」にせよ、「三四郎」の廣田先生にせよ、近代日本の宿命を背負つた知識人なのです、と書き、自分が尊敬してゐる小林秀雄、福田恆存、松原正、そして留守晴夫氏も、その系譜に連なつてゐるのです、但し、近代日本の宿命とは何ぞやと云ふ事になれば、話が長くなるので省略します、とも書いた。成程、慥かに「近代日本の宿命」と云ふ事を、誠實に語らうとすれば、長くなるし、それは大論文の形となる。だが、未だその大論文を書けるだけの知識と伎倆は、私には無いだらう。知識と伎倆を得る爲、勉強するだけの時間さへ、私にはない。學者にでもなれば、或は時間が手に入るのかも知れないが、生憎、そんな宛は全くない。それに大學(院)で學者になれたとしても、大學(院)の先生は、教育者の側面も擔つてゐるのだから、研究のみと云ふ訣にも行くまい。今の知識人の中には、本を書く事で、収入を得てゐる者もゐるが、昔は、本を書く爲にお金を貯めた。本居宣長もさうで、彼は小兒科醫でありながら、お金を貯め、「古事記傳」を書いた。本が出たのは、本居宣長が死んでからであつた、と云ふ事を小林秀雄は語つてゐる(※1)。明治の時代から、今日迄、純文學をやるには、金持ちの息子娘でない事には不可能と云ふ事を、何處かで小谷野敦が語つてゐたのを讀んだ記憶がある。恐らく、「近代日本の宿命」と云ふ大論文を書いても、商業的には償ふまい。そんな論文を書籍化するには、自分で金を貯めるしかない。尤も今の時代、インターネットにアップロードするだけで、世間には簡單に公開出來るのだが。だから、出版に就いて、どうかう考へる必要はない。問題は、自らの生涯をとほして、どれだけ勉強出來るかである。物質的生活に留まらず、精神的生活に迄、自らの暮しを昇華出來るかである。それは、古今東西の文化(樣々な言葉)に就いて、より良く知る事であるし、亦、自らの精神を、生涯をとほして、自らが尊敬してゐる偉人賢人のそれに近附けようと背伸びする事である。慥か、今更、近代でもあるまいと云ふ事を、保守派の新保祐司邊が發言してゐたと記憶してゐるが、この事に就いては、近代日本に肖らうとして、肖り切れない宿命と云ふものに、新保が耐へられなくなつただけのものと私は考へる。近代日本に肖るとは、正字正假名の習得は勿論、古文漢文の素養も必要とされ、西洋の言語にも通ずる必要がある。亦、神佛儒(加へて心學)やクリスト教に就いても、通ずる必要がある。さう云ふ遠囘りをやつてゐる知識人は、少くとも大マスコミには登場してゐない。マスコミは、自分達に都合の良い知識人しか、使はないからである。その點は、産經新聞とて同じである。

 (※1)國民文化研究會・新潮社編「小林秀雄 學生との對話」(新潮社)
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【元日】平成三十年一月一日(月)我が家の御先祖樣「坂田萬味」

2018-01-01 14:47:16 | 御先祖樣
 我が家の御先祖樣「坂田萬味」

 萬味、名は道則、俗稱は保兵衞、父は與右衞門也、安藝國賀茂郡西城白市村木原の城主平賀陸奧守家臣田坂左門の末裔にして、廣島市紙屋町に居住す、伊豫屋と號し萬問屋商たりし、享和三年坂田と改姓商を廢て印判職となる、蓋し萬味は寛政十二年紙屋町に生れ、與右衞門の二男なり、父の業を繼ぎ印判彫刻師たり。天保十四年奧田壽太を師として、石門の學を修め、性理の蘊奧を究めて、善導教授竝道話を許され、壽太に從て前講せり、後ち京都明倫舍より諸國印鑑を受け、廣島及郡村に聘せられ、心學道話をなせり。明治六年二月、教部省より教導職十四級試補に命ぜられしが、老且病あるを以て布教するを得ざりき、而して同九年十二月五日、廣島市臺屋町の自邸に於て、歸天す、享年七十有七、神葬式を以て比治山墓地に埋葬す。

 「藝備偉人傳 上卷」
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